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「忌引き中出勤」への違和感

死者のホテル
 「死者のホテル」という言葉が使われ出したのは2010年。遺族が葬儀の段取りなどを決めるまでの間、遺体を冷蔵設備の備わった施設で預かる事業だ。それ以前も、葬儀社などには冷蔵設備があって遺体を預かることはあった。だが、専門施設を設け、それを「死者のホテル」とキャッチーなネーミングをしたことで、俄然世間の注目を集めるようになった。
 近親者の死で混乱する中、慌ただしく業者や段取りを決めてしまうことで、葬儀をめぐるトラブルにつながることがある。だから、「死者のホテル」で一呼吸入れることで落ち着いて考えてもらい、納得いくお見送りをというのが、開設趣旨の一つだ。
 もう一つは、火葬場が空くまでの間、遺体を預かってもらうという、とても現実的なニーズに応える場だ。東京や横浜のような大都市部の火葬場では、昼間の「人気」の時間帯は利用希望者が多いため3、4日待つことは日常的になっている。その間、まさにホテルとして利用するのだ。

会社帰りに死者に会う
 「死者のホテル」を運営する会社を取材した際、担当者が口にした言葉が印象に残る。「24時間いつでも面会できるので、会社帰りに寄るご遺族も多いんです」
 会社帰り。いま、「忌引き」の最中でも働き続ける人たちが多いのだ。忌引きとは「近親者の死のために、勤めや学校を休んで喪に服すること。また、そのための休暇」(デジタル大辞泉)のこと。実際、私自身も会社員時代、ご尊父が2日前に亡くなったと聞いていた同僚が職場にいて驚いたことがある。聞けば「火葬場が空かないし、仕事もたまっているから」とのことだったが、強烈な違和感を覚えた。

長寿の一般化、多死社会の到来
 いま、日本で亡くなる人の6割は80歳以上の高齢者で、長寿が一般化した。家族や近親者も心の準備をし、それなりに「納得」してその死を受け止めるケースが増えてきたといえる。突然の事故や病気で若くして亡くなった人の死と比べ、周囲が感じる「悲しみの度合い」といったものが、いささか薄いことは否定できないだろう。
 悲嘆が強ければ、仕事など手につかない。たとえ忌引きの最中であっても、仕事をするだけの心の余裕があることが「忌引き中出勤」の背景にはあるだろう。非正規雇用が労働者の4割近くを占め、そもそも忌引きでの休暇制度がなく、休めば賃金が減ってしまうという状況が一般化している。死者を悼み、喪に服する時間よりも経済が優先される、もしくは優先せざるを得ない状況も生まれている。
 また、葬儀に多くの人が参列するのであれば、遺族は否応なく対応することが求められる。その準備のため、忌引き中出勤する余裕はあまり生まれないだろう。だが、社会の第一線を退いてから20年、30年と時を経た長寿の死では、身内だけの家族葬や、葬儀そのものをしない直葬などが主流になっている。故人の友人らも高齢化して、弔問に訪れる人自体が減っている。遺族の負担は軽減され、時間的・心理的余裕も生まれた。
 こうした事情に加えて、死亡者数が毎年増え続ける「多死社会」到来による火葬場の混雑ぶりが、忌引き中出勤を後押しし、日常化しつつあるのだろう。頭ではそのように理解している。
 では、なぜ忌引き中出勤に私は違和感を覚えたのだろう。

死の穢れ、服喪の形骸化
 喪に服することには本来、近親者の死によって「死の穢れ」を帯びた人たちを一時的に公の場から外すという意味があった。近しい人の死を悼み弔う期間であり、グリーフ(悲嘆)からの回復に資する時を過ごしてもらう。同時に、近親者の周りにいる、たとえば職場の人間や地域コミュニティの人たちが穢れに触れないようにという配慮でもあった。いま「喪中」が日常の場面で意識されるのは、せいぜい年賀状を「喪中につき」と欠礼することぐらいだ。ならば、喪に服する忌引きが形骸化して忌引き中出勤が一般化していることは、「死の穢れ」が私たちの社会では消滅したことを意味するのだろうか。
 「死のポルノグラフィー化」という言葉で、現代社会では死がタブーとなったと主張したのは、イギリスの社会学者、G・ゴーラーだ。死は病院で管理され、日常からはみえにくくなっている。かつては宗教が与えていた死の意味づけを、現代人は失っている。死を日常で話題にすることはタブーだが、関心はある。それゆえに死の断片、死の情報がポルノのように陰に日に消費されていくといった主張だ。

リアルな死の喪失
 たしかに、メディアには多くの死があふれている。だが、それはあくまで想像上の架空の死であったり、自身とはなんの関係もない「3人称の死」の情報だったりする。だが、リアルの日常において、死は決して一般的なものではない。
 「七五三」で、3歳、5歳、7歳まで無事に成長したことを祝うのは、かつては「七歳までは神の子」といわれるほど乳幼児の死亡率は高かったことの裏返しだ。社会全体の平均寿命も短く、その多くは自宅で亡くなった。日常的に死は身近にあった。だがいま、ほとんどの子どもは途中で亡くなることなく成人する。「死に場所」も、1970年代後半以降、病院で亡くなることこそが当たり前となり、自宅で死にゆく過程をみる「在宅看取り」の文化はほぼ失われた。死は病室にあるものとなった。地方から大都市への奔流のような人口移動や急速な少子高齢化によって、葬送や看取りを支えていた地域コミュニティも揺らいだことが、在宅看取り文化の消失に拍車をかけた。

共通言語がない
 私たちは、死にゆく人や死者、その周囲にいる近親者らとどのように接すればよいのか、共通の作法、文化、認識、死生観を失っているといえるだろう。葬儀の簡素化や脱宗教化もそうした流れのうちにある。死の穢れはなくなったのではなく、それを共通言語として認識し、語ることができなくなっているのではないだろうか。
 死にゆくプロセス、死そのものへの漠然とした不安・恐怖はある。死者を悼み、弔う気持ちもある。だが、死が病院の中のものとなってリアリティを失い、社会が個人化し、在宅看取り文化も失われたいま、穢れという言葉に含意されていた、近親者への配慮とコミュニティなどへの配慮といった社会的合意が失われている。どう共有化すればよいのかがわからなくなっている。それこそが実は「死のタブー」の源泉であり、タブーゆえにますます共通の作法、文化、認識、死生観は失われ、タブーが強化されていくスパイラルな変化が続いていると考える。

死者の居場所はどこに
 忌引き中出勤に私が抱いた違和感は、タブーであるリアルな死が日常に急に立ち現れたことに対する戸惑いであり、自身の中に潜む死への恐怖を刺激されたためだったのだと思う。今後、ますます増えていくだろう忌引き中出勤は、そのうちだれも違和感を覚えることなく定着していくのだろうか。そのとき、死はどこで語られるのだろう。死者の居場所はこの社会にあるのだろうか。

#終活 #在宅看取り #死のタブー #グリーフ #葬儀

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