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脱却と、急展開

・・・結局、お申し込みはありませんでした。
地球暦のおはなし会。
うーん、ザンネン。
ART in YOUさんには徒歩で通っているので、地球暦とタロットの2式を持っていくことはできません。なので断りを入れて今日はタロット待機としたのですが、お問合せもありませんでした。
それでいつもどおりちゃんと勉強あるいは探究という活動をおこないまして、ご主人とすこし話していたのですが、
やっぱり自分は自分であって自分以外の者にはなれない、自分以上にも以下にも。っていうところで意見が一致しました。『この自分』しかないわけだから、『この自分』で行きましょうよ、というところで。

インプット過多・・・というより、アウトプットが少なすぎて明らかに滞り気味なのをどうやってアウトプットしたらいいか?お申込みがなくてもアウトプットする方法は?と思っていて口からポロっと出てしまった。

そういう展開になるとは思わず「おぉ」となり、ちょっと腰がひけてはいるのだけど「何事もやってみないことにはね!」ということで、まずはテストからですが、近いうちにインスタライブデビューするはずです。喋りたくて喋りたくて喋り足りなくてうずうずしている暦のおはなしを、地球暦にばっちりピントをあわせてやるはずなので、そう期待せずに見守っていただけたら幸せです。

「やめないこと」「続けていくこと」を、凹まずに、しぼまずにやるために必要なものはなんだろうと思っていましたが、このところのセルフリーディングでさまざまなスプレッドを展開していてわかったことがあります。

私はつねに『足りない』と思っている。知識や経験、スキルが。経験が足りないのは誰でもはじめはそうなのに、そしてそれは経験することでしか克服されないのに、知識を上塗りして武装しようとする私。知識を身につけても『経験を積んだ』ことにはならないのはわかっていながら、です。

なまじ勉強が好きだから厄介なのです。興味あること以外には目もくれないけれど、興味あることならいくらでも勉強したい。知的好奇心旺盛なことにまぎれて『足りない』という不足感を解消しようとする巧妙さが厄介なのです。これではただ、ごまかそうとしているだけなのです。

今もまだ、学んでいることはあります。これらがひと段落したら、私は『勉強しようとしない』モードに切り替える必要があると思っています。
勉強は楽しい。だけど一切のアウトプットをしないそれは、ただの趣味だとしても、自己満足だとしても、私を自己実現から遠ざけるだけ、社会との関わりを阻むだけ。

だいすきな勉強を、不足感を補うためや武装のためにすることはもう、やめようと思います。楽しいから、夢中になれるから、ついつい手を出そうとしてしまうけれど。その手をそっとおさめて、これまでの学びを総括して、自分ひとりのものにせず発信していくということを、やっていきます。

ポロっと口から出ただけのことなのに、逃げられないように準備されていたとしか思えないような展開。
逃げるわけには、いきません。

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