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生きるとは

生きるとはなんぞや?
僕の感覚値としては生きてしまってる。能動的な行為ではないから、主体性に意味がないのは明白だ。プランニングが必要なのは戦争が始まる前提だ。僕個人としては既に巻き起こってる。
無意識で手が動く。そんな感覚。美意識を重んじるのは幾分か裕福で、安全が保証されているからだと思う。こちとら無数に敵が斬りかかってくるので、その辺の石でも掴んで応戦するしかない。それが美しいかどうかなんて詭弁だと思う。日本を覆っているのはこのギャップ。どこまでいっても貧困が暴力を生んでいるので、そんなものはとっとと根絶すべきである。人を殴る人間は、人を殴る選択しかなかったのだ。

目の前の暴力に対して道徳で立ち向かえるのか?


そもそもこんな議論が通用しないんだから、もっと視野を広くするべきなのだ。それは悲しいとか楽しいとかでは語れない。所謂、損得や結論として落とし込めるものではないのだ。もっと汚れてる。「だからこそ前を向こう」なんてのはとんでもなく嘘っぱちで、前そのものが押し寄せてきてる。
勿論、傷つくし、疲れる。それそのものとして受け入れる能力が人には必要だと思う。

「かっこいい。」
これは非常に危険だし、幻想だ。

かっこいいもクソもないんだよ。とにかくやるしかない。スマートさにかまけてると手も足も出ないのが実情。冷笑や現状を補完してウケてる人間は死んでるも同然なんだ。見るのは目の前。目の前に何がある?鏡に映った自分を肯定できるのか?その解像度で現状を見れば、日本なんてヌルゲーなんだ。

故に外に目を向ける。何が起きてるのか?こんな隔離されたルールで自分を縛る必要はない。自由なんてものが通用しないくらい自由なんだ。だから恐れない。死ぬタイミングなんて何回もあった。それは全員フェアなんだ。生き残った者同士で乾杯しよう。また会える日まで。

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