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〔連載]思春期の子どもをもつ母親への心理学講座 その1:子どもの気持ちを聴くということ

🔹はじめに

小生、長年、司法の現場で心理臨床(ケースワークを含む)の仕事に従事してきた者です。そののち大学教員に転身し、心理学などを教えるかたわら、一般の心理相談や学生相談などにもたずさわってきました。
これから連載をしていく論稿は、過去に月刊教育誌に寄稿し掲載されたものですが、このたびそれらを大幅に加筆修正し、現在、子育てのなかで悩み苦しんでおられる親御さんたちのために、このブログを通しての公開を思い立ちました。ご参考になれば幸いです。

🔹心理相談の現場から

近頃、心理相談において「子どもが言うことをきかない」「子どもが心を開いてくれない」「子どもにどう接したらよいかわからない」などといった悩みを打ち明けてくる母親がじつに多い。
とはいうものの不思議なのは、どの母親も傍目には子どもへの愛情はかぎりなく深いようにみえるという点である。
ではなぜ、愛情深そうな母親が我が子との関係をうまくとり結べないのであろうか。 
結論を先に言ってしまえば、これは「良かれ」と思いつつ働きかける母親の愛情が適切に子どもに伝わっていないということを意味する。
とりわけ母親の愛情が一方的である場合、親の真意はなかなか子どもの心に届かず、空回りをしてしまうことがよくある。
逆に言えば、自分の「気持ち」を十分に親に受けとめてもらえていないと感じている子どもは、親の言うことに素直に従えないということになる。
 
今「気持ち」という言葉を使ったが、今日、一般的に実施されている正統的なカウンセリングの基礎を打ち立てたカール・ロジャーズは、とくにこの「気持ち」ということを何よりも重視した。
というのはロジャーズは人間は感情の動物といわれるほど、対人関係に左右されていて、片時も感情・気持ちの同一性を保っていられる人はいないと考えたからである。それほど「気持ち」は流動的で絶えず変化しているといえる。
 
冒頭の相談内容は、正確に言えば「親の言うことをきかない」とか「子どもが心を開いてくれない」といった困惑した事情ばかりが先行していて、それに付随して「子どもにどう接していいかわからない」という悩みごとが生じているということなのであろう。
だとすれば、まずは「親の言うことをきかない」とか「子どもが心を開いてくれない」といった事態が何を意味しているのかをよく考えてみる必要がある。
だが、子どもの側にのみ、その原因や問題点を探し出そうとしない方がよい。灯台下暗し。原因は親側にあることが少なくないからである。
子どもは大人と比べてむしろ大人以上に心が不安定であり、とくに感情・気持ちの揺れ動きが激しい年齢層である。平たい言い方をすれば、子どもは、時にはへこんだ気分になってジレンマに陥ることはいくらでもある。
そんなとき、親が子どもにたいして「早く、早く」と急き立てようなものなら、かえって逆効果になってしまうのは、私達のよく経験していることであろう。
 
例外もなく、どの親でも我が子がいつも機嫌よく明るい表情で学業に取り組んでいてくれることを願っているものだが、子どもは、気分のいいときもあれば気分が乗らないときもある。
実は子どもとの関係づくりに欠かすことのできない最良のチャンスは、この気分の乗らない時なのである。なぜならば、気分の乗らない状態こそ、子どもはストレスや葛藤をため込んでいて、どのように自分の「気持ち」の整理・決着をつけてよいか途方に暮れているからである。

🔹「不快な感情」にひたすら付き合う 

カウンセリング理論に従えば、子どもの口から「不快な感情」(グチや不平不満や悩みごとなど)が語られることに、ひたすら耳を傾けていくことが、その糸口となる。
もう少し説明を加えれば、我が子にへこんでいる様子が見受けられたら、まずは「何かあったのかな?」とさりげなく言葉をかけて、その場の子どもの気持ちの色合いを見定めるとよい。
それが気持ちの「受容」ということになる。へこんでいるときの感情の色合いとは、辛かったり、嫌だったり、悲しかったり、腹が立ったり、がっかりしたりと、さまざまな感情のことをさす。
 
感情の色合いが見定められたら、子どもの気持ちになって、そのまま「辛かったんだね」とか「嫌だったんだね」とか「悲しかったんだね」とか「腹が立ったんだね」とか「がっかりしたんだね」といった言葉(会話の流れによっては、「そう、辛かったんだ」とか「辛かったはずだね」とか「よく我慢したね」などと、少し言い回しを変えてもよい)をかけるとよい。
それが「共感」ということである。子どもは自分の気持ちを親に受けとめられたことで少し自分のもやもや感が吹っ切れて素直になり、いくぶん前向きの姿勢をとりもどすことが可能なのである。
 
ところで、心理相談で子どもの「気持ち」を受け入れることの重要性について説くと、ときどき親御さんから「子どもの言うことを聞きすぎると、甘やかす結果となり、さらにわがままが助長されることになってしまわないですか?」と反問されることがある。
しかし、「子どもの言うことを聞く」ことと「子どもの気持ちを受け入れて聴く」こととはまったく別のことである。子どもの気持ちに耳を傾けるということは、けっして子どもの言いなりになることではない。
 
もちろん子どもの気持ちを聴くためには子どもの語る話の内容を聴くということが優先されなければならないが、しかし大事なのは、子どもの語る事柄を聴きながら、子どもの気持ちの動き(流れ)にも最大限の注意を払っていくことが肝要である。
少し専門的な言い方をしてしまったが、子どもの気持ちを「受容」「共感」していくためには、単に「聞く」(hear)のではなく、「聴く」(listen)ことでなければならない。前者の「聞く」はただ漠然ときくことであり、後者の「聴く」は耳を傾けてじっくりきくということである。


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