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取り上げないで

先週の作戦会議以来、次回のマルシェからはフリマ→手づくり市にスライドしていくということを頭において生活しているところです。とにかく私の脳内はいま、次から次へと湧き出すアイデアでいっぱいで忙しい。

日曜日、雨が降っていた。風も強かった。雨さえふってなかったら森に行こうよ、と話していたんだけど、近くを通ってみたら鳥の声もまったく聞こえなくて。これじゃあ中に入っても出会うのはむずかしそうだねっていうことで、森にも行かない、荒れているのがわかってる+干いてないから海にも行かない、私たちにしてはめずらしい日曜日になりました。

もはやライフワークのようになっているシーグラス拾いによって、集まりまくった小さなかけらたちをなんとかできないものかと。前からやってみたいことがあったので、お金をなるべくかけず。失敗しても胸が痛まない程度に。あちこちまわって必要なものを買い求めました。

こういうとき、そもそもがアーティストみたいな存在の夫は頼りになります。
これとあれをこうしたらこんな感じにできるんじゃないか。
これもできそうだね。うんうん。

よく考えてみたら、私たちが追求してやまない『美味しいもの』も、夫のアイデアで生まれることも多かったりするのです。ひとり暮らしとそれなりの自炊経験のある人なので、言うばっかりではなく手伝ってもくれる。テレビで紹介されている『美味しいもの』を私たちが手に入る食材で再現するとしたら?となったときに意外なヒントをくれたりもするのです。

出勤時間がゆっくりの日や、早く帰って来られる日、そして日曜日には夫が、自分が食べたいものを作ってくれることもあります。

私は自分が料理好きなのでよくわかるのですが、私の生活から料理することを禁止されたり、取り上げられてしまったら生きる張り合いを一気になくします。このことはすでに経験済みです。

でも同様に、夫のように料理ができて時々は鍋をふりたい人にとっては、たまに料理を作ることは息抜きにもなるし喜びにもなるのだと思うのです。
材料の下ごしらえまでは私のほうでしておいて、鍋をふるだけをやってもらったり、ということはよくあります。最初のうちは準備から片付けまでやってほしいなんて思っていましたが、できるのはわかっているので料理に関しては『いいとこだけ』やってもらうようにしています(笑)
これについては後に記します。

食事は生きることと直結しているので、私は簡単な料理は誰でもできるようになる必要があると思っています。得意な人もいれば苦手な人もいる。また、得意だからといって『好き』かどうかはわからない。それでも、生きていくために必要なことだから。

『できることは自分でやる』ということと『できることを人から取り上げない』ことは大切だと思っています。

料理だけでなく掃除も洗濯も、できる範囲でできることはやろうとしてくれる夫は、器用なわりに洗濯物を干す作業があんまりじょうずではありませんでした。それでも、やってくれたら「ありがとう~」といつも言っていたら!じょうずになってきました!
じょうずにできないからさせない、としていたら、ずっとじょうずにならないのですよね。

・・・おわかりですね、私が家のなかで引き受けていることなんてほんのわずかなことなのです。
完璧とはほど遠い私です。できる範囲、というのが人よりはずっと狭いのかもしれない。それでも、夫と協力して補い合いながらたのしい毎日を送っています。・・・って、夫はどう思っているんでしょうかね?(笑)

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