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「魔訶止観を読む」を読んだ後、まるで小学生風な読書感想文を書く

最近、私は小学生に読者感想文など指導をする様(はめ?)になってしまったため、ガイデッド・コンポジションに親近感がある。というかもうこれしかしていない。
では既成の質問に答え文章作成するガイデット・コンポジションの方法に則って、(小学生風に)この著作の感想文を書いてみよう。

※ガイデット・コンポジションの手法は、自分で構成する作文能力が低い作文初級者に向いており、中上級者には、パラグラフ・ライティングやプロセス・ライティングの手法を用いる。(拙文参照)
私もまあ、その様な初心者というものになりきって書いている。だが元々、私の能力がそのくらいなのかどうかは定かではない?
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小学生風読書感想文どくしょかんそうぶん

『まかしかんをよむ』をよんで

「この本を選んだきっかけはなんですか?」
→としょかんで、みつけたから。文庫本を上巻だけもっていて、ぜんぶ読みたかったから。禅だけでなく密教にもかんしんがでてきたから、さんこうになるとおもいました。表紙がシンプルできにいりました。」

「この本のあらすじをかいてください」

→昔の中国のお坊さんで、天台ちぎ という人がいました。インドのありがたいけれど難しい教えをとてもわかりやすく皆に広めて人気がありました。

天台ちぎ の弟子にかんちょう という人がいました。その人は文章のこうせいのたつ人で、「まかしかん」という本をかきました。
10章と5節で、10章のうち1章目のなかにふくまれる5節で、10章全体をかばーする、しかもだんだん10章へむけてスパイラルに修行がすすんでいく、という、たいへんすばらしい本のつくりかたをした人でした。

そしてこの本のつくりかたは、有名です。

本をよむと、修行へのじゅんびや、なんか困ったことがあったとき、どうしたらいいかがわかります。

さいしゅうてきには、きゅうきょくの真実とは何かが、誰にでもわかるようになるはずです。

「そのなかで、いちばん気になったところはどこですか?」

→どうしたら、悪い心をなくすか書いてあるところ。そこの悪いひとが、具体的でおもしろかった。
①初めからだめ②おまけに悪いともだちにあった③内も外も悪いことばかり。ついに共感の心もうしなう④あらゆる悪を勝手ほうだいやって、やっていない悪は一つもないまでくる⑤現実にはしてないけどね・・⑥悪い心は昼夜連続でおこっている⑦間違いはかくす⑧自信をもってわるいことをする⑨申し訳ないなんてちっとも思わないよ⑩因果をひていして、もう救いがたいものになっている
まるで、便所のうじ虫が肥溜めにいるのを楽しんでいるようだ。

「自分だったら、どう思いますか?自分の体験を書いてください」
→悪の便所からぬけ出したいと思う。そのために何かしたいのでつづきを読みたいと思った。そのためには、I、まず修行すること。(着る物や食べ物や座りかたが書いてあった)2、悪いこころが起こったら、どうしたらいいかも書いてあった。いろんな教えを思い出すと良いらしい。いろんな例えでわかりやすく書いてあった。

※自分の体験→欄外に追記

「自分がこの本を読んで学んだことをかいてください。」

→話に例をかいて、いろんなことを説明すると読む人にわかりやすくなり、たくさんの人に読んでもらえると思いました。

1500ねん後まで、読者に読んでもらうためには、かき方をくふうしたり、どくそうてきなアイデアや親切な書きかたをしなくてはいけないことを学びました。

「作者がこの本でいいたいことは何だと思いますか?自分は、それについてどう思いますか?」

人間はだれでもさとれるし、ほとけになれるけれども、落とし穴がたくさんあることを知ってほしいということだと思います。
あと、けんきょが大切だと言っていると思います。

それについて私は、こんなわかりやすい本をかいてくれてありがとう!って思います。
(けんきょでしょう、って書いちゃうとけんきょじゃないから言わない。でもおもっただけでもだめだった・・→すべては、あるがままなすがままだからそれでもゆるしてもらえるかも。笑)

おしまい

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はっきり言って、実際、小学生はこれより上手いだろう。

「摩訶止観を読む」は、良著である原作を題材にしているだけに非常に分かりやすく明瞭な書き方をしている書である。仏教関係本は難しいというイメージを覆す書であると思う。

天台宗は禅宗などより時代が一サイクル古いため、禅の成り立ちなどの根本が、こちらの方がへんに入り組まずシンプルに書かれていると思った。

もう一つの特徴が、本当に「具体的」ということで、これをバイブルがわり(というのも変な言い方)に修行など、すれば、誰かれ構わず指導者や先達も無しに一人で悟れるのではないか、というくらい、「具体的」に書かれており、(そうなると密教(台密)とは何か・・という問題、きっと奥が深く更なる奥義の奥義があるのかと)

ただ、私はまだ試しておらず「摩訶止観」書の数ある著者たちの人生を注目すれば1番良いのでは思うが、書くことと実際の生き方は別だわなとも思う今日この頃である。

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※追記 2022/05/27
じぶんのたいけんを書きます。
わたしは、ふゆのさむい日、起きられません。ふとんのなかは、とってもあたたかいし、ふとんのなかで風のゴーっという音や、鳥のチチチというこえを聞いているとなんだか幸せだなと思います。
でも、おきないと一日がはじまらない。わたしは、かぜや、ゆらゆらゆれる木や、かわいい白と黒の小鳥たちをじっさいに見るために、おきます。
とっても、がんばっておきます。
おきると、ふとんはもう、しあわせだった場所じゃなく、じゃまな荷物に見えます。
まるでじゅくじゅくした「悪の便所」みたいいだと思いました。
わたしにとっての「ほとけ」は、かわいい小鳥たちと、風にゆれる小さな葉っぱのついた木だとおもいました

メモ📝
・摩訶止観=中国古典。名著。綿密かつ具体的で雄大。天台智顎ちぎの伝える良質な仏道の世界。
・仏教=孤独を積極的に選びとって、徒党を組まず一人で行け、と教える。→沈黙の時間こそ己の真の姿見える→孤独の深淵から敢然と立ち上がる術の解き明かし→「摩訶止観」は孤独や絶望を意味あるに変える道
・天台智顎ちぎ大師60歳没時代は晋、背景・法華経(維摩経解説)→灌頂(講説つまり伝えた人)
龍樹→慧文→慧思→智顎の流れがいかに由緒正しいかを灌頂が示す。
・五略十広=文章構成。全体10章丁度いい。一章目は、さらに五部にて、最終的に何を言いたいかを説明。10章目は、根本の主旨を明示、10章で講説の始終を一貫。五略を生起して十広をあらわす=五略の説明が、十章の内容を予言している構成。五略十広といえば「摩訶止観」。
・1-5章→5略1節〈発心〉・6.7章→5略2節〈四種三昧〉・8章→5略3節〈感果〉・9章→5略4節〈裂網〉・10章→5略5節〈帰処〉。感果=修行の内容が正当であるか判定。裂網=効果を他者に寄与、伝道。帰処=究極の真実に帰着。
・意図した書き方
・本著の課題=発心と修行の解明とくに1-2節。
・四諦→四弘誓願
・六則(進歩の度合いを図る目安)
これらが発心。→2節の修行へ・・
・修行=四種三昧(座る・歩く・歩き座る・作務などそれ以外)を身体・口・心3点で具体的に説明。
・止観について=2章意味説明、3章原理説明、4章あらゆるものの統合で全てを包括と説明、5章同じ止観でも十分不十分存在、非の打ち所がない止観を確認する。以上、発心終了。
・止観の修行の前に種々準備や確認すべき→6章二十五方便
・環境を整えて準備OK→7章で止観の修行。ここが,摩訶止観の本論。独創性、創意工夫のあとが全面。十境は修行者悩ます境遇、十乗観法はその解決策。修行の現場で生ずる諸問題が一つづつ丁寧に処理。
・因縁によって生ずるものは、全て空であり、仮であり、中である=即空即仮即中
・縁起縁滅=どんなものも、原因や条件があり成立して、単独ではない。これが縁によっておこり、縁によって滅する
・この世界は、日々新たに生成し、変化し、消滅する。人は仮象の世界にて泣き笑い、営み、人生を終える。仮象=立派に虚仮の真実。
・この世界を有無(仮空)の二分律で捉えるのでなく、あるがまま正しく認識する事である(中)。つまり空であり、仮であり、中である。


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