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ベテランの新人のひとりごと

当初は 引っ越しにあたり、家のなかのものをドカンと盛大に捨てるつもりでいたのだけど、高熱からの体調不良が長かったこともあり、動ける日にちがものすごく短くなってしまったためそれがかなわず、引っ越した今になって段ボールを開けながらものを捨てている。書類は見ずに捨てよと言う人も多いけど、意外に要るもんなんですよね。私の場合は捨ててなくてよかった。このあと用事が済んだら捨てることにします。

時代に逆行するようだけれど、今の職場はかなりの紙まみれ。ものすごい量の書類であふれ、壁いちめんに設えられた書庫にすらおさまりきらないのだけれど、どうしても紙で出力する必要があるのですね。廃止が叫ばれる(個人的には廃止反対)ハンコ文化もゴリゴリ健在。
自宅の引っ越しや事務所移転を経験したことのある人なら誰でも頷いてくれると思うけど、紙というのは非常に重い。重い紙の分厚いファイルにつまづきそうになりながら、やってもやっても終わらない仕事をみんな頑張っている。そして軒並み腰をいためている。
1時間に一回トイレに行ってうーんと伸びをする。私はまだ御用聞きをして仕事をもらう状態だからそうしているけれど、それがかなわないほどにみんな忙しい。
私はお使いや作業を頼まれ、それをこなすことはもちろんできる。だけど、これから先も引き受けていくもの(自分が担当するもの)に関して『なぜ』そうするのかがわからないと機嫌が悪くなるという性質がある。自分ではこの性質がよくわかっているけど、教える側はそんなことどうだっていいし、むしろ知ったこっちゃないだろう。黙ってこれをしてくれればいい、そう思われているだろう。

私は教育係を頼まれたりして人に何かを教えるとき、手順のひとつひとつに『なぜかというと』を付け加える。場合によってはそれが危険を避けることになったり、ミスを防いだりもする。さらに、そうすることで自分の作業が楽にできることもある。疲れず、間違わず、楽にできたら誰でも嬉しいと思う(そして、教えた自分の手間も減る)。私に教えてくれる人がそうでなかったとしても、私は自分が仕事をすすめるなかで結びつけることのできたあれとこれについては伝えるようにしています。そして声に出して言いながら、自分がまた新しい気持ちで取り組むことができる。

いまの職場はまだ新しい。だからみんなきっと叩き上げで、試行錯誤しながら自力でやってきたところが大きいのだと思う。教わってないから、教え方がわからないのかもしれない。そう思うことにしました。
フルタイムとは、ほんとうに長い時間を会社で過ごすものだと今さらながら感じています。気分転換も集中も、自分でなんとかしなくてはいけない。快適に効率よく仕事ができるように、いまのところは仕事中心の生活です。
朝は、5時半起き。島に来て最初の仕事のときも6時前に起きていたから、12年たってまた同じように早起きをしていることがなんだか不思議に思えます。
今日は長く書きすぎました。すこしでいいから、できるだけ毎日書きたい。必死に生きた証にしかならないかもしれないけど、誰も読んでなくてもいいから書いていきたい。私のために。

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