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テニス上達メモ048.仕事ができる人は「ゴルフが苦手」なの?


▶失敗の「免疫」


メンタルトレーナーの岡本正善氏が、「なぜ、仕事ができる人ほどゴルフが苦手なのか?」というテーマで、次のように説明しています。

特に仕事がバリバリできる人ほど、『失敗するのが当たり前』という、ゴルフ特有のスタートラインを認められない。仕事の上で失敗することが少ないから、失敗に対する免疫ができていないんです。

出典失念

一方テニスゼロでは、「テニスができる人は仕事もできる」見解を示しつつ、「テニスの上手い人が『仕事もできるわけではない』」両面を指摘しています。

うーん、どっちなのでしょう?

仕事ができる人はゴルフが苦手な傾向だとすれば、単純に「頭で考えて(フォームを意識して)プレーする」というのが真因なのでしょうけれどもね。

▶失敗のウイルスに感染すると「元気」がなくなる


仕事ができる人は「失敗に対する免疫ができていない」とする見方を支持するならば、テニスは失敗するスポーツなのに、失敗のウイルスにすぐさま感染して、元気がなくなってしまうと言えそうです。

「元気があれば何でもできる」といったのは、燃える闘魂アントニオ猪木でした。

その元気がなくなってしまうと、何もできなくなってしまいます(元気がないときは決して無理しないのが、自己肯定です)。

▶「失敗を怖れる」理由


それに加えて私としては、失敗することを屈辱に感じる「プライド」が関わっていると思います。

プライドが高い人は、「成功したご立派な自分」を、周囲の人にも自分にも納得させたいのだけれど、そうであればあるほど結果的に、むしろ「失敗した屈辱的な自分」を、周囲にも自分にもさらしてしまいがちです。

なぜか?

失敗する結果を、極度に「怖れる」からです。

結果の「未来」については、どうなるか絶対に分からないのだから、考えるほど不安になって「現在」のパフォーマンスが落ちるのです(参考記事:「成功しかない」必ず結果が出る方法!

そして「失敗から学べない」からです。

失敗を、屈辱的に感じる自分。

そんなセルフイメージが、強固に構築されています。

▶「抜かれずに出る」ポーチは可能なのか?


「失敗=ダメ」という怖れのイメージに基づくと、失敗した瞬間、衝動的にカッとなり、あるいは、精神的に落ち込み、はたまた、もう嫌だなどと、やる気を失ってふてくされる。

そうすると、失敗する屈辱感を避けて、挑戦するチャンスも避ける

テニスの「ポーチ」などはまさにそうで、毎回サイドや頭上を抜かれずに「出る」などというのは、プロでも不可能な矛盾なのに、挑戦しないからどこまでのボールだと「届くかor届かないか?」の経験値が高まりません

自転車は、転ぶから乗れるようになるのでしたね。

失敗からこそ学び取れるはずだった、せっかくの体験を、自らふいにしてしまうのです。

▶失敗を「何事もなかった」かのようにスルーする


ゴルフもそうなのでしょうけれども、テニスは次から次へと「はい、あなたは今、失敗しましたよ」「はい、また次も失敗しましたね」と、ミスを突き付けられ続けるスポーツです。

総ポイント数のうちの大半が、対戦相手か自分か、どちらかのミスによる統計結果が、スタッツから見て取れます。

ですからプライドを捨てて失敗を「何事もなかった」かのようにスルーしないと、ボールに集中し続けられなくなります

「失敗するのが当たり前」

だけど、人生もそうではないでしょうか。

失敗続きで、今がどんなにしんどくても、「元気があれば何でもできる」し、「元気があれば何とかなる」。

その元気がなくなる前に何とかしないことには、「我慢のキャリア」を強いられかねません

▶みんな本当にキラキラなのか?


とはいえどうしても、周りの人を見ると、比べてしまい、幸せそうに見えるからこそ、相対的に自分がみじめに、ちっぽけな存在に、感じられがちです。

相対性の世界」ですからね。

特にSNSの作られた世界では、「みんながみんな成功者」のようにキラキラ映ります

なぜなら、わざわざ自分の失敗をSNSにあげたりしないですからね(そういう逆張りも、ユニークなコンテンツになりそうではあるけれど)。

その光と影のコントラストに惑わされると、つらくてみじめでしんどくて、どうしようも仕方がなくなるときもある。

だけどみんな、本当にキラキラなのでしょうか?

▶中島みゆき『タクシードライバー』


中島みゆきの『タクシードライバー』には、こんなフレーズがあります。

笑っているけど みんな本当に幸せで 笑いながら町の中 歩いてゆくんだろうかね
忘れてしまいたい望みを隠すために ばか騒ぎするのは 私だけなんだろうかね

アルバム『親愛なる者へ』

私が初めて聴いたのは、35年くらい前になるのでしょうか。

このとき私は、「あぁ、自分だけじゃない」と思いました。

本当は、私もあなたも誰も彼もが、「忘れてしまいたい望みを隠すために、ばか騒ぎ」しているだけなのかもしれない、と。

▶学びの種は「ここかしこ」にある


さて人生も、失敗を「何事もなかったかのように」スルー。

もちろん、成功を目指したくなるけれど、その具体的な方法論が、成功の対極である「失敗から学ぶ」

「学びの種」はありがたいことに、探さなくても、ここかしこにありますよ。

何しろ「毎日が失敗の連続」ですからね。

その種(失敗)にせっせと水をやり、育んでいく。

「学びの種が見つからなくて困る!」というのであれば、それはそれでいいじゃないですか。

基本的に、人生全般が上手くいっている証拠なのですから。

▶失敗しない人生は「挑戦していない」


失敗がない人生ならば、「挑戦する場」を探してもいいかもしれません。

だからといって「わざと」失敗する必要もありません。

わざと失敗しても、「身にならない」からです。

「意図しない失敗」だからこそ、成功につながる「学びの種」となります

▶運動神経が最も伸びる「瞬間」


卑近な例ですが、段差で突っかかって、転びそうになったとする。

このとき「いちばん運動神経が伸びる」瞬間と言われます。

体は転んでしまわないように、無意識的に足を一歩踏み出しつつ、腰をサッとかがめて、腕をかざし、オフバランスを立て直そうと一瞬で反応します。

この「無意識的な反応」を体が学習して、身体バランス感覚や、着地タイミング、筋入出力の最適化などを学びます。

このとき、「運動神経が最も活性化」する瞬間です。

▶「わざと」やっても運動神経は伸びない


しかし「わざと」転んでも(わざと失敗しても)、この無意識的な反応は、引き出せないのですね。

わざと転んでオフバランスを立て直そうとすると、どうしても意識的に「身構える」からです。

ですから、最も運動神経を活性化する無意識的な反応までは、どうしても引き出せない。

なので人生における挑戦の場でも、わざと失敗する必要はありません。

もちろんわざとでない場合は、崩したバランスを回復できずに転んで怪我をする失敗だって経験するでしょう。

そんなときこそ、「元気があれば何でもできる」。

転んでしまっても立ち上がりさえすれば、自転車に乗れるようになるのと同様、そこから「成功の種」は育ち始めます

ただし、元気がなくなる、その前に


即効テニス上達のコツ TENNIS ZERO
(テニスゼロ)
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スポーツ教育にはびこる「フォーム指導」のあり方を是正し、「イメージ」と「集中力」を以ってドラマチックな上達を図る情報提供。従来のウェブ版を改め、最新の研究成果を大幅に加筆した「note版アップデートエディション」です 。https://twitter.com/tenniszero