明日は日蝕
夕方、帰宅途中にほんの一瞬だけ見えたすごい光。島の空気はすでにつめたく冬を感じるのに、おひさまが射すその一瞬でぱあっとあたりが明るくなり、一気に気温がゆるむ。おひさまってすごいなあとしみじみ思う。
おひさまといえば、明日は日本からは見ることのできない皆既日蝕。南極でしか見られないとのことです。
何度か体験しているけれど、皆既日蝕のときは太陽の欠けはじめからぐんぐんと気温が下がる。単純な『曇り』の日のそれとは全然ちがって、季節を問わず蝕の時間帯はうっすらとした寒々しさを感じる。
鳥たちがざわつくのもわかる気がする。
昔の人たちが不吉なものだと言った気持ちもわかる気がする。
そしてその時間はやがて過ぎ去り、また太陽が戻ってくる。
太陽の手前を月が横切る。
インヤン。
インヤン。いいんやん。それでいいんやん。
隠されたものが明るみに出るとよく言われるけれど、そこで明らかにされるものは明るみに出て良かったもの、出る必要があったもの、隠してはおけなかったものたちなのかもしれない。
出そうとすることも、ひっこめることも無理にしなくてよくて、出るものは出るに任せればよいのかもしれない。
朝から『開きなおる』みたいな感じがあって、もうしょうがないのだ、私はわたし以上でもわたし以下でもないんだ、という感覚で過ごしていました。
人と人のあいだにはちょっとした誤解みたいなのってある。私自身、誤解をされているし、また誰かのことをきっと誤解しているだろうと思う。
それらの誤解を解こう、正しく理解されようとして必死になること、一生懸命になることも、してもいいけどしなくてもいい。
場合によっては、しなくてもいい言い訳をしているように思われるかもしれない。まあ、どう思われてもいいんだけど。
無理な力をかけないこと。のびのびとした自分でいること。それが何かの役にたつかと考えはじめると動けなくなってしまう。だから考えなくていい。たぶん。インヤン。いいんやん。
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