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#2 「古文・漢文はオワコン」は本当か?

こんばんは、卵かけごはんと申します。
昨日からnoteを始めました。

昨日花言葉の話題を出したので、今日もそんな感じで行こうかなと思っていましたが…

某大手検索エンジンでニュースを見ていた際に
気になるトピックを発見したので、
徒然なるままに書いてみます。

注)
以下は、発信者様への攻撃というよりは、
個人の意見を述べるものなので、お名前は伏せます。
ご了承下さい。


■「古文・漢文は学校教育で不要」論

それは、某実業家でインフルエンサーの方の主張でした。
概要はこのようなもの。

①古文・漢文は受験でしか使わないので、不要もしくは選択制とすべきだ。

②漢文は中国の文章なので、日本の古典ではない。


■果たしてそうか?

私は、古文・漢文は「オワコン」ではない、と考えます。

理由は、

その1 「実用性第一」論の弊害は大きい。 

その2 何を以て不要とするか?の問題

その3 そもそも、知っていると楽しい!

です。

■理由その1~「実用性第一」論の弊害~

「役に立たないものは要らない」という考えを教育に適用すると、
学び自体を楽しむ精神的ゆとり・遊びの余地はなくなり、
文化基盤は衰退するでしょう。

明治維新以降、
欧米に「追いつき追い越す」、そして「日本語の表記を簡単にする」という実利第一を掲げた学者らが、

「日本語の漢字表記を廃止(削減)し、ローマ字表記とすべし」
との論を唱えていました!!(驚愕。)

数千年来の栄光から凋落し、もはや後進国となった中華帝国の文字など
煩雑の極みであり使うべきでない、ということですね。

同様の提言は戦後GHQによってもなされています。

もしこれが実現していたならば、
現代の我々は漢字をほぼ読めないどころか、意志疎通の仕方まで
全く違ったものになっていたでしょう。

(表音文字であるアルファベットを主体に日本語を表記するというのは、面倒の極みですよね!?文字数も増えるし、ぱっと見て意味不明だし…)

つまり、文化の断絶を招きかねません。


さらに「漢文は中国語」論ですが、日本語で使う熟語でも、
成り立ちは基本中国語由来。

「読書」のように目的語(~を:「書を」)を動詞(「読む」)
 の後に置くのは中国語の語順ですよね。

なお日本人は、漢字や漢文の語順を取り入れつつ、
「和漢混淆(こんこう)文」(漢字を崩した平仮名による和文(訓読み)+漢文の書き下しである訓読体)という表記法を開発しています。
(平安時代末期頃~)

また、中学校の国語の教科書に出てくるものだと、
清少納言や松尾芭蕉は、作品で中国の原典に言及しています。
当時の言論文化の最先端は、漢字を介した中国文化だったわけです。


そもそも文化は、「新しい!」「イイね!」と思われたものが
パクりパクられて広がり、広がった先でオリジナリティが
付与されるもの。

「中国語だから関係ない」は日本語・日本文化否定に
直結
します。  

   
■理由その2~何を以て不要と判断?~

これは大変難しい話です。
そもそも、人によって違いますしね。

以下、自分の話ですみません。
私は小学生の時の算数でつまづいて以来、
数学をはじめとする理系分野が苦手でここまで来ました。

しかし、日常生活で3次関数や物理法則は使わないので、
不便は感じないのが実情です。
(視野の狭さは認識しています…
そのせいで、物理現象やSFとかにすごく疎く、
今からでも勉強したいです。)

知識・情報を与えないというのは、
人間の可能性を摘む一番簡単な方法の一つです。
国家による情報操作・情報統制の歴史が示すとおりですね。

したがって、共通の基礎知識として触れた上で、
その後の人生での「要る/要らない」を
個人が判断すればよいのではないでしょうか。

■理由その3~知っていた方が楽しい!~

最後は、知らないよりは知っていた方が楽しい!
ということです。
(完全に個人の趣味ですが。)

現代のエンタメコンテンツでも、
元ネタとして古典・漢文が用いられているものはありますよね。

源氏物語を漫画化した「あさきゆめみし」は結構昔ですが、最近だと

「キングダム」(集英社)…『三国志』
「ちはやふる」(講談社)…「小倉百人一首」
「いいね!光源氏くん」(祥伝社)…「源氏物語」

「ONE PEACE」(集英社)…落語・歌舞伎ネタが使用されている

など、枚挙に暇がありません。
それに、古典を読んでいると、
人間の感情って時空を超えて共有できるのでは?と思うのです。


以下、完全に勝手な解釈です(作者の方々、ごめんなさい)。

○紫式部「源氏物語」

…「イケメンと多数の女たち」、「悲劇のヒロイン」、「女の怨念」、
 「マザコン男性が、与えられなかった愛を探す」構図。
   現代の少女・レディースコミックよりも過激だったりする。

○清少納言「枕草子」

…類聚的(るいじゅうてき)章段(「春はあけぼの…」
 現代の、「イイね!」を発信し分かってもらいたい心情に通じます。

○兼好法師「徒然草」

…人のあり方をめぐり自分の意見を綴る。さながらブログ。

○中学校教科書の漢文

…「矛盾」「春暁」「国破れて山河有り…」など、
 日本語の慣用表現の由来や日中古典コンテンツの繋がりが分かる。

過去の、特に今まで受け継がれてきたコンテンツには、
楽しみ、学べる要素が何かしらある
と思います。

自分がいるのは現代なので、現代視点の解釈には
なってしまいますが、昔の人たちと心情を共有できるのが、
凄く楽しいです!

■最後に

こうした理由から「古文・漢文オワコン」論には
賛同していませんし、おそらく、古文・漢文が
国語の教科書から完全消滅することは近々にはないと思います。

目下コロナ禍で、「本当の豊かさ」の見直しが進んでいます。

実用性から離れたこと。

例えば、動画を見る。ゲームをする。
これは、生産的活動でしょうか。
(勿論、経済活動には貢献しています。)

実利的側面から言えば、電気代をかけ時間を失うのに
何も生産していないように見えます。

しかし、精神的満足感を得ることも多いでしょう。
そして、そういう実利から離れた満足も、人生を支え
楽しくしてくれる「豊かさ」の一つ
ではないでしょうか。

そして、文化とはそうして作られ、使い楽しむ人たちに担われ、
変容しながら受け継がれるもの
だと思います。


以上、乱文かつ拙い内容にも関わらず、
ご高覧ありがとうございました!ご意見頂けたら幸いです。
素人ながら、これからも勉強し続けます。

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