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質問1533:若い頃はいつも100%の力で描こうと思っていた

丁寧にコメントを下さり有難うございます。 僕の絵についても触れて頂き有難うございます。 楽しんで描くということは、テニスゼロさんの仰る通りです。 若い頃はいつも100%の力で描こうと思っていました。 それこそが間違いだと気づくのにかなりの時間を要してしまいましたが(笑) 今後ともどうぞよろしくお願い致します。

もりおさん

コメントを頂戴し恐れ入ります。
まさに仰せのとおりだと思います。
100%を求める完璧主義が、私たちを苦しめます。

そのことを私に教えてくれたのも、テニスでした。
テニスはミスするスポーツ。
完璧なプレーはありえません。

だけどこれは、テニスに限った話ではないのでしょう。
誰だって、仕事や日常生活でも、失敗やミスもすれば、過ちだって犯します。

ある少女はボールをノーバウンドでぶつけた。
その対戦相手ペアは執拗に抗議した。
大会運営側は判定を覆した。
SNSの誹謗中傷は止まない。

どれもこれも、完璧ではありません。

なのに、自分のプレーや作品に完璧を求める。
パートナーや部下に完璧な振る舞いを求める。

もちろん、たまに完璧にできることもあります。
それが、「罠」。

「今回は完璧にできたのだから、次回も完璧にできるはずだ!」

まさに人生のようなものです。
人生はつらくて苦しいのがデフォルトだけど、たまに嬉しいことがあったりすると、「自分は完璧だ!」などといって舞い上がる。
そして完璧にできなかったときに落ち込む。

この舞い上がりと落ち込みの振幅がどんどん大きくなると心が蝕まれるから、完璧主義は私たちを苦しめるのです。

私も若いころは思っていました。
「俺は完璧だ!」
「完璧主義のどこがいけないんだ!」
「完璧にこなそうとする姿勢の何が悪いんだ!」

いやはや、顔が真っ赤っかになりますね(苦笑)。

そういう姿勢でいると、完璧にできない自分を許せなくなります。
完璧にできない他人を許さなくなります。

完璧主義は素晴らしいどころか、人としての器を小さくしてしまう。
いえ、器を壊すといっていいかもしれません。

失敗やミスや過ちを、何も受け入れられなくなります。
だけど私たちは、失敗やミスや過ちから学びます。
ですから完璧主義でいると、学びが止まります。

逆に言えば私たちは、完璧主義を手放すほど、器が大きくなります。
その大きくなった器に、成功のもとである失敗をどんどん盛れるから、いつも、いつまでも、いろんなことを学べるようになる。

もりおさんよりコメントを頂戴し、改めて私も、完璧主義を手放そう、手放したいという気になりました。

自分も他人も、不完全を「許す」ところから、始めてみたいと思います。
こちらこそ、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

即効テニス上達のコツ TENNIS ZERO
(テニスゼロ)
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