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合理性と情緒をつなぐもの

合理性を追求すると、人間よりもロボットのほうが優れた労働者だという当たり前の事に気づいてしまう。西洋的な合理性思考と、日本的な情緒思考。この相反する考えに架け橋を駆けることはできるのだろうか。

■仕事をしていて思うこと

どうやら日本は労働生産性が低いらしい。主要先進7カ国の中では最下位。

労働生産性とは「就業1時間あたり名目付加価値」のこと。ちなみに付加価値とは以下の定義なんだと。

付加価値は企業活動(生産、販売)の過程で新たに加えられた価値をいう。売上高から原料費(仕入れ原価)と減価償却費を引いたもので、人件費、利子、利潤の合計に等しい。付加価値生産性は労働者の1人当たり付加価値額である。出典:(株)ジェリコ・コンサルティング流通用語辞典について

要するに、同じ時間でどれだけ利益を出すことができるかってことかな。

そしてなんと言われようと、僕はこの言葉が嫌いだ。

しかし思い返すと1社目では、生産性を振りかざして全てを数字で表すことに躍起になっていた。

行動の結果を数式化し、計画値から逆算して全体の行動量を決めること。

これが正しいと思っていたし、なんなら苦い顔をする部長を「何やこいつ」と思っていた。

そして2社目に移った。あいもかわらず僕は効率化の名のもとに、綿密に計算された行動量を算出し、分析と無駄を極端に削ったツールを用いて遂行していた。

違っていたのは前回は管理側。今回は主にプレーヤーとして。

手法は最近流行りの架電による営業だった。アメリカからやってきたそれは、合理性を追求した美しい数式を連れて来航した。

PC上のワンクリックで電話ができる時代だ。電話をする。活動記録を記す。電話。記録...
週末にツールの活動量を元にした逃げ場のない分析。その永遠にも思えるループ。

そしてある日気づく。これってロボットじゃん???

■合理性と情緒は両立しうるのか

究極の生産性はロボットが全て実施することなんだろう。数式で表すことができることはほとんど代替可能だ。

そして思う。「なんでこんなことになってしまったのだろう。」

合理性は西洋的なルーツを、情緒は日本的なルーツを持つらしい。

臨床心理学者の河合隼雄さんが米国で”夜這い”文化を生徒たちに話したとき、女生徒からある称賛があったらしい。

肩書、年収、ルックス。パートナーを選ぶ際に合理的な判断をする彼らからすれば、真夜中、何も見えない中"衣擦れ"の微かな音や、その雰囲気で逢瀬を交わすこの古来の日本文化は対極に位置する。

彼女は主張する。合理性は本質的な部分を見失ってしまうのだと。何も見えない中にこそ大事な部分が有るはずだ。

ある意味その通りで合理性と情緒や感情は相反している。どちらかに偏った場合は合理性の持つ仕組みか、人間のどちらかが壊れてしまう。

じゃあどうしたら良いのか。ここを受け持つのが"物語"なのだと河合さんは言う。

物語は人それぞれにあり、それを仮想的に作り上げるのが小説家。
そして人が物語を作るのを助けてあげるのが臨床心理。なのだと。

正直がっつり腑に落ちるわけではない。合理性に対して物語があることによって意味付けをすることができるということなのか。

物語には無意味と思われる物に、意味をもたせる力がある。誰かにとっては無味乾燥したものでも、そこに物語があればそれはきっと輝くのだろう。

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