〔連載〕思春期の子どもを持つ母親への心理学講座 その7「ダブル・バインド」としてのコミュニケーション

🔹ダブル・バインドとは

横文字の連載タイトルを付けたが、それほどむずかしいことを論ずるつもりはない。今回も肩の力を抜いてお付き合いただければと思う。
 
ダブル・バインド(二重拘束)とは、簡単に言えば、発せられる言葉と伝えられる感情(気持ち)が矛盾したまま同時に伝えられてしまうコミュニケーションのあり方のことをさしている。
つまりコミュニケーションの受け手が伝え手から二重のメッセージを受けとった際、どちらのメッセージが真意なのかを測りかねてしまい、身動きができなくなってしまった状態のことを、そう呼んでいる。
 
もともとこの理論は、統合失調症のクライエント(患者)をかかえる家族によくみられるコミュニケーション・パターンの一つだと言われているが(米国の文化人類学者のグレゴリー・ベイトソンが一九五〇年代に提唱した有名な説)、そこまで病理的な家族を引き合いに出すまでもなく、じつは、このダブル・バインド現象は、私達の身近な親子関係のなかで、日常茶飯事に生じている事態なのである。
 
🔹母親Aさんの場合

では、早速、卑近な例を用いて、その現象を説明してみよう。
母親であるAさんは、常日ごろ、我が子の前で学業成績にこだわるような態度を一度も見せたことはなく、ただ「身体さえ丈夫であればいいからね」と言ってきかせながら鷹揚な子育てをしてきた。
ところが、学期末の終業式当日にもらってきた息子の通知表(通信簿)を見て、前学期より少し下降したことにがっかりし、言葉には出さなかったものの、思わず顔を曇らせてしまった。
 
ふだん寛容な態度を見せてくれていた母親だっただけに、子どもは通知表を見せた際、母親の表情が変化したことに気づいて、それまでの母親の態度とは異なっていることを察知し、どちらがほんとうの母親の姿なのか困惑してしまったというケースである。
 
そのうえ、子どもは母親の矛盾に気づきながらも、思い切ってそのことを指摘したり、ましてや反論することもできず、いわば出口のない葛藤状態に陥っていくというプロセスを踏むことになる。
 
日常発している「身体さえ丈夫であればいいからね」という表向きのメッセージにたいして「顔を曇らせた」態度のことを、メタ・メッセージという。
このケースの場合、ふだん与えられているメッセージの背後にある意図的な本心が、このメタ・メッセージによって一気に表に発現してしまったかのように感じられるだけに、ことのほか当の子どもにとって、その戸惑いは大きいものがある。
 
とりわけ我が子に理解を示そうと努めている親御さんであればあるほど、自分でも気づかないところで、ダブル・バインド的なかかわりをしてしまうというのは、何とも皮肉な現象ではないだろうか。
 
次のような例ではどうだろう。
 
🔹母親のBさんの場合

母親のBさんの娘は、夏休みに友達と海水浴に行くため、水着を買いにデパートに行った。貯金していた自分の全財産をはたいての購入だったので喜びも一入だったが、帰宅するやいなや、「お母さん、どう?」と見せたところ、母親は思わず「また、そんな高価な物を買ってきて・・」と口に出したくなったが、その逸(はや)る気持ちをぐっと抑えて「あら、素敵ね」と応じてしまった。
そのとき、娘も何となく母親の気乗りのしない態度に気づいたが、その場はそれで済んだ。
 
このような母親とのやりとりのなかで、じつは母親の言葉は、表に現れた表情や態度とは一致せず、矛盾をはらんだままのメッセージとして子どもに伝えられたことがわかるだろう。ふだん私達親は、こんなふうに一貫しないダブル・メッセージを、どれほど我が子に向かって発してしまっていることであろうか。
 
では最初の通知表を受けとった場面では、どう対応すればよかったのか。日ごろ学業成績に一喜一憂しない寛大な受けとめ方ができていれば、それに越したことはないが、それがむずかしければ、むしろ我が子の前で、自分の受けとめた思いを率直に伝えたほうがよかったのではないだろうか。たとえば、こんなふうに。
 
「頑張ったじゃない。算数がちょっと残念だったようだけど、この調子で三学期も頑張れるといいね」
 
ただし、親の顔色をみて期待に応えようにしている子どもほど、自分でも苦手な科目で満足な成績がとれなかったことに、くよくよしがちだし、母親のその一言で、かえって神経をとがらせてしまう結果にならないともかぎらないから、応答の仕方には、それなりの慎重さが必要である。
 
しかし、少なくとも成績のことを一切こだわっていないふりをしながら、結果的には表情や態度などで本心をあからさまにしてしまうよりは、言葉に出して率直なメッセージを送るほうが、ずっとましであることは間違いない。
 
このように私達は、子どもとのコミュニケーションをとる場合、心で思っていることと話しかける言葉とが、あまりかけ離れているようなことのないよう、日ごろから注意しておきたいものである。

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