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わからなくても

『これでいいのだ』の確認ができたからか、おだやかに過ごせた気がするきのうの満月。ウエサク満月で、皆既月食で、と盛り沢山な感がありましたが、いつもうっすら感じているような焦りはありません。今のところ。

そういえば毎年この時期から夏にかけては、実は手出しできないほどの憂鬱をきわめていたのでした。ズドーンと海の底を這うような暗さがありました。
よく言う五月病って、4月から新生活がスタートした人だけのものじゃないよね。って思ってました。毎年憂鬱だったもの。
いまは憂鬱な気分がないことはないけれど、過ぎるのをただ待つような感じでもありません。とはいえ、明日のことはわからない。明日になって、どんよりな文章を書いていてもどうかおゆるしを。

(沖縄本土)復帰の日は毎年やってくるけれど、地元メディアでしかとりあげられていなかったのが今年は50年。さすがにどの局でも大小問わず特集が組まれ、例年では知ることのなかったような情報にも触れました。そして思い知らされる、わたしはなにも知らないということを。
ただ、これは私に限らずで、島に生まれ育った夫にも「知らなかったー」ということがたくさんだったようです。実母も電話のむこうで復帰は良かったのかねえ、悪かったのかねえ、と言っていました。

何になるの、何の役にたつの、そう問われてもやってみたいことは、こういうことを茶化さずに語り合う場づくりです。こたえが出てもいいし、出なくてもいい。なにかをともに思い合い、考える。それを言葉にしてまんなかに置く。わたしはこのことを何回ここに書いているだろう。何回も書いている気がする。何回も読んだよと思われている気がする。ディベートともディスカッションともちがう、私のなかにあるイメージをまずは解放しよう。

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