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さまよえる客の透明な荷物 A Life With Bitter Happiness【丘の上の学校のものがたり ⑦】

Boy, you gotta carry that weight
Carry that weight a long time
                                     ~ Beatles “Carry That Weight" in Abbey Road  

000

あれは、1973年の3月の初めごろだったかと、丘の上の高校での卒業式のことを火曜日の昼下りの気怠く曖昧な眠気の中で思い出していた。

机に片肘をつき、手のひらにだらしなく顎を載せ、白髪だらけの無精髭をなぞりながら、半世紀前には少年だった男は、自宅2階のガラス窓の向こうに広がる無表情な曇り空をただ茫洋と眺めていた。眼の前には人家を越える高い木々たちがささやかに森の気配をつくり、空に突き刺さんばかりの高い梢は高所の緩やかな風に身を委ね静かに揺れている。小さな森の右には超巨大なパラボラアンテナの左端の一部が見え、昼過ぎだというのにもう夜に向かって少しづつその向きを変えはじめている様子がうかがえた。

飛蚊症や白内障が悪化してきている目にかかると、見ている光景の有り様をすべからく疑うようになる。今見ている風景は、自分が見ていると思っているだけの風景であって、ほんとの風景とは、違うんじゃないか。

老年に至ってからの記憶にも似たところがあるなと誰に言うでもないつぶやきが加齢により乾燥した唇の間から漏れてきていた。

「記憶の井戸」とはみごとな言葉で、ふとしたきっかけで、過去がたっぷり堆積した厚い地層を一気に貫いて、深いところに埋まっていた記憶にあっという間にたどり着いてしまうことがあり、そのスピード感は井戸に釣瓶を落としたときの一瞬気を飲まれるような感じに似ていた。しかも、驚いたことに、記憶の井戸の底には、瑞々しい地下水が湛えられており、釣瓶で汲み上げてごくりと飲みたくなってしまう有り様だ。

しかし、飛蚊症や白内障に罹患した目で眺める風景が、ほんとは濁って一部が欠けてしまっているのに、脳によって補修されてしまっているように、都合よく思い出され加工されている記憶がありそうだ。ほんとの風景が覚束ないように、ほんとの記憶というのも覚束ないが、一方では、正しい風景や記憶なんてものがあるんだろうかと老少年は退屈な午後にもやもやとした思いを巡らせているのだった。

001

卒業式を迎えるまでの3年間の丘の上での高校生活は、前半と後半では真逆というか、まったく別のものだった。突如目の前に投げ込まれてきた抑圧的な権力の不快さにあらがい排除しようとした前半と運良く排除できた後に訪れた出所不明の虚無感に向き合わされた後半。暗と明、不快と快というような相反する状態というよりは、歪に隣りあったふたつの季節であり、それぞれの季節に巻き込まれた少年もまた自分の中に出所の異なる居心地の悪い自分をいくつか抱えてしまったような気もしていた。

少年たちの高校進学と同時に同窓会から推されて赴任した校長代行は、自由の甘露を覚えたばかりの生徒たちに規則を一方的に押し付ける施策を行い、校内は、収容所か刑務所のように殺伐とした雰囲気となっていたのであり、その校長代行が、1年半で辞任した後は、彼が生徒職員に押し付けた規則は全部廃止となり、自由な雰囲気が戻ってきたものの校長代行時代の反動なのか、生徒たちにはどこか振り幅の大きくなった自由な振るまいが目立ち、不安定でどことなく落ち着かない状態が卒業式まで続いていた。

校長代行が伝統的な古い講堂を取り壊し、一昨年からはじめた新講堂建設工事は、校長代行辞任後も当初の予定通りに、まだ継続中で、建設現場から響いてくる乾いた音と埃っぽい匂いは、校長代行の専制時代の残響でもあり、校長代行辞任後の学校再建がまだ途上であることを丘の上の学校にただよわせていた。

大講堂が工事中では卒業生を全員集められる、これといった空間は校内にはなく、卒業式は、高校3年生の各クラスごとに各々の教室で各担任から卒業証書を授与される形でおこなわれることとなった。卒業式への出席を希望する父兄は各教室のうしろから見守っていた。

と言っても、卒業式に少年の姿は見あたらなかった。

002

卒業式の日、少年は東京を遠く離れ、京都にいた。

京都の大学の入学試験の初日だったのだ。

京都の大学の入試を受けるのは、進学校でもあった丘の上の学校の同級生のなかでもほんの数人であり、親しい友人たちは、東京の大学を受けていたため、少年はひとりでこれといった荷物も持たずに新幹線に乗り、京都へ向かった。

少年が京都の大学を選んだのは、何となく東京を離れてみたかったからだ。丘の上の学校でいろんな経験を重ねるうちに垢まみれになりくたびれた装いをさっと脱いで、どんな風に変化するかはわからないながら、新しい装いを内的にも外的にもしてみたかったのだ。
少年は、18歳という世間的には、まだまだ若い以前の幼さの残る年齢だったが、東京での人間関係や生活に飽きていたというよりも何か疲れてしまっているような心持ちだった。だから、ひとりで新幹線で西に向かうときも未知の土地での新しい体験に向かうことへの晴々しい気負いはなく、丘の上の学校での日々の次は暮らしたことのない京都での新生活が良いかもしれないなという漠然としたどこかぶっきら棒な淡々とした気持ちだった。

少年たちの学年の修学旅行が京都だったことも影響していたかもしれない。

003

1972年の春に高校3年生になり、ゴールデンウィークに行われる、伝統の狂乱の文化祭も終わったあとぐらいに、大学への受験勉強に取り掛かる前には、まだまだ高校生活で楽しむことがあるだろうと言わんばかりに、修学旅行はどうするんだという声が学年内で聞こえ始めてきた。

学校側教職員は、機先を制しようと、校長代行の退任後の混乱が学園のなかで続いており、修学旅行ができる状況ではないという声明をすぐに発表した。

しかし、当然ながら、そんなことで収まる生徒側ではなく、学校生活の思い出に修学旅行に行きたいというガリ版刷りのビラを数日おきにつくり、校内で配布し、家にも持ち帰ることを奨励した。父兄の同情を引こうというのだ。ビラ用のわら半紙が不足してくると、ガリ版の原版を壁に押し付けて、その上からインクローラーを回し、即席の壁新聞を校内に張り巡らせた。

このころの校内は、政治的主張や集会や会合を呼びかけるなどのビラがそこら中に散乱しており、タテカンもあり、壁にはテルアビブ事件についての政治的メッセージからギャグやゴシップまである脈絡のない落書きだらけというありさまで、昼休みは、ギター抱えて歌っているグループが音を掻き立てたり、政治活動の各セクトがビラまきしながら、ハンドスピーカーで宣伝活動をアジっており、その横ではハレクリシュナを踊っている連中までいる、わいわいがやがやと駆け回っている中学生たちもいたりと、とても少年たちの修学旅行を求めるビラや宣伝が目立つような雰囲気ではなかったのだが、一応自分たちの要求ははっきりしておきたかったのだ。

すると、高校3年の生徒たちが修学旅行に行きたがっているという話に父兄たちも気の毒がって賛同するようになり、学校側も再考せざるを得なくなり、ついには学年行事として正式に決定した。ほんとに修学旅行があるんだとびっくりしたのは、修学旅行に行かせてくれという宣伝活動を楽しんでいた連中だったかもしれない。

かくして、1972年の秋に、二泊三日の京都への丘の上の学校の修学旅行が実行された。

1日目は、夜に品川駅に集合し、修学旅行特別車両で1泊し、2日目の朝から3日目夕方に帰京の新幹線に乗るまでは、宿屋以外はすべて自由行動だった。なかには、3泊4日という偽の父兄向けの案内状を作り、親からお金をせしめて、しばらく関西で遊ぼうという計画の連中もいたようだった。

1日目の集合場所は、人で賑わう品川駅構内の明々とした光から外れた一角にあり、傷んで汚れたコンクリートの壁と床が、戦前戦中戦後にここに集まり列車に乗り込んでいった旅客たちのその時の感情がそのまま錆付いて残っているようなほの暗い場所で、そのほの暗いスポットのなかに人影が現れ、やがて300人ばかりの生徒と付き添いの教職員10人ほどがいくつかのグループに分かれ、ばらばらにたむろしていた。学ランの制服を着ているのは、3~4人だけで、ほとんどの少年たちは、セーターやブレザーの上にダッフルコートや皮のジャンパー、トレンチコートを羽織った、皆思い思いの装いで、その統一感のなさに応対に来た国鉄職員は戸惑ってしまっていた。

修学旅行用の車両は夜行の一般列車車両の後ろに連結されており、付き添いの先生方には、一般車両の先頭に席をしつらえてあった。生徒たちの車両と先生たちの車両との間には、数台の一般車両が挟まることとなった。鉄道に詳しいグループが設定したのだった。

生徒たちは、親しいグループに分かれて車両を陣取っていた。品川駅を発車してしばらくして始まった修学旅行用の列車のバカでかい喧騒は真夜中近くになっても止まなかった。少年は面白くなって各車両を見て回った。真面目な連中、明日の自由時間に備えて健気にも寝ようとしている連中は、一般車両に近い前の方の車両におり、列車の中で宴会をやり続けるんだという連中は、後ろの方にいた。さすがに、どの車両でも修学旅行に興奮して起きている連中ばかりで、だべっていたり、トランプゲームやマージャンに興じていたりしていた。一番後ろの車両では、数人が化粧を始めると面白がってわれもわれもと化粧を始め、女装する連中まであらわれる騒ぎで、少年も噂には聞き、話題にもしていたが、やはり、化粧をし女装する同級生たちには新鮮な驚きがあった。付き添いの先生どころか、車内車掌までも来なくなってしまっていた。

何とか、翌朝京都駅に到着すると、修学旅行生たちは、6~7人からなるグループに分かれ、それぞれの目的地へと飛んでいった。

少年は、文化祭や反校長代行運動のなかで特に親しくなった7人とグループを形成していた。共通点があるようなないようなグループだったが、イベントにはまとまりをみせ、いち早く京都大学出身の先生を顧問にすえ、先生とともに先生が推奨する栂ノ尾にある紅葉茶屋へ出かけて宴を張っていた。京都をよく知る先生のおすすめだけあって、深山の谷間に切り込むようにたてられた茶屋から、何種類もの樹木の紅葉に彩られた渓谷が風や陽の光で姿を変えてゆく様はまったくみごとなもので、東京でガサツな生活をおくる少年たちは、谷に突き出した炬燵にあたり先生にお酒をすすめながら見とれてしまうのだった。

少年のグループは、京都の奥座敷のひとつで、動く屏風絵を堪能した後は、市内に戻り、京都大学の友人に会いに行く先生とは別れ、イベント好きの友人に導かれるままに、市内にある黄檗宗などの珍しい寺を周り、最後は琵琶湖の夕陽を見に、比叡山の頂上をめざすこととなった。
市内から、電車、ケーブルカー、ロープウエイを乗り継ぎ、だんだんと木々が深くなり、空気がしんと冷えてきて、浮ついた高揚感が冷まされてきたころに、やっと比叡山の頂上に到着した。慣れない乗り物のなかに長くいたことや昨晩からの疲れがでてきたこともあり、眠気とともに心身はやや縮んでいたが、目の前に出現した琵琶湖の雄大な存在感に圧倒され、宏大な風景に飲まれてしまうような開放的な高揚が少年のグループを包み込んだ。少年たちは、その高揚感を静かに抱きながら、指定された宿屋へと戻ったのだった。

他のグループもいろいろで大阪神戸に行っていた連中もあり、そのまま指定された宿屋に来ない連中もいた。パチンコなどのギャンブル好きにも、都心でならしたナンパ師たちにも、それぞれの仕事があるようだった。

少年のグループは、翌日は市内を気ままにさまよい、学校から指定された新幹線で帰京したが、なかには、計画通りに帰京を延ばし、さらに西へ向かった連中もいたようだった。

京都修学旅行は大学入試のときより半年ぐらい前だったが、そのときには、少年のなかには、京都に住んでみたいとか住んでみようという思いは全くなかった。ただ、市内をめぐっていた時にたまたまバスから見えた大学があり、少年の知っている東京の大学よりも空が広く感じられたことはあった。少年が丘の上の学校に入りたいと初めて思ったのは、土がむき出しの大きなグランド、丘の上にあるので空が大きく広がっている開放感のあるグランドを眺めたときだったので、修学旅行での点景が、少年の心に京都で住んでみたいという気持ちの種を植えつけたのかもしれなかった。

004

大学受験のための京都の宿は、町の中心部にある昔ながらの日本風の宿屋だった。普段は、面倒なことをあまりしない父親が珍しく自分で予約してくれた宿だった。若いころに京都で過ごしたことのある父親には、何か思いがあったのかもしれない。

和風の建物が連なる街路から冠木門をくぐり、水を打ってある敷石を踏み、玄関に入るときれいに磨かれた式台と奥の窺い知れぬ廊下、そこに目立たぬようにおいてある手入れのゆきとどいた鉢植えが目に入ってきた。奥に向かって声をかけると小柄で地味だが上品な着物姿のいかにも女将さんらしき映画女優だったような女性が現れ、その後ろには、少し大柄な女性が働きやすそうな着物姿で背を丸め女将さんより目立たぬように付き添っていた。

女将さんに名を告げると見事なまでににこやかに返礼され、すぐに後ろの仲居さんを紹介され、少年の身柄はたちまちのうちに、大柄な仲居さんに委ねられた。映画やテレビでしか聞いたことのなかったきれいな京都弁の言葉遣いと少年を導くしなやかに流れるような仕草の連続は、東京のガラの悪い地域に育った少年には、どこか現実離れしているように感じた。

二階の部屋へと誘導してもらいながら、あれこれと京都弁で聞かれたことを懸命に聞き取り、答えるのが少年には精いっぱいで、東京の自室の数倍はある広い部屋に案内されても、この慣れない状況のなかひとりでどうしようかとぼぉ~としてる状態だった。

さすがに、そんな少年を見かねたのか、仲居さんが大学の下見をしてきはったらどうですとすすめるので、それもそうだと素直に出かけることにした。

大学は宿屋から歩いて、橋をわたり、川沿いにしばらく行ったところにあった。大学に近づくと政治的メッセージなどが盛られた立て看がたくさん見えてきてごちゃごちゃしだし、学生が往来する雰囲気になってきた。歴史を感じさせるレンガ造りのしっかりとした正門を入ると広場があり、正面に古い時計台を上部に載せた、大きな威厳のある建物があった。その周りにも、立て看が乱立しており、ヘルメットを被った学生たちによるデモ隊がいくつか、広場のなかをうねっていた。少年にとっては、ある程度見慣れた風景であり、親近感すら覚えるものだった。

大学の周りをぶらぶらして、古風な宿屋に戻れば、また、万事が仲居さんに先導されるありさまだった。
言われるままにひとりで木の香りのする風呂に入り、湯船から見える二坪ほどの庭には、薄い赤と白の花弁の花がぽつんと咲いていた。
夕食になると、隅の方には灯りが充分には届かず薄い闇が四方にあるような広い座敷で、ひとりぽつねんと座る少年の前にお膳が用意され、すぐ近くのお櫃の横には仲居さんがちんまりと座っており、ひとりだけで飯を食らいそれをひとに見られているともいえる状況で、少年はお尻がもぞもぞしてどうもどんと座ってはいられなかった。

仲居さんはあからさまには食事中の少年に視線をむけないにしろ、少年の動きを逐一観察していることは間違いなく、ご飯のお代わりや湯呑へお茶を入れるタイミングも抜群だった。少年は、黙っているのも気まずいような気がして仲居さんに小さな声で話しかけてみた。仲居さんは、待ってましたとばかりにメリハリのある見事な京都弁ですらすらと最近の大学生はすぐに学校で棒を振り回してどうやらこうやら、学生さんは勉強せんとあかんですねとか、少年の苦手な話になったので、曖昧な相槌を打ちながら食事をすることとなった。


ただ、この仲居さんにはさすが老舗旅館の仲居さんらしく客に会話の中に安心感をもたらすあたたかい配慮があり、少年はだんだんとほぐされ言いたいことを喋りだし、古風な空間と雰囲気に一方的に圧倒されることにならずにすみ、自分を少しは取り戻すことができはじめたのだった。

005
大学入試は、二日間にわたって行われ、試験が始まれば、東京も京都もなく、集中するだけだった。

初日の試験が終わり、試験会場の校舎を出て大勢の受験生に混じり時計台前の正門に向かう頃には、試験で熱くなっていた頭と身体も冷め始め、試験の出来の心配が湧き上がってきたりで、東京の街頭に比べて、そこらに暗がりがありそうな古風で知らない街中をこれからひとりで歩いてゆくのが何だか心細くなってきていた。

ちょうど時計台の前の正門あたりで、前を行く受験生の群れのなかに、見おぼえるのある特徴的な後姿を少年は発見した。
中背で楕円のやや横太り体形で丸型の頭、手から提げている鞄を前に開くようにゆらしながらがに股風に歩き、頭は左右に動かしてそれとなく辺りを窺っているような、いかにも政治活動家の気配! 

卓球部の1級上のナカヤマさんじゃないか!?

「ナカヤマさ~ん!」1日中あまり開くこともなく、すっかり渇いて冷えきっていた口元から言葉が発せられた。

振り向いた顔は、まさにナカヤマさんだった。

どっから声がしたんだときょろきょろしていたが、すぐに発見され、少年は、大きな匿名集団の中で突然名前を呼ばれた。

「あれ!お前、こんなとこで、何してるんだぁ!」と、いつも通りの勘高い声が訝し気ながらも、嬉しそうに返ってきた。知らぬ土地の夕暮れの雰囲気にのまれて縮んでいた気持ちが、一気に膨らんだようだった。

「何してるって、どう見たって、僕は、受験生でしょ!それより、ナカヤマさんこそ、どうしたんですかぁ!?!」
「う~ん、ちょっと京都の大学に興味あってな、受けてみたんだよ。試験はできたか?」
「きっと、ダメだと思います。どうも数学が上手くいかなかったです。この1年というか、(校長)代行を追い出した文化祭前後から、ほとんど勉強やってなかったですから。」と、つまらない言い訳をしてみると、
「俺たちは、何と言っても現役だからな。おい、来年また来るかァ?」現役を何気なく強調したナカヤマさんからは、あいかわらず不思議なユーモアが伝わってきた。

「京都は今年だけで、来年は、東京の大学に行くという約束が親とあるんで、来年は京都には来れません・・・」
「そうか・・・それじゃあ、せっかくだから、ちょっと賀茂川あたりでも散歩してみるか。」

ということで、思わぬ出会いのままに、卓球部でさんざん世話になっていたナカヤマさんと底冷えのする暗闇が忍び寄ってきている賀茂川べりへ向かうことになった。

賀茂川べりまで出るとさすがに受験生の群れは散逸し、受験生の群れに混じって追い立てられるように歩く必要もなく、少年はナカヤマさんと少し余裕をもって肩を並べて歩けるようになった。
と言っても、卓球部後輩としての昔からの習慣でほんの少しだけ後ろを歩くのだが。

それにしても、奇縁だ、と少年は思った。丘の上卓球部の初めての土曜日練習の時に、近くのそばやに連れてってもらい、他の店の昼飯事情を聴いたり、卓球部や丘の上の学校のしきたりみたいなことを手取り足取り教わった先輩に、丘の上の学校からのいわば出口ともいえる場所でも、こうして出会ってしゃべることになったからだ。

006

ナカヤマさんは、高校2年生を2回やっている。ナカヤマさんの強靭な正義感は、当時の校長代行に向けられていたので、政治活動家として、目をつけられての懲罰的な処分を受けたと聞いていた。
少年とは同じクラスにはならなかったので、学期初めに、気になって様子を見に行くと、既にクラスのなかで周りの連中と歓談しており早くも少年の学年に馴染んでいるというか仲間を作ってしまっている姿に、さすがだなと思ったことがあった。

校長代行が退任した後は、学校内は、規則締めだったことへの反動もあり、生徒それぞれのきままないかれた行動やちょっとしたバカ騒ぎが時間や場所を問わずそこら中で起きていた。

少年の学年の教室が並ぶ校舎の一画で、各教室の廊下側にある木枠マス目の2メートル四方ぐらいのガラス窓2枚づつのうち1枚がなぜか紛失している教室があった。それが露見したのは、窓ガラスが必要になるくらいに寒くなってきた季節だった。どの教室の廊下側窓ガラスの1枚が最初になくなっていたのかはわからなかったが、いつのまにか各クラスによる窓ガラスの奪い合いが始まった。

最初は放課後にそっと隣のクラスの窓ガラスを貰いに行っていたようだったが、やがて窓ガラスの争奪戦は様式化され、昼休みになると廊下に並んでいた生徒用ロッカーを倒して、廊下にバリケードを作って窓ガラスをめぐってお互いの陣地からやり合うようになった。クラス全員が参加するわけもなく、15人くらいが、ヘルメットを被り、銀玉鉄砲を用意して、横倒しのロッカーを陣地にして撃ち合っていた。雪合戦の銀玉鉄砲版とでもいうものだった。
もちろんそのころになると、肝腎の窓ガラスのガラスは割れてなくなり、木枠だけの窓となり寒さ除けではなくなっていたのだが、取り合いの対象になっていた。別にルールがあってやっているわけでもないので、銀玉があたったから退場というわけでもなく、少年には、よくわからない昼休みのゲームだった。

熱心にやっている連中もおり、昼休みになると、行くぞぉと大声で呼びかけて、廊下に出て並んでいるロッカーを横倒しにして陣地づくりを始めるのだった。

偶々その時間に学校にいてしかも教室にいたときに、少年を当然参加するものだと思っている連中からヘルメットを渡され、廊下へ押し出されてしまった。

しぶしぶロッカーのバリケードに入り、隣の教室の前に築かれたロッカー陣地を眺めてみると丸い頭に丸いヘルメットのややふとり気味の男子が片手に小ぶりの棒をもって振り回し景気よく指揮をしている姿が目に入り、彼の少し高音の声が届いてきた。
明らかに、ナカヤマさんである。まるで、パリコミューンのバリケードの先頭で指揮しているように勇ましい姿は、その場に似合い過ぎていて何だかとても微笑ましかった。

後で、隣のクラスの生徒に聞いてみると、昼休みになるとナカヤマさんのところにヘルメットを持ってゆく係までおり、将校指揮官待遇だそうだった。本来の面倒見の良さが発揮されて、いつのまにかまわりの後輩を自分流に手なづけてしまっているようにみえるところがナカヤマさんらしく笑えてくるのだった。

007

「ナカヤマさん、今日は、ぼくたちの学年の高校の卒業式があったんですよ」
「・・・」
 少し冷えてきた風で波が立ち始めた賀茂川でも見てるのか、返事がない。
「学校には、ほとんど行ってなかったけど、卒業式ぐらいは、出たかったですね。」

「・・・、何を言ってるんだぁ」と一気にトーンが上がった声が返ってきた。
「えっ」
「お前、俺たちは卒業したと思ってるのか!?」
「えぇ~、卒業できなくて、まだ、しばらく学校に行くんですか?」

ナカヤマさんは、呆れ気味に少年の方を向いて
「お前、わかってないなぁ。」
「はぁ~、わかってないんすかぁ・・・」少年は、この人は何を言い出したんだと思っている。

「いいかぁ(独特の後ろ上がりの高音)、俺たちは、卒業したんじゃなくて、追い出されたんだよ!卒業なんかしてないぞ。」
「えっ、そうですか、立派にとはいえないけど、いちおうは卒業したんじゃないですか。」

「お前な、自分のことを思い出してみろよ。だいたい、卒業できる出席日数に足りてると思うか?!」
少年は痛いところを突かれた。
「正確な数字はわかりませんけど、足りてないことぐらいはわかります。」

「そうだろう。出席日数は卒業には足りてないんだぞ。出席簿を調べようにも、誰かが焼いちまっていて、跡かたもない。試験をすれば、全部とは言わないが、優等生の回答がいつの間にか教室中に回っていて、クラス全員が同じ点を取るなんてこともあったろ。学校に来ない連中は普通にいたし、遅い朝にやってきて、早い午後にいなくなるか、学校にいても校内のどこかに行っちまって教室にいない連中もいたなぁ。」
こうも痛いところを並べられると素直にならざるをえない。

「ほんと、そうでしたよね。けっこう、気ままに自由にやらせてもらいました。」
「だけど、学校としては、こんな生徒たちをいつまでも学校においておくわけにはゆかないんだ。当たり前だろ。」
「すると、卒業っていうのは、追い出すのに最高の名目だったわけですね。」
「そうだよ。追い出されたことはわすれちゃいけないんだ。もちろん全員が全員、そうだったわけじゃないけどな。学校で何があろうと、真面目に通学しつづけた生徒もいっぱいいるはずなんだ。」
いるはずなんだ、という言い方に笑いそうになった。ナカヤマさんだって、学校に行ってないからだれが行っていたんだか知らないわけだ。

「わがままし放題の生徒たちを見守ってくれた先生たちと学校で何が起きていようと通い続けてくれた同級生たちに感謝ですね。」
「そういうことだな。まぁ、お前とかオレは、追い出されたクチだな。」

008

校長代行が退任し、古参の教師だった新校長のもとで新しい体制づくりが始まったときから、妙な空虚感が校内に漂いだし、無政府状態のような雰囲気になっていった。
校長代行を追っ払うという目的が達成され、とりあえずの目的喪失の症状だったかのかもしれないが、校長代行の暴力的な支配に憤って戦っているあいだには、見えなかった、もっと自分たちの奥底にある、ニヒリズムとアンニュイ感がじわじわと噴き出して浸透していたかった感じだった。

少年は、この妙な空虚感を初めて感じた時の光景をよく覚えていた。

1971年10月の文化祭終了後に始まった46日にわたるロックアウトが解除された後に、11月の小雨降りしきるグランドで二日間にわたって開かれた、校長代行参加の全校集会が暗闇に包まれ出したころ、ひとつのきっかけで、生徒たちの校長代行へのこれまでの押し殺してきた怒りの情念が一気にあふれ出す騒ぎとなり、校長代行は教師たちに引きずられるように一端集会の場から抜け出した校長代行は、その後に生徒や職員が見守る中、辞任を約束した文書を記すことが行われ、生徒たちの大歓声の中、1年半にわたる校長代行の専制体制は終わりを告げた。
校長代行の退任が確かとわかるとグランドから事の成り行きをじっと見つめていた生徒たちの至るところから大きな歓声が上がり、傍にいる生徒同士が喜び合うという光景がグランドに広がっていった。少年の周りも大騒ぎになり、俺たちは勝ったんだ、勝ったんだと叫び合って肩たたき合い、転げるように喜んだ。ほとんど知らない、同級生たちや下級生たちもやった!やった!と声をかけあいながら、駆けずり回る騒ぎだった。

その翌朝、学校へ行くと校内には、前の日から続く、騒然としたそこはかとない空気が流れており、先生たちは、昨夜から会議を続けているらしいし、生徒たちはなすすべもなく、大勢が教室から飛び出して、廊下や階段の踊り場、グランドや体育館前などで、勝手気ままに群れては散開するようなことを繰り返していた。

少年は、一緒に戦った気心の知れた仲間たちと体育館前の広場にある焼却炉を囲んで、あるものは立ったまま、しゃがみこんでいるもの、どっかから持ってきた椅子にかけているもの、路上に面倒くさそうに座り込んでいるもの、各自気ままな格好で数人でもって、これからどうなるんだろうと先の見えない話を繰り返していた。もしも、校長代行が復帰してくることがあれば、文化祭以後は、反校長代行として目立った動きもしていたし、場合によっては俺たちは退学か、みたいな話である。

このときの丘の上の学校を俯瞰した屏風絵にでもしたら、教職員や生徒たちが、いくつものグループに群れては散開を繰り返し、踊っているかのように校内の各所を動き回り、そのすぐ横では、教室のなかには自分の机に座って、成すすべもなくぼぅっと辺りを見回したり、自習したりしている連中がいるし、屋上のあちこちでは煙草を吸っていたりする連中、あらぬ方向を見て茫然としている連中、一生懸命に弁当を食べはじめている連中、新聞を熱心にいる連中、ガリ版でもう政治ビラをすり始めて蒔く準備をしている連中、卓球やバスケ、サッカーなどをのびのびと楽しんでいる連中、そういう気ままな連中が、それぞれ好き勝手に真面目に遊んでいる様子が画面の隅々にまでうかがわれただろう。

少年は仲間たちと出入口のゲートの前の焼却炉から、体育館の前の小さな空間で、そこをはしゃぎながらグランドの方へあるいは逆に校舎の方へ通り過ぎてゆくいくつものばらばらな集団を観ていた。まだ中学1年生らしい集団は、体の小ささと制服の綺麗さで一目でわかった。子犬の群れのように転げまわっている彼らを見ていると、何だか自分たちが急に役目を終えて定年を迎えているような疲労感に襲われた。実際、この学校のなかでは、もう卒業に近い定年になりつつあったのだが。

仲間のひとりがつぶやくように言った。
「俺たちが目指していたのはこういうことだったのだろうか。」

だれも答えないまま、他のひとりが言った。
「校長代行の追い出しには成功したってことなんだと思うが・・・」
間をかなりおいて続けた。
「戦いに勝ってとても嬉しかったけど、その嬉しさが全然長続きしないんだよな。」
さらに、誰かが言った。
「ぺらぺらの嬉しさって、ことがばれた・・・気づいたか。」

そのうちに、誰かが、目的を達成して次の目的がないってことないんじゃないのと、深夜放送に出てくる、青春をことさら熱く語る評論家みたいなことを言い出し、さすがに気恥ずかしくなったのか、しゃべるのを途中で止めた。ぼつぼつと途切れながら、茫洋とした手さぐりの会話は続いた。

少年は、周りの会話を聞くともなく聞いていて、勝利感がないことは確かだと思った。そして、どう表現すればよいのかわからない虚無感みたいな得体のしれない気泡が体の中に広がってゆくのを感じていた。

少年たちは、高校2年をあと4か月ばかりやれば高校3年生になり、丘の上の学校とのかかわりは、今までと違って薄くなってしまう。だから、余計に、校長代行がいなくなった、さぁ、自分たちの新しい学校を作ろう、なんていう気が起こらないのは当たり前だと思っていた。

しかし、この虚無感の実体は、そんな客観的な状況観測で収まるものではなく、もっと、自分たちの生きていることに直接つながっているようだった、厄介なことに。
まるで、校長代行との戦いは、内側に生じてきた虚無感を隠すためにあったんじゃないかとさえ思えてくるという妙な感覚が自分たちの内側から漠然と現れてきていた。

009

「ナカヤマさん、俺たちは、よくまぁ、校長代行との戦いに勝てましたね。」
「そうだな・・・」
ナカヤマさんは、何か思い出したように黙り込んだ。

「ほんとに勝ってたかどうかは、まあ・・・置いといて・・・もし、勝っていたとしたら、何が上手くいったんだと思う。」また、語尾が上がった。

勝ってたかどうかはわからないとナカヤマさんは、また、不思議なことを言い出したようにも感じたが、少年はそこには深入りせずに答えることにした。

「二日目の全校集会の最後に、ある切っ掛けでグランドにいた大勢の生徒たちが校長代行に群がるように押し寄せて、生命の危機すら感じたかもしれない校長代行が自分で辞任する確約書を書かざるを得なくなったことがありましたが、あれではないですよね?」
「そうだね、あれじゃないな。ところで、お前は、校長代行に何百人にもの生徒たちが押し寄せた、あのとき、どこにいたんだ?」

010

あのとき・・・かぁ・・・

老少年は、2階のガラス窓から陽が陰り始め、黒々としてきた森を眺めながら、不意に甦ってきた感触、後ろから羽交い絞めにされ背中にだれかの肉体が張り付いてきた湿気のある感触を煩わしくも思い出しため息をついていた。老少年の肉体は、加齢により乾き、社会人の一線から引いた身に訪れた環境も、また、乾いていたので、この湿度の高い感触の再現は、幻覚とはいえ、老少年にとり、自らの肉体にまだ潤いが残存しているかのような慎ましい喜びをもたらしていた。

1971年の秋の文化祭終了後の翌々日の10月5日から始まった46日間にわたるロックアウト解除後、間に日曜日をはさんだ11月13日の土曜日と15日の月曜日の2日間にわたって、小雨が降るなか、全校生徒の大半がグランドに集まり、校長代行との対話集会が開かれた。あとで当時の写真を見ると、少年と同学年の知り合いは、ほとんど参加していたし、中学生から高校生までの各学年、教職員の大多数がその場におり、食い入るような眼差しで事態の推移を見守っていた。

10月3日の文化祭の最終日、校長代行の学園生徒たちや教職員に対する強権的な独裁制に反対を表明する生徒有志によるデモ隊の到着をまっていたかのように、校長代行の要請により二度にわたって機動隊が校内に導入されたが、二度とも、文化祭に参加していた生徒たちや来場者により、校外へ押し出された。

そして、翌日、10月4日の登校日には、大勢の生徒たちにより校長代行との対話を望まれたが、校長代行はこれを拒否し、生徒たちや教職員へ校外への退去命令を発動した。そして、校舎の奥に身を潜ませたまま、機動隊の出動を要請し、完全武装の機動隊が、教職員、大勢の生徒たちのいる校舎をぐるりと囲む事態となった。完全武装の機動隊が盾をかざして校内に突入してきたときに、非暴力の立場をとり、身を寄せ合って座り込んでいた生徒たちや教職員は、機動隊員によりひとりひとりごぼう抜きに合い、校外へ押し出された。学校の周りの商店街や車道では、校外に追い出されても学校を囲んでいた生徒たちとかれらを散らそうとする機動隊員との小競り合いが学校周辺のあちこちで起こった。このときに、生徒たちが機動隊に捕まらないように店内や住宅に引き入れかばってくれたのは、生徒たちが普段から世話になっていた、パン屋や飲食店のひとたちだった。校長代行は、警察に対して、文化祭でのデモ隊やその後の騒ぎに参加していた生徒への逮捕まで要請していたので、機動隊は退去命令に逆らう生徒たちを逮捕しても構わないという姿勢を前面に押し出して、生徒たちを追っかけまわしていた。

翌日から始まったロックアウトで、校長代行は、生徒たちや教職員、父兄の前からは姿を消していたが、ロックアウトによる授業の停止がこれ以上続くと、在校生全員が留年になるかもしれないというギリギリのときに、高校3年生だけを集め、ロックアウトを解除する旨の説明会を校外で開いた。
その場で、事態の収拾に向かい、具体的な解決策を明らかにすることができない校長代行に、自分たちの卒業がかかっている高校3年生たちは呆れ果て激高し、ロックアウト解除後に直ちに校長代行が出席する全校生徒との対話集会を開くことを約束させたのだった。

これをうけて、11月13日土曜日のロックアウト解除当日に校長代行との対話集会が、全校生徒のほとんどが参加する勢いで開かれたのだった。

ロックアウトの施錠が外された校門のそばには、キャンプ用のテントが張られ、中では、ふたりの高校3年生が校長代行の辞任を要求して断食を始めていた。テントの周りには、かれらの安全を見守る生徒が陣取り、父兄でもある医師が定期的に付き添い、校門わきのテント周辺は、物々しい雰囲気を校内にはなっていた。

少年は、断食を始めた先輩のひとりには、現代美術についていろいろと教わっており良く知っていた。この先輩は、常にクールな知性派でこのような過激ともいえる行動をいきなりとるタイプには見えなかったので、ロックアウト解除後に校内で今起きている事態がただならないものであることをあらためて思い知らされていた。

校長代行との対話集会を本来ならば行える、多人数を収容できる旧講堂が取り壊し改築中で使用できないために、大勢の参加者を収容できる場所は校内の建物にはなく、野外の広いグランドで行われることとなった。
朝からの小雨は、土のグランドのところどころに水溜まりをつくり、グランド自体を泥状化しつつあり、足を踏み入れた少年たちの靴は、たちまちに泥だらけとなり、水分を吸い上げた分、時間が経つにつれ、どんどん重たく冷たくなっていった。
校長代行は、体育館の軒下に設えた壇上に居座り、雨を避けながら、生徒たちの必死の発言に、のらりくらりとした答弁をし続けた。夕刻が過ぎ、グランドが真っ暗になっても事態は変わらず、翌日は日曜のために翌週の月曜日に二日目の集会を行うこととなったのだった。

11月15日月曜日、校長代行との対話集会二日目もときおり小雨が降っていたので、傘をさしたり、レインコートをはおったりしながらも、参加人数は教職員、生徒とも1日目より膨れあがっており、前回と同じく体育館の軒下の檀上にいる校長代行には、厳しい視線と激しい発言が投げかけられた。
対話集会は、校長代行と生徒たちとの対話というか討議というか事実確認問答というか、あれこれと揺れ動き、途中で議長団も辞任し、新しい議長団がつくられるなどで混迷していった。

雨が降り続くなか、朝から続いた対話集会は夕刻近くになり、生徒たちは、長時間中腰や立っていたためいよいよ疲れてきて、濡れたグランドに座り込む生徒まで出てきていた。丘の上のグランドは周囲からだんだんと薄暗くなり、夜が近づくなか、埒の明かない問答を繰り返す校長代行の答弁に、生徒たちの焦燥感は心身ともに頂点に達しようとしているかのようだった。

そのとき、グランドからは右手奥に見える校門の方からグランドへの階段を一気に駆けおりて、壇上の校長代行に向かって、ひとつの影が弾丸のように走りながら叫んでいる声が生徒たちでひしめくグランドに響き渡った。

「そこで(校門のすぐ外で)警官に(文化祭に乱入したデモ隊のリーダーが)逮捕されたぁ!!!」
と重く淀んでいた空気を張り裂くような声が聞こえてきた。

校長代行の警察への要請で逮捕状がでていた、生徒のひとりが、清涼飲料水を買いに校門を出たところで、待ち受けていた警官に逮捕された、ということだった。

その声を聞くや否や、集会に参加していた生徒たちが一斉に、座っていたり、中腰になっていたものが立ち上がり、そのまま校長代行に向かって黒雲の塊のようになって突進しだしていた。それまでは、暗がりの中で細かく揺れ動くくらいで、夜の海面のように見えていた集団が、一気に膨れ上がり津波のように前へ進みだしたのだ。イナゴやバッタの群れが一か所に向かって折り重なるように向かって行くように、数えきれないほどの黒い影が校長代行に向かっていったのだった。

少年も反射的に立ち上がり、大きな波に身を投じ、校長代行の方へ駆け出そうとした。そのときに、うしろから少年の名前を叫んでものすごい力が少年を羽交い絞めにしてきた。熊にでも後ろから掴まれたように少年は動けなくなった。

少年が動けないながらもなんとか前に行こうともだえていると、今度は少年の目の前に、制服の上に紺のレインコートを羽織っている小柄な人物が現れ、折り畳んだ長い傘を振り回しながら、「暴力はイケましぇん!!!」と何度も少年に向かって全身で絶叫しはじめた。短い髪を振り乱して、高音で端正な声をあげながら、少年の前を行ったり来たりしている。この小柄な人物は、少年に言い聞かせながら、実のところ、自分自身にも言っているかのようだった。

熊のような男に羽交い絞めにされたまま、目の前のどこか気高さも感じさせ絶叫している生徒を少年が見ているうちに、校長代行に向かっていた大きな黒い群れがたてる波も少し落ち着いてきていた。

後ろから羽交い絞めしていた男は、腕をほどくと少年の前に回り、温かい気配のする声で、すいませんとぼそっと言って少年を見た。前で傘を振り回し絶叫していた人物は、もともとそうであったらしい小柄で華奢な紳士を思わせる風情で、ぼろぼろになった傘で地面を突きながら親し気に話しかけてきた。ふたりとも、少年が昨年まで所属していた卓球部の後輩だった。少年は自分のすぐ近くにかれらがいたことにまったく気付いていなかった。彼の傘は、ボロボロになって骨に布切れがかろうじてついているような状態になっていた。

短い時間だったのか、長い時間だったのかは皆目わからなかったが、この騒ぎの中で、少年たちも呑みこんでいる黒い影の群れの中でいろんなことが起きていたことをそのボロボロの傘は示していた。

数人に支えられながら、よろよろと歩いている校長代行の姿が前の方に見えていた。やがて、校長代行は、この寸時で露わになった疲れて荒廃した顔と自らでは立てなくなった体を曝しながら、かすれたような声で自らの辞任を彼の目の前で静かな波を立て揺らいでいる大きな黒い影の群れに表明した。
校長代行の野蛮で恥知らずな行為に散々痛めつけられてきた生徒たちは、辞任表明だけでは納得できず、その場で辞任表明を紙に記し、署名することを求め、校長代行はその要望に従った。辞任届を紙に書いている校長代行の姿は、生徒たちにより、きちんとした証拠として写真にも撮られていた。辞任表明を紙に書くことになったとき、紙はあったが筆記具がなく、すぐ近くにいた文化祭の庶務部門長のジュタが自分のボールペンを貸すほどに、現場は混乱していた。

そして、校長代行の辞任表明がこうして多くの生徒たち教職員たちの眼前で証拠立てて行われたときに、すでにすっぽりと暗闇に包まれていたグランドで校長代行の一挙一動をじっと見守っていた大勢の生徒たちの身体から爆竹のように発せられた歓声と怒号が響きわたり、丘の上の大気を揺るがせていた。

長く苦しかった闘争が終わったのだった。

雨に濡れたグランドは、一面の浅い泥状になり、多くのひとの足跡がそのまま無数の水たまりとなっており、体育から漏れてくる光が、みずたまりのひとつひとつを鈍く照らしていた。泥面に映えるたくさんのゆらめく光の上で大勢の生徒たちが歓びを分かち合って、うごめいていた。

少年は、他の生徒たちと同じように、泥の水たまりだらけのグランドに立ち尽くしていた。

その少年の眼に、100メートルほど離れた校門の前でたかれた強いフラッシュ、強いライトの光が飛び込んできた。校門の横でテントを張って、校長代行の辞任を要求し、断食をしていた先輩たちが要求実現でもぞもぞとテントから出てくるところだった。暗闇に出現したスポットライトのなかで、断食していた先輩たちは、ことさら大げさに喜ぶ姿をするわけでもなく、淡々と歩いており、その姿に少年は妙な安心感を覚えるのだった。

011

「あの雨の薄暗がりのなか、校長代行にわぁ~と大勢で押し寄せたときに、羽交い絞めにあっていたのか!」
「ええ、卓球部の後輩たちにです。ざまぁ、ないですよ」
「今日のオレと言い、どこまでも卓球部がついてくるよな!おまえには!さ。」
「全くですよ。だいたい、あの文化祭の翌日(10月4日)に、あの鬼の四機(第4機動隊)が校舎をびっしりと囲んだとき、屋上からみてたんですけど、文化祭の時とは打って変わって、完全武装した、当時最強と言われていた機動隊員たちが学校を囲み狭い道を塞ぐようにずらっと並んでいるのを見て、さすがにぶるぶるって体が震えたんです。
で、隣をみたらですね、卓球部の顧問だった先生が同じく機動隊を見ていたんですよ、あの不思議な眼で。」

ナカヤマさんが目を細めて、ほぅっという顔をした。

012

「機動隊が来たぞぉ!!!」という声が校内を駆け巡ったのは、文化祭終了翌日10月4日の夕方だった。

「おっ、先生、そこにいたのか!先生は60年安保のときからの闘士だもんな。」
「こっちはですね、最強の機動隊がヘルメットに長い警棒、大盾に戦闘服という最強の装備で来やがって、どうするんだ!闘うのか、とか、思って、何だかぶるぶる震えてきていたわけです。校門に続く道にびっしりと並ぶ戦闘服の機動隊の映像が、もう、いきなり網膜に突入してきたという感じでした。機動隊を屋上から見てるなんていう距離感はなくなってましたね。」

「そうだよな。怖いとか、そういうことでもないんだよな。でも、こう体がぶるぶるしてくるんだよな。」
「それで、隣の先生を見たら、あのどちらかというと小柄な先生の背筋がピンとして、重石が入っているようにどーんとして、機動隊を眺めていたんです。」

「そして、あの目だったんだな・・・」
「そうなんですよ。先生はいつもいつもどちらかというと面白いことを言って皆を笑わせるキャラクターじゃないですか、でも、すごく真面目な話や怒ったときとかは、目が透き通っていって少し大きなガラス玉のようになるじゃないですか。その目になってました。」

「そりゃ~」ナカヤマさんの声が心持高く裏返ってきたようだ。
「ほんとにやばいと思ったろう!」
「先生を見てたら、ブルブルって体にきていたのが、急に止まって・・・
何ていうのか、急に・・・
それまで感覚を覆ってたのに気づかなかった薄い膜がはがれたような・・・
ほんと、ヘンな言い方ですが、周りに見えているもの、実につまらないものなんですけど、屋上の手すりの壁とか、花壇のように積んである石とか、校舎への階段に続く扉とかが、妙にそれらしくリアルにありありと見えたんです。
何ていうか、それがそこにあるっていうことが瑞々しく見えてきたんです。
今でもそのときの妙な感覚はときどきふつふつと思い出します・・・」

「そのとき、先生とは、話しはしたのか?」
「どんな話をしたかは、あまり覚えていないんですけど、たしかに話しましたね。
このままでは、手の一本や二本は折ってしまうような、ひょっとすると死んじまうやつがでるかもしれないから、何とかしないといけないぞ、おい、ここは落ち着いていこうと皆に言って回れよ!みたいなことを言われた気がします。
それだけ言うと、先生はさっと校舎に入り、僕も屋上を下りて、校門あたりの大勢がたむろするところに戻って、早まって機動隊とやり合わないようにしようと声かけあったような記憶があるんですけど、はっきりしません。ナカヤマさんは、機動隊と一戦構える気になって、目が吊り上がってたんじゃないですか。」

「まぁな、オレも校長代行の弾圧食らって、留年してるしな。暴れるなら、ここかとも思ったよ。」ナカヤマさんの声が少し低くなった。
「だけどな、あの空気のなかじゃ、そうもいかなかったろ?」
「・・・」

「オマエなぁ、校舎のなかにも、校門のあたりにも大勢の生徒がいたけど、中学の制服を着ているやつまでいたんだぞ。さぁ、みんなで闘おう!!!ってわけにはいかないさ。」
「どっかから大きな伝言を次々につなげるように声が伝わってきて、今日は機動隊とは闘わないぞぉ~!ガンジーだ!非暴力だぞ!って言われたときに、意外とすんなりと素直にそうだなって聞きましたもんね。」

「学校にこもって、有名な機動隊に囲まれて、ガンガン上がって、スゴイ高揚していた空気が、急に真空に出ちまったような感じで・・・みんなで座り込み始めたもんな。」
「そうなんですよ。それで、座り込みもただ座るだけじゃだめだぞとか教わって、隣のやつと足を絡ませて座ったんですよね。」

「校門から校舎のなかまで、ずらっと座り込んで、先生たちも一緒だったのは凄かったな。」

013

老少年は、曇り空を二階の書斎の窓から眺めながら、ふと同じ様にどんよりとした空の下で見た、あの光景を思い出していた。

少年は、校門の近くに座り込んでいた。隣同士で脚をフックのようにからませ、夕闇とともに冷たくなってきた地面に尻をついてると、絡み合った脚や身を寄せ合ってピタリと密着している上半身に、隣の温かい体温がもろに伝わってきた。少年の場所からは、凸凹した低い人影が校舎やグランドまで広がっており、揺れうごめく様が見えていた。

校舎をびっしりと囲んだ機動隊は、大音量のスピーカーで、何度も校舎から退去する通告をしてきていたが、校舎内から退去するものはいないと判断したのか、遂に、突入すると宣言し、校門の扉に手をかけ出していた。
中学高校生とはいえ、数百人が立てこもるなかへ突入するのだから、そうとう気を張っていたのか、機動隊員たちの緊張した重い人いきれが、閉められた校門を越えて、じわっと伝わってきだした。
機動隊の隊長だろうか、「校門を開けなさい!開けなさい!」とスピーカーで怒鳴りだしていた。校内で座り込んでいる少年たちには、そのスピーカーのヒステリックな声がとても場違いに聞こえていた。

座り込んでいるだれかが、校門の向こうにいる機動隊員たちに、「門は開いてますよぉ~」と大声を出すと座り込みのなかから小さな笑い声が起き、笑い声はさざ波のように波紋を描いて校舎の奥の方に流れていった。

校門のカギを閉めたやつは、誰もいなかったのだ。

そんなことは、座り込んでいる連中にとっては当たり前のことだった。学校の校門にカギをかけることに熱心だったのは、校長代行だけだった。その校長代行は、校舎の奥深くに隠れ出てこれなくなり、警察に機動隊に暴力学生の排除を要請しただけの話だった。

そして、この時から、長いロックアウトが始まった。

014

「ナカヤマさん、あの校長代行の辞任表明に追い込んだ、グランドでの乱闘騒ぎは、反校長代行闘争に勝ったという雄たけびに繋がっていて、勝てたというそのときの実感だけから言うとけっこう大きなきっかけだったですンが・・・
でも、勝ったことの切っ掛けってもっと前にあったような気もするんです?」
「う~ん、そうだな。」

ナカヤマさんはしばらくいろんなことを思い出し考えているようだった。賀茂川の川べりもずいぶんと暗くなり、川面に映える暮れかけた光も冷たい風に揺らいで震えているかのようになってきていた。心躍り、体が温まる話でもなく、向こう岸にぽつぽつと灯ってきた光が妙にさびしげに見えていた。

「あの機動隊に校舎を追い出されたあとに、すぐに、お前ら文化祭実行委員会が事実経過をまとめて全校生徒と父兄へ郵送しただろう。あれは、校長代行よりも随分早かったよな。」
「事実経過を父兄や生徒に文書で郵送したあれですか・・・あれは、イクシマ闘争って言うんですけどね。」

「えっ! 何だぁ、そのイクシマ闘争って・・・?」

015

イクシマ闘争・・・老少年は、突然思い出した妙な単語に戸惑い、書棚に隠してあったバーボンを取り出しひと口含んでみた。口の中に広がったちょっときな臭い芳醇な酔いは、おとなしく体内を広がっていった。おかげで埋もれていた光景が静かに浮かび上がってきた。

イクシマ闘争は突然始まった・・・

秋の文化祭の終了後の初登校日に、校長代行との対話を求めて校内にいた生徒たちや教師が校長代行の要請により出動した完全武装した機動隊により、力づくで校内から排除された翌日の10月5日に文化祭実行委員会の集まりが開かれた。といっても文化祭実行委員もいるしその他の反校長代行派のメンバーもいるというあいかわらずの曖昧な、20人ぐらいの集まりだったが、その集まりで、文化祭実行委員会の名前で、文化祭当日とその翌日に起きた、二度にわたる機動隊の学内導入事件の事実経過を記した文書を至急作成し、全校生徒及び父兄に郵送するということが決定した。

印刷は既に取り掛かっており、夕方には出来上がるので、その文章で問題なければ、全校生徒と学校関係者への郵送準備にはいることになった。

ここまでの素早い段取りは、企画委員会のタカシとタカシとともに、各学年の反校長代行グループと文化祭実行委員会、教職員組合のあいだでいわばパイプ役になっていたジローが中心となって行っていた。タカシは、抜群のアイデアと実行力を認められて、また、ジローは誰もが認める音楽の才能と表裏のない明るい人柄を各活動グループに受け入れられて、パイプ役を務めていた。

さっそく、その日の夜に集まれる人間は、夕食後に山手線の北側の住宅地にあるタカシの家に集合することとなった。

タカシの家はマンションの二室の間にあった壁を取り払って一室にして暮らしており、マンションのフロア奥の一室は両親の部屋と家族用リビングルームがあり、その手前のもう一室には、タカシ兄妹の部屋と兄妹共有のリビングルームがあり、元々は二室の居住区であったので、それぞれの部屋専用の玄関があった。タカシの友人たちは、タカシの部屋の方にある玄関から出入りしていた。中は、真ん中のキッチンでつながっており、タカシを訪ねれば親御さんに会わないことはなかった。

都内でも有名な古い公園のそばにあった住宅街に夕闇がおりてくるころから、タカシの部屋の玄関ドアから10代中ごろの顔色が良いとは言えない、どこか憂鬱な顔をした少年たちがぼそぼそと入ってきた。

子ども用リビングは12畳ほどのスペースがあり、その真ん中に大きなテーブルが二つ置き、それを囲むように初秋だというのに汗臭い少年たちが体をくっつけ合って座り始めてた。タカシやジローの指示を聞きながら、封筒への住所書きを始めるのだった。各自毎年学校から配布されていた全校生徒の載っている住所録を持参していた。

郵便封筒のあて名書きは、各自が自分の場所を確保し、テーブルに座れないものは床に寝転がったり、リビングにあるタカシの机を使って行われていた。こんな作業を静かに行う少年たちではなく、スピーカーからは、ロックバンドのCHICAGOが大音量で流れ、それに負けじと大声だしているのもいるし、あちこちに声をかけながらくっちゃべっているのもいる。

それでも、約2000世帯に発送する宛名書きは、始めてみると思った以上に物凄い量で、かなり深夜になっても終わりが見えてこなかった。しかも、10代の少年たちのむんむんとした汗臭さで、部屋の空気は妙な熱を帯び、ガラスの戸はくもり始めるのだった。

さすがに少年たちは、住所と「○○君 ご両親様」ばかりや、中には、父親が校長代行に味方している家庭もあり、「○○君 ご母堂様」と書かねばならなかったりと一応は気を遣う作業、しかも、自分だけでも汗臭いのに文化祭前からここ3~4日は風呂にも入っていない、そんな輩が10数人いるという息苦しさに溜まらなくなり、ついに、ひとりが「なんだぁ、この苗字は!こんな苗字はほんとにあるのかぁ!」と八つ当たりを言い出すと、突然、他にも、「こっちには、こんな苗字があるけど、(こんな名前はないだろう!)まちがってねえかぁ!」と声を張り上げ、とうとうそれぞれが発見したヘンな苗字やあまり耳にしたことのない住所名を面白がって節をつけ歌い出し、到頭立ちあがってテーブルの周りを踊りだし始めるのだった。

黙々とあて名書きをしている連中の間を縫ってテーブルの周りを奇声を張り上げながら踊り回りだし、せっかく書いた封筒まで上へ下へと散乱しそうになっていった。

あまりのバカ騒ぎに、さすがに、隣りの部屋で密かに見守っていたタカシの母親が覗きに来て、あまりの混乱ぶりに呆れ、休みながらやりなさいというとでもいうように、全員にコーラとお菓子の差し入れをしてくれたのだった。

冷たい飲み物と甘いお菓子で少しは落ち着いたのか、少年たちは、また、銘々の場所に戻り、少し毒気がぬけたように座り込んだり、寝そべったりして、作業を再開させた。

お経のような呪文のような変な言葉が飛び交い踊る中で、「イクシマぁ!イクシマぁ!!」と叫んでいた声が少年たちの耳に残り、このあて名書き作業は、「イクシマ闘争」と名付けられたのだった。

その後も少年たちは、風呂に入らせろ!!!と叫びながら、リビングで大仰にデモをしたりと、定期的に狂乱を繰り返しながらあて名書き作業を続け、夜明けには、何とか終わらせることができた。

朝9時の郵便局の始業に間に合わせて、急いで段ボール箱に詰めて運び出した後は、タカシの母親が準備してくれた牛乳とパンを貪り食い、倒れ重なるように寝たのだった。

このイクシマ闘争は、長いロックアイト期間の間にもう一度経験することとなった。

016

「イクシマ闘争って言うのか、文実委(文化祭実行委員会)から全生徒の家庭への事実経過報告文書の郵送は。
校長代行側の文化祭及びその後のロックアウトに関する文書が全生徒と保護者に送られたのは、1週間ほど後だったけな。
文実委の素早い行動で、一般生徒と父兄を取り込もうとした校長代行側の初っ端を叩いたんだから、そのイクシマ闘争っていうのは、かなり効果的だったんじゃないのか。よく、やったよ。あのドタバタ騒ぎンなかで。」

文化祭実行委員会の文書は、論評を加えずに文化祭当日の出来事を細かい時系列で記したことでかえって事件に対して冷静で客観的な対応したうえでの生々しい記録になっているのに対して、遅れて届いた校長代行側の文書は、一部の暴力的な生徒による事件というストーリーを強く主張しているだけの印象が残り、その分校長代行側は、警察までも動員して行った、生徒たちへの強圧的な姿勢を自己弁護しているようにも読め、偏っているように感じた生徒や保護者が多かったようだった。

ナカヤマさんと試験会場からぶらぶらと歩いてきた賀茂川の河畔は、すっかり暗くなり、寒いどころか冷たい風がびゅんびゅんと体にあたってきて凍りそうだったが、ナカヤマさんから思わぬ評価をされ、ただなりゆきから懸命にイクシマ闘争に参加した少年も何だか少し嬉しくなってきて、
「そうでしょう!」
と、口から多めの白い息を吐きながらこたえるのだった。

「ところで、ナカヤマさん、さっき、あの闘争が勝っていたといえるなら、と言ってましたが、校長代行の辞任や制服や生徒手帳の廃止、集会の自由なんかを取り戻したということでは、勝ってたんじゃないですか?」

暗くてナカヤマさんの表情は見えなかったが、少年のことばで灯りの灯る向こう岸にいっていた目線が変わったような気がした。ぼわっと周りを眺めていたのが、まっすぐに前方に向けられたとでもいうのだろうか。

「お前の言っていること、あの闘争は勝った、というのも、よくわかるけど・・・校長代行が辞任して自治権が生徒や教師に戻ったということは、とても重要なことだけど・・・」

ナカヤマさんは、ここでちょっと息を呑んで、口の中でその息を噛みしめるように言った。

「おまえさ、勝ったという清々しい実感は、今でもあるか? もちろん、あの時には喜びあって、勝った勝ったとはしゃぎ合っていたんだけど・・・その後どうだった?あの喜びは続いたか・・・あれからの後のことを思い出してみろよ・・・今になって感じることでもいいんだけどな。」

少年は、遂に聞かれちまったかなと心の中でやるせないため息をついていた。これは、少年だけでなく、少年の友人たちの間でもしばしば話題になり、ある意味共有されていることでもあった。

「校長代行が辞任し、学校に自由な空気が戻ってきたのは良かったんですけど・・・ね。」

残念ながら、少年は、この時自分が抱いているややこしい実感をうまく言葉にすることができなかった。いろんな出来事が頭の中に浮かび上がり、それらの出来事がそれぞれ爆発しては、消えてゆくようだった。

この後は、ナカヤマさんと校長代行辞任後から始まった高校生活後半のあれこれのバカ話、復活した春の文化祭での相変わらずの珍事や、銀玉鉄砲の昼の市街戦ならぬ廊下戦、修学旅行でのいろんなグループのしでかしたことなどの話をした。

「ところで、ナカヤマさん、東京へ帰ったら、何します?何か計画はあるんですか?」
「何だ、京都の大学に受かったら・・・じゃないのかぁ! 
まぁ、いいや。そうだな・・・まだ、考えられないっていうのが、ほんとのとこだよ。」

「そういえば、ナカヤマさん、スウェーデンの女の子と文通していたじゃないですか!」
「!?」
「あのスウェーデンの子を訪ねて、ヨーロッパへ!というのは、どうですか。」
「スウェーデンの女の子と文通・・・おい、なんでそんなことを知ってるんだぁ!!!」

「そんな一気に高い声にならないで下さいよ!
ナカヤマさん本人から聞いた話ですから。いつの文化祭か忘れましたが、文化祭の準備で学校に泊まって、夜明け前に3〜4人でわいわいとガールフレンドの話をしていたら、通りがかったナカヤマさんが入って来て、オレだって!と、突然、恥ずかしそうに自慢してましたよ。オレには、スウェーデン人のガールフレンドがいるって・・・」
「おい、そんなことあったかぁ! は、早く忘れろ!」

「そうですか~。僕は、いつになるかわかんないですが、ヨーロッパへは行ってみたいと思ってるんです。ヨーロッパのどこかで、また、ナカヤマさんと偶然会うってこともありそうですかね。」
「そうだな、それは、面白そうだな。でも、また、ヨーロッパでもお前に会うのか!
そんときは、どんな話をするかなぁ・・・」

暗闇になった川べりの道をふたりの少年たちはそれぞれの思いに入り、押し寄せてきた寒さに抗いながらしばらく黙って歩いていた。

小さなため息が聞こえたあとに、気が抜けたようなナカヤマさんの声が聞こえてきた。
「あ〜あ、そんなことより、まだ、もう1日試験が残ってるんだよな。
そろそろ、宿屋に帰って、明日の準備でもするか。」

宿屋へ帰らねばならない時刻だったし、体の冷え具合が限界を迎えていた。
「明日・・・また、会えたら会おうな。 じゃぁな・・・」
少年は、返答の仕方に迷ったが、結局、卓球部の練習を終えて帰るときのように、あっさりとすることにした。
「そうですね、また、会いましょう!!!」

少年が宿屋の玄関に立つと、待ち受けたように奥から出てきた仲居さんにお帰りやすと満面の笑みで迎えられた。ありがとうと応えながら、このひとこんな時間までどこでなにしてたんやろといういぶかしげな視線を感じた。

今日の試験が終わった後にどこかで明日の準備でもしてはったんですか?
京都にまだ慣れない若い方のなかには、暗くなるとときどきそこらへんの路地やら通りやら川端やらとあちこちをさまよわれて、いつまでもお帰りにならないことがあるので、心配しとったんですよ。

大丈夫ですよ、もう子どもでもないので。

そうどすか。ちゃんとした大人というのは、自分の持ってる荷物が見えてるもんどす。お姿を拝見してるとご自分の荷物に無頓着のようで、今夜もついついどこかに置いてきはったんじゃないかと心配してたんどす。

017

半世紀以上も前の接客に慣れた仲居さんの艶めいた媚びを少し含んだ優しい声が耳元で鮮やかに聞こえ、老少年は、うつらうつらとして彷徨っていた気怠い意識から一気に覚醒してしまったが、幻聴だと思いなおし、あの仲居さんの言ってることもそう言う仲居さんのことも今だったら多少は理解できそうだと、照れくさそうにニヤリとするのだった。

あの当時の少年がことばにならなかったもの、自由への憧憬、反逆心、勝利感、達成感、闘争心、仲間意識、それよりも、激しい徒労感、忽然と現れ心身を巣くっていった虚無感、人間への信頼と不信、他人への配慮と無表情な裏切り・・・
そんなものたちを、あの闘争とその後の放埓な生活の中で、経験し、混乱は内面に沈殿され、それからあとは、他人からは見えない、ひとつの荷物として、ずっと抱えてきたような感じが老少年はするのだった。

やがて、社会に出て多種多様なひとたちと仕事をしてゆくなかで、この荷物は、浦島太郎の玉手箱のように懐にあって、ときどき不思議な電磁波を発信していた、ことは感じてきた。そして、玉手箱の電磁波に唆され、その荷物をまた開けるか開けないかは、あくまで玉手箱を抱えてしまった少年ひとりひとりの自由だった。また、開けてしまったところでその中に重要な何かがあるわけでもないことにも気づいていた。徒労であり虚無の確認だった。電磁波を気まぐれに発する箱が身体の中にあることが重要だった。

校長代行が、辞任し、しばらくした後、丘の上の学校の多額のお金を横領していたことが発覚し逮捕されたときには、妙な感じだった。

あいつは悪者だと闘っていた相手が本当に悪者だったということで、まるで自分たちがまっとうな正義の側に押しやられたような居心地の悪さを感じたものだった。あの紛争の間の無責任と矛盾に満ちたいろいろなできごとが正義と悪のフィルターでみられてしまい、善悪や勝敗にきれいに分けられてしまいそうな気持ち悪さだった。

少年たちは、激しい徒労感と巨大な虚無感を孕んだ卒業証書を授与され、丘の上の学校を去ったという方がまだ実感に近かったかもしれないのだった。もちろん、同時に、丘の上の学校特有の時々、即ち、文化祭やら運動会やらの祝祭行事や誰かの勝手な思い込みから始まる不意の紛争が出来する時々に生まれる快い仲間意識や刹那的な共同体意識があり、快楽と狂気に満ちた祝祭もあった。大げさにいえば、とてつもない熱狂の背後には、厳とした悲惨さへの自覚と諦念があることを体験的に学び、奥行きのある人間観や非常事態に強い体質を本人たちの自覚しないまま育ててしまったんだろうか。

遠い記憶がもたらした思索らしきものへ疲れてきた老少年の耳には、階下で家人が夕餉の準備をしている音が聞こえてきた。料理する家人がたてている楽し気な音から察するに、どうも今夜は客が訪れる予定だったらしい。はてさて、だれだったか。
老少年は、ごく近くの記憶をまさぐりだすのだった。

2階の窓から、夕闇の中に消えつつある巨大なパラボラアンテナがこの日最後の鈍い反射光を放ち、夜空に際立つ小さな森の樹影が一瞬照らされたように見えたのは老少年の淡い幻覚か。この家に暮らし始めてから、隣地の巨大なパラボラアンテナは、どこからくるどのような電磁波を捉えているんだろうかと気になってきたが、今日のさしたることもない火曜日の午後には、老少年は懐にまだあったらしい見えない玉手箱の電磁波を感じることに気を取られてしまっていた。
そして、日の陰りとともに、記憶の井戸は、そっと閉じられたようだった。

近くの記憶を手繰り寄せようとしている老少年の嗅覚は、訪れる客との会食に家人が用意しているのは、ふんわりとした香ばしい湯気をテーブルに漂わせ、主客の五感を刺激することに長けた、広州あたりの料理であることに気づいていた。美味しい料理を食しているあいだは、ひとは嘘をつかないという言い伝えが広州にはあるそうだ。家人のそういう料理の企みを察知して、さらに座をにぎやかにする会話を仕掛けてくる相手ということなら、今夜の客は・・・。

【了】


♬♬♬
Take a load off, Fanny
Take a load for free
Take a load off, Fanny
And you put the load right on me

~”The Weight” by The Band in The Last Waltz

https://www.youtube.com/watch?v=ho-RVRBg5D0

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