見出し画像

8月15日に遺言を書いた 死者の声を意識する

初めて遺言を書いた。深刻な意味ではない。7月に自筆証書遺言の法務局保管制度が始まったのを機に、自分でも実際に制度を経験しておきたいと思ったのだ。ただ、8月15日を作成日に選んだのは、それにふさわしい日のように感じたからだ。死者を意識し、無数の死者の連なりの末に今があり、自分がいること。自分もまたその連なりの中にいつか入っていくこと。敗戦から75年の節目の日に、そんなことを考えながら自身の死に向き合ってみたいと思った。

実際に書く作業自体は半日ですんだ。法務省のHPで作成の注意点などが細かく示されており、さほど難しいことではない。預貯金の口座番号整理や不動産の登記上の住所確認などが少々、面倒だった程度だ。だが、やはり自分がいま死んだとしたらという前提に立ち、遺された家族らがどのように過ごしていくのかを考えるのは、それなりに覚悟が必要だった。

辛いとか不快だったかといえば、そうではない。むしろ、これまでの人生を振り返り、それなりに過ごせてきたことの満足感や、支えてくれた多くの人たち、中でも家族への感謝の念が湧いた。書き終えると、やり残していた宿題を片付けたような晴々とした気持ちになり、むしろこれからの残された人生のことを考え、自分が何をすべきか、何を目指すのかを考える、前向きな気持ちにさえなった。家族らが生きていく社会が、少しでも生きやすい場であって欲しい、と強く願った。

同時に、死者の声を聞くということを考えた。死者の声はか細く、積極的に耳を澄まさなければ聞こえない。8月15日は特に、そのことが意識的、積極的に求められる日だろう。多くの戦死者の声に静かに耳を傾け、その犠牲の上にあるいまの社会を照射、点検する貴重な機会であり、怠ってはいけないことだと考える。私たちの歩みは正しいのか、と死者に問うべき日だ。

昨年のお盆にも書いたが、私たちの社会は生者だけのものではなく、死者も共にあるはずだ。だが、ともすればそのことを忘れ、過去も未来も無視し現在だけを視野狭窄でみてしまいがちだ。お盆は死者のことを思い起こし、その存在を意識する。遺言作成もまた、死と向き合うという作業を通じて、死者の存在について考えるよい機会となった。死者の声への感度が、たとえほんの少しでもよくなったことを願っている。

遺言に向き合うことは、悪くない。定期的にしてみたい。

#死 #ライフエンディング #遺言 #自筆証書遺言 #保管制度 #お盆

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?