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全国13連覇中のテニス部のキャプテンを任された話

私は、2017年11月から2018年10月までの約1年間、伝統ある早稲田大学庭球部の主将を務めた。数々のプロ選手を輩出し、確実に日本のテニス界の発展に貢献している組織だ。私もその部活のOBと言える事を誇りに思う。

早稲田大学庭球部は全日本大学テニス王座決定試合で、男子部は現在15連覇(2019年)を達成しており、私は14連覇を達成した時の主将だった。

この文章は、私が主将を務めた1年間の記録と、主将を行なっていた中で私が感じていたことを忘れないうちに形に残したいと思い、作成することにした。

また、需要があるか正直わからないが、これから大学テニス界で主将を務める方や、それを支えるチームメイトの方々に少しでも参考になれば幸いである。

※文章中にあるカッコ内の学年は当時の学年です。

**第1章 **

何となくの、覚悟。

2017年10月中旬、雨天による順延が重なり、早稲田大学東伏見三神記念テニスコートにて、全日本大学対抗テニス王座決定試合の男子団体戦決勝が行われた。

全日本大学対抗テニス王座決定試合(通称、王座)は、毎年10月中旬に行われる。団体戦で大学日本一を決める大会である。試合はダブルス3試合、シングルス6試合の計9本勝負で、全て3セットマッチで行われる。

当時私は大学3年で、早稲田大学主将は小倉孝介さん(4年)であった。相対するは早稲田大の最大のライバルである慶応義塾大学。

試合は関東リーグ(王座の関東予選)では早稲田から5対4とかなり接戦だっただけに緊迫した試合展開が予想されたが、蓋を開けてみれば早稲田大学から8対1と圧勝であった。しかし、9試合中5試合がファイナルセットまでもつれる接戦で、早稲田のホームコート開催のアドバンテージがなければ、また違った結果になっていたかもしれない。

私はほぼ全試合D1(ダブルス1)とS2(シングルス2)で出場、関東リーグ、王座を通して自身が出場した全15試合を無敗で終え、大会MVPにも選ばれた。

大学3年目(2017年)は結果もある程度残せた年だった。インカレダブルス優勝、昭和の森フューチャーズダブルス優勝、シングルスもインカレベスト8、ATPポイントも2点獲得し、4年目はプロの大会でももっともっと勝ちたい、強くなりたいと思っていた。

大学王座が終わり4年生は引退。次の主将を決める時期が来た。当時の同期の主将候補に、私と古田伊蕗(3年)がいた。彼はショット力は無いが、正確な読みと戦略を軸とした粘り強いプレースタイルで、学生ながら全日本テニス選手権でベスト16に入り、プロとも互角に戦える選手だ。

私はこんなにプレッシャーのかかる部活の主将なんてやりたくない。古田に任せて、自由にやりたい。と言うのが本音だった。

そんな気持ちとは裏腹に、古田はその時期怪我を負っていた。六軟骨損傷といった治りにくく、厄介な怪我だ。他にも様々な理由が重なり、古田が主将をやれる状態ではなかった。怪我で大学王座、全日本テニス選手権も満足に戦えず、就職活動も始まる、彼がテニスに対するモチベーションを完全に失ってもおかしくなかった。

古田の怪我の事もあり、私は主将になる覚悟を決める事にした。何となく、腹を括った。

**第2章 **

何を優先するのか。

主将になった私を待ち受けていた最初のイベントは、12月に行われる全日本学生室内テニス選手権大会(インカレ室内)だ。

インカレ室内は個人戦で冬の大学生チャンピオンを決める大会である。過去の優勝者で、プロで活躍している選手も多い。

また、多くの大学の部活から4年生が抜け、新チームとなり、次の年に向けて勢いを出す為に上位に選手を送り込みたい大会でもある。

結果は男子シングルスで田中優之介(1年)が優勝。千頭昇平(1年)が準優勝、島袋将(2年)は怪我だったが三位。

ダブルスでは坂井勇仁(4年)/田中優之介(2年)ペアが優勝、古賀大貴(2年)/安上昂志(2年)ペアが準優勝とチームとしては最高の出だしだった。チームとしては、だ。

正直、この大会で私はシングルスで上位に食い込みたかった。ダブルスはもちろん優勝を目指していたが、シングルスは一回戦で今村昌倫(慶應義塾大学/1年)に敗退。高校の後輩でもある彼は後に、インカレ単優勝(2019)、インカレ室内単複優勝(2019)を成し遂げる大学テニス界のトップ選手で、人間性も含め素晴らしい選手である。

試合のスコアは4-6.4-6だったが、内容はかなりあっさりしていた。何故あっさり負けたのか。相手は強いし、高校の後輩で意識していたのは勿論ある、リスペクトもしている。だが、自分がシングルスの試合をやっている時、他のチームメイトが勝っているか、あいつは負けていないか、気にしていた。情けないが簡単に言えば、自分の試合に集中していなかった。

これが全ての原因ではないが、主将になってから自分以外に費やす時間が確実に増えた。チームの練習メニュー、試合や対抗戦の予定、選手の育成、コミュニケーションなどチームマネジメントに携わる時間が何より多かった。慣れない生活の中で、自分のテニスよりも、チームを優先しすぎていた。

これでは駄目だ、主将としてなら別に構わないが、私は選手だ。このままでは自分のテニスレベルが確実に落ちる。ダブルスでは結果を残せていたが、『自分のテニス』と、『主将であること』のバランスを失っていた。

**第3章 **

頼ること。

早稲田大学では毎年、年末合宿が行われる。次入ってきてくれる高校生や早稲田に興味のある学生も来てくれる年末の一大イベントである。正直練習がきつくて憂鬱な気持ちになるので1年生の時から苦手なイベントだった。

合宿から逃げたかった気持ちが無いといえば嘘になるが、自分のテニスのスキルアップの為、年末年始の時期を利用し海外遠征へ行くことに決めた。4月以降は新入生も入ってくる、授業、就活、早慶戦、春関(インカレの地方予選)、インカレとイベントが続く。合宿は他のチームメイトに任せ、私はクリスマスとお正月を犠牲に、2週間の香港遠征へ臨んだ。遠征メンバーは小林雅哉(2年)、田中優之介(1年)、そして怪我から復帰した古田伊蕗(3年)だった。また、コーチ兼選手として松崎勇太郎さんが海外知識の乏しい私達に帯同して下さった。

田中優之介(1年)、古田伊蕗(3年)は私が強引に誘い込んだメンバーだった。田中に関しては1大会目にランキングが足らず出場出来なかったことはこの場を借りて謝罪する。古田はかなり強引に誘った。あれやこれやと理由を付けて何とか来させた。怪我があって厳しい時期があっただけに、気分転換にでも良いから来て欲しかった。奇数だったから、というのは冗談だ。

2週間の遠征の結果は、シングルスでは田中優之介(1年)、小林雅哉(2年)が本戦に上がった以外大した結果を残せなかったが、2大会目のダブルスで坂井勇仁(3年)/田中優之介(1年)ペアで優勝する事ができた。決勝では全日本テニス選手権を2連覇(2018.2019)している今井慎太郎選手(早稲田大卒)/仁木拓人選手のペアに勝利した。その後亜細亜フューチャーズできっちりリベンジされたが、当時私の中で大きな勝利だった。

年末合宿をほったらかしにした甲斐があった。代わりに仕切ってくれたチームメイトに感謝している。何より、周りには自分より優秀なチームメイトがいて、それを信じ、頼ることの大切さに気付けた。

改めて海外遠征にすんなりと行かせて頂けた庭球部の環境に本当に感謝している。

第4章

得た自信。

香港のダブルスで優勝できたこともあり、どんどん海外にも挑戦していこうといった流れが私の中で出来た。勢いそのままに、2月に2週間のトルコ遠征へ臨んだ。

メンバーは、松崎勇太郎さんにまた帯同して頂き、島袋将(2年)、小林雅哉(2年)、田中優之介(1年)、千頭昇平(1年)であった。

テニスの状態は非常に良くなっていた。シングルスもダブルスも、私の中では良いレベルでプレー出来ていると感じていた。ただ、トルコのフューチャーズ(国際大会の下部大会)の出場カットが高く、ダブルスは2週共に出場出来ずにもどかしい時間を過ごした。出場したら勝てる、それだけ田中優之介(1年)とのダブルスに自信があっただけに、残念だった。

そんな中、シングルスで自信を得た試合があった。1大会目は予選で負けたものの、2大会目で元ジュニア世界ランキング1位ブラジルの選手(当時ATP約600位)に勝つことができた。予選を勝ち抜いて本戦一回戦で500位台の選手にファイナルセットで負けてしまったが、自信になった。 自分でもATP500位前後の選手と互角に戦える、上手くやれば勝つことができる、そう感じていた。

トルコ遠征中には様々な事件が起きた。田中優之介(1年)が食あたりで2週目の大会に出れず、夜中もトイレとベッドの往復で、嘔吐→下痢→休憩→嘔吐といった感じでほぼトイレに住んでいて可哀想だった。トイレに布団を敷いてあげようかと思った。
もう1つは千頭昇平(1年)の部屋にベランダから外人の泥棒が入ってきた。すぐに気づいて声を上げたら逃げていったらしいが、本人曰く、結構本気で殺されると思ったらしい。他にもエピソードはあるが長くなるのでこれくらいにしておく。

やっと、私は自分のテニスに集中できていた。主将の仕事をやっていないわけではなかったが、テニスが楽しくなっていた。やっと自分の中で、バランスが取れてきていた。

**第5章 **

怪我、休む勇気。

3月になり、春の大学フューチャーズシリーズ期間に突入する。かなり暖かくなってきて、トルコから帰ってきたら日本の冬が終わりかけていた。

そんな中、学生として臨む最後の早稲田フューチャーズが開催された。

シングルス予選から出場した私は、非常に好調で、プロ選手を圧倒し本戦へ駆け上がった。この時のテニスが継続できれば、何度か挑戦すればフューチャーズベスト8くらいに入れると思うくらい調子が良かった。

だが、テニスの調子に身体が付いてきていなかった。予選が終わった時点で軽く右足の内転筋を肉離れしていた。

本戦一回戦の相手は、後輩でダブルスペアでもある田中優之介(1年)。楽しみな一戦だった。試合は4-6.6-4.6-7で田中が勝利した。良い試合だったと思う。

試合終了後、『後輩の育成という意味では負けて良かったよ』なんて仲間やコーチに冗談で言われたりして、表には出さなかったが腹が立って悔しかった。

試合中怪我の影響は殆どなく終える事ができたが、テーピングでグルグル巻きにして試合をしていたので終わってからが痛くて大変だった。

休養を取ればよかったのだが、焦っていたのか、私は次週の山梨に向かい、最後まで十分に動くこともできず早々と負けて帰ってきた。
調子が良かったのに、怪我。完全に意気消沈していた。休む勇気が足りなかったのに加え、自分にストップをかける事が下手だったようだ。

第6章

勝ちに不思議な勝ちあり。

学年はついに4年生になり、季節は春、桜が咲いていた。この年(2018年)から新設された愛媛フューチャーズ(2万5千ドル大会)のダブルスの本戦WCを縁あって頂く事が出来、出場する為松山へ飛んだ。

一応シングルスも出場していたが、足にはまだ痛みがあった。怪我が酷くなるのが怖かったので出なければ良かったと思っていたが、結局予選決勝であっさりと負けた。

ここからが、まさかの展開だった。2017年のインカレで優勝した際のダブルスペア、河野優平選手(早稲田大卒)とダブルスで準優勝してしまった。『勝った』と言うよりは『勝ってしまった』が正しい。ドローを見た時から帰りの格安航空の飛行機の時間ばかり見ていた。全日本選手権優勝ペアや、ATPチャレンジャー大会で決勝に進出するようなペアを倒して、決勝進出。正直今でもなぜあの時勝てたのかわからない。最後は決勝で負けたが、勝ちに不思議な勝ちありだ。

この大会の結果で、日本ランキングもかなり上がり、ダブルスで20位まで来ていた。シングルスは大体50位か60位くらいだった。

**第7章 **

重圧、消えた積極性。

海外遠征、国内フューチャーズと連戦が続いていたので、怪我も仕方なかったのかもしれない。テニス選手はレベルを問わずオフシーズンがない。怪我はしていたが、すぐに春関と、早慶戦もある、じっくり治療に専念する時間はとらなかった。主将である上に、結果も残さなければならない。休んでいる暇はなかった。

春関というのは、春季関東学生テニストーナメントのことで、夏に行われる全日本学生テニス選手権大会(インカレ)の関東予選である。

怪我の影響もあり、シングルスの練習に身が入っていなかった。ダブルスは全然問題ないのだが、シングルスで連戦が続くと、必ず痛みが出た。長いラリーを避け、出来るだけ単発でポイントを終わらせる様にしていた。

春関が始まり、シングルスはインカレ本戦への切符は手にできたものの、ベスト32で敗退。ダブルスは決勝で敗退。プレッシャーを感じ、怪我をごまかしてやっていたが、フューチャーズで出来ていたプレー内容とは程遠かった。何より試合を楽しめていなかったのが事実だった。

チームでは島袋将(3年)がシングルス準優勝、ベスト4に小林雅哉(3年)。ダブルスは坂井勇仁(4年)/田中優之介(2年)ペアの準優勝、古賀大貴(3年)/安上昂志(3年)ペアのベスト8が最高成績で、決して喜べる結果ではなかった。

良くも悪くもなく終了した春関だった。春関後、不調の影響で私の中で明らかにテニスが楽しいものでは無くなっていた。早慶戦に出たくないくらい弱気だった。シングルスでもダブルスでも、相手が大学生であれば特に、勝たなければ、勝たなければと言った感情が先行し、プレーに積極性や我慢強さが消えていった。おまけに怪我も治らない。中々メンタルを上手くコントロールできなかった。

第8章

苦しい中、楽しむ勇気。

そんな中、春の早慶戦を迎える事になる。男子は第186回を迎える伝統の一戦。男子の早慶戦は全試合5セットマッチで行われる。早稲田は39連勝中で、勝てば40連勝。数字だけ見れば、『またどうせ早稲田がかつんでしょ』と思われるかもしれないが、やっている側からすればそんなに甘いものではない。ここ数年で慶應義塾大学の強さは一気にレベルアップし、年々差を詰められている。

主観だが、この年の慶応の団体戦のダブルス3本は、私が入学してから1番強かった。ダブルス1からダブルス3まで実力差が少なく、組み込まれたペアリング、徹底したプレーには眼を見張るものがあった。

早慶戦には5対4で勝利したが、余裕のある戦いとは程遠かった。その時のオーダーと結果を載せておく。

D1〇坂井勇仁(4年)・田中優之介(2年) 6-4.6-7(5).4-6.7-6(3).6-4 逸崎凱人(4年)・羽澤慎治(1年)
D2●島袋将(3年)・髙村佑樹(3年)3-6.3-6.7-5.6-2.4-6 福田真大(3年)・今村昌倫(2年)
D3●古賀大貴(3年)・安上昂志(3年) 2-6.7-6(6).3-6.4-6 畠山成冴(4年)・山﨑瑛二(4年)
S1●島袋将(3年) 3-6.3-6.6-4.6-4.4-6 羽澤慎治(1年)
S2●田中優之介(2年) 0-6.2-6.7-5.2-6 今村昌倫(2年)
S3○髙村佑樹(3年) 6-4.7-5.6-7(5).6-0 福田真大(3年)
S4〇坂井勇仁(4年) 3-6.7-6(5).6-4.6-4 逸﨑凱人(4年)
S5○小林雅哉(3年) 7-5.1-6.6-3.0-6.6-4 中村進之介(4年)
S6○古田伊蕗(4年) 6-2.6-3.6-2 伊藤竹秋(1年)
計5-4

私自身単複に出場し2勝をチームに持ち帰る事ができたが、接戦をあと1試合落としていたらチームは負けていた。何か1つ歯車が狂っていたらと考えると、勝ちはしたが喜べなかった。

団体戦はダブルスの3面展開で始まる。この時の早慶戦は私と田中優之介(2年)以外のダブルス2本が先に敗北し、0-2の場面で1面取り残された。慶應義塾大学のコートで、チェンジコートの際ベンチに座りながら、田中と『また取り残されたね』と苦笑いしながら話したことを覚えている。

この時のダブルスの勝因は、試合を苦しい中でも無理矢理だが楽しめた事だ。試合中ペアの田中にかなり助けられた。確かに物凄く緊張していたし、絶対に勝たなければならなかった。だがそれを意識しすぎる事が良くない結果に繋がってしまう可能性が高い事を、春関の決勝で身を持って経験していた。それに、どうせ負けるなら、思い切り楽しんで、負けよう。良い意味で、負ける覚悟が出来ていたのかもしれない。チームにとっても大きい一勝だった。

シングルスは勝てはしたものの、テニスはぶっ壊れていた。中学、高校時代のコーチが観に来てくれていたのだが、『フォームがかなり崩れているし、球も飛んでない』と言われた。ただ、その頃は修復できる余裕がなかった。社会人になった今の方が、強いかどうかは別としてテニスは上手い自信がある。

他にもチームメイトの活躍をたくさん書きたかったが、多すぎるのでまた別の機会にしたいと思う。

第9章

押し通す。

早慶戦が終わり、チームはインカレと関東リーグに向けて動き出した。目標はもちろんインカレで優勝者を出す事。関東リーグ優勝、その先の王座で優勝する事だった。

リーグや王座で必ず優勝するには、ダブルスでリードし、シングルス4.5.6で試合を決める、余裕ある戦いをしていく必要がある。

逆にシングルス4.5.6が団体戦での早稲田の強みだ。この時の早稲田の層の厚さなら、確実に勝ち星を重ねなければならないポイントだ。シングルス1.2.3は関東1部だと、どの大学もレベルが高い。

ダブルスの強化は必須だ。通常の練習にプラスαでダブルス強化練習会を行った。特に慶應にはダブルスで0-3にされる可能性も高いと強く感じていた。

練習の負担が増えることに対し部員の反発も多かった。だけど、ここだけは譲ってはいけないと思った。あの頃は少し高圧的な言い方をして抑え付けてしまったかもしれないが後悔はない。『だるい』『しんどいっす』『そこまでやる意味あるの』と言われながらでも、皆練習には来てくれていてホッとしていた。

必ずやらなければならないと思ったから、強引に通した。自分が正しいと思う事は押し通す事も、時には大切だ。

不安もあったが、ダブルス強化練習会の効果が出てると言ってくれる部員もいて、その時は素直に嬉しかった。

第10章

勝って兜の緒を締めよ。

結果から言うと、全日本学生テニス選手権は、シングルスベスト32、ダブルスでは2連覇を達成することができた。

ダブルスで優勝したあと、ホッとしていた私と田中優之介(2年)に、石井弥起ヘッドコーチは『おめでとう、でも当たり前だよ』と言った事を今でも覚えている。今だから言うが、内心弥起さんもめちゃくちゃホッとしていたはずだ。勝って兜の緒を締めた。

今回のインカレは単複共に実力がそのまま出た結果だったと思う。ダブルスは2連覇を狙っていたし、出来ると思っていた。他のシードペアが早々に敗退した事も大きかった。前の年(2017)はノーシードからまさかの優勝だったが、今回は第1シードで、1セットも落とさなかった。やるべき事を明確にして実行でき、負けない戦い方が出来た。

チームの為に考えたダブルス練習会だと思っていたが、1番自分の為になっていた。意識的に練習したことが試合で上手く出来る。濃い内容の練習が出来ていた。

シングルスはエース島袋将(3年)がアジア大会で不在の中、決勝進出者は出せなかったものの、齋藤聖真(4年)がベスト4、古田伊蕗(4年)、木元風哉(2年)がベスト8と奮闘してくれた。
私はインカレ後に、団体戦ではダブルスに集中しようと思っていた。シングルスは層も厚く、強いメンバーが揃っていたし、皆に任せようと思った。何より自分に余裕がなかった事も自覚していた。単複追い求めて、どちらも中途半端に終わるくらいなら、ダブルスに集中して、何よりも王座で優勝して大学生活を終えたかった。

それに春の早慶戦以降、自分のテニスなどどうでもよくなっていた。今年はもう自分の事は無理だと、諦めた。それが良いことなのか、悪いことなのかは分からない。まずはこのチームで王座で優勝すること。それだけだった。

第11章

連戦、連戦。

インカレ終了後、決勝戦から3日後から夏期関東学生テニス選手権(通称.夏関)が行われる。そして夏関決勝の1週間後に関東リーグが始まる中々のハードスケジュールだ。

夏関には、四年生はリーグへの調整と、後輩達のランキングポイント獲得を優先する為、出場しない傾向があった。早稲田からも主力の4年生は出場しなかった。少し新人戦のような要素が混じった大会になりつつある。

夏関の結果はシングルスは小林雅哉(3年)がベスト4、ダブルスは田中優之介(2年).木元風哉(2年)ペアが優勝、古賀大貴(3年).安上昂志(3年)ペアが準優勝だった。インカレ後の疲れをみせる選手も多い中、一踏ん張りした選手達が勝った印象だ。

そしていよいよ王座進出をかけた関東大学第1部リーグが始まる。リーグは全6チームによる総当たり戦で行われ、上位2校が王座(全国大会)進出、下位2校が第2部リーグとの入れ替え戦へ臨む。この年の1部リーグの大学は昨年度の順位から早稲田、慶応、中央、法政、明治、亜細亜であった。

早稲田大学は第1戦.亜細亜大学に8-1、第2戦.明治大学に9-0と好調な出だしを切った。いずれもダブルス3-0からのシングルス下位で決める理想的な展開、細かく見れば多少突き詰める点はあったが、大きな問題点はなく試合を進める事ができた。

迎える第3戦、法政大学戦。ダブルス3試合中2試合がファイナルセットまでもつれたが、ダブルス3-0で折り返すことに成功。坂井勇仁(4年)田中優之介(2年)ペアも春関の決勝で破れた小見山僚(4年).楠原悠介(3年)ペアにリベンジを果たす事が出来た。

だが、ここから法政に意地を見せられる。S4古田伊蕗(4年)、S5齋藤聖真(4年)と4年生が立て続けに敗北、S3千頭昇平(2年)も法政大学エース岡垣光祐(2年)にストレート負けを喫し、3-3まで追いつかれる。

ここで嫌な流れを断ち切ってくれたのは1年生の時から何度も何度もチームの危機を救っているS3小林雅哉(3年)。相手を一歩も寄せ付けず、チームを勢いつける完璧な試合運びだった。それに続きS6木元風哉(2年)が粘り勝ち、スコアは5-3、早稲田の勝ちが決まった。

その後S1島袋将(3年)も法政大学.柚木武(2年)の長身から繰り出されるビックサーブとダイナミックなプレーにかなり苦しんだが、ファイナルセットの末勝利。計6-3で法政大学に勝利した。

早稲田に対して向かってくる法政大学の怖さを感じた対戦だった。結果的に早稲田がダブルスを3-0で押さえられた事が大きかった。それが出来ていなければ負けていた。

D1〇坂井勇仁(4年)・田中優之介(2年) 6-4.3-6.6-1 小見山僚(4年)・楠原悠介(3年)
D2〇齋藤聖真(4年)・島袋将(3年) 4-6.6-2.6-4 前﨑直哉(4年)・柚木武(2年)
D3〇髙村佑樹(3年)・木元風哉(2年) 6-3.6-1 藪巧光(3年)・岡垣光祐(2年)
S1〇島袋将(3年) 6-3.4-6.6-4 柚木武(2年)
S2●千頭昇平(2年) 2-6.0-6 岡垣光祐(2年)
S3○小林雅哉(3年) 6-1.6-1 鈴木保貴(3年)
S4●古田伊蕗(4年) 2-6.2-6 藪巧光(3年)
S5●齋藤聖真(4年) 5-7.6(4)-7 前﨑直哉(4年)
S6○木元風哉(2年) 6-4.6-3 小見山僚(4年)
計6-3

第12章

最後の最後まで。

第4戦.中央大学戦、早稲田はここから敗北寸前の戦いを強いられることになる。D1坂井勇仁(4年).田中優之介(2年)ペア、D2齋藤聖真(4年).島袋将(3年)ペアで素早く先勝し、2-0を付けた早稲田だったが、D3古賀大貴(3年).安上昂志(3年)ペアがファイナルセットの末、敗北してしまう。

このダブルス3の流れそのままに、ダブルス終了後3面展開で行われたシングルス、コートに登場したのは、S5木元風哉(2年)、S3小林雅哉(3年)、S2坂井勇仁(4年)。

この際はっきり言い訳をするが、私はシングルスの準備は全くと言っていい程していなかった。
少し裏話だが、千頭昇平(2年)が法政戦で岡垣光祐(2年)に気持ちいい程にあっさり敗北した事に対し、石井ヘッドコーチは怒った。『千頭は中央戦には出さない』と。さらに体力が課題の齋藤聖真(4年)を慶應戦に向け温存。あれよあれよと言わんばかりに出番が私に回ってきてしまった。断る勇気もなく、出る事になった、頼むからダブルスとシングルス下位で決まってくれと本気で祈っていた。

が、その思いも虚しく、シングルスに入った坂井、小林、木元と3連敗を喫した。相手の勢いに押され、誰も流れを止められなかった。この時点で早稲田から2-4。終わったと思った。

我ながら4年間でベスト3に入るくらい情けない試合をした。コートに球は入らない、ラリーも続かない、立て続けにサイドラインをボールが逸れていった。アレーコートに球が吸い込まれているような感覚だった。チームに本当に申し訳ない黒星をつけてしまったし、試合後声を出して応援することしかできない自分が情けなかった。

S6藤井颯大(2年)が圧倒的な実力差で一本取り返し、S2古田伊蕗(4年)が相手のディフェンスを上回る鉄壁のディフェンス、素晴らしい集中力を発揮し、なんとか4-4まで追いついた。

残るはS1島袋将(3年)vs中央大学のエース望月勇希(3年)。4-4でチームの勝敗も掛っている、大学テニス界トッププレイヤーによる激しいラリー戦が繰り広げられた。望月は清風高校の後輩でジュニアの時から仲のいい友人でもあるが、この時ばかりは死ぬ気で島袋を応援した。

息する事を忘れるくらい緊迫した状況の中、徐々に島袋が押されているのが目に見えるように分かった。望月に全くミスがない。島袋の攻撃を上手くかわし、機を見ては鋭いカウンターを放つ、島袋を前に誘き出してはアングル、ロブとスーパーショットが立て続けに決まる。本当に強かった。

島袋から4-6.6-3とファイナルセットに突入したが、ラリーの主導権は望月にある時間が長かった。ゾーンに入っていたと思う。これで島袋が負けても仕方ない、そう思わされるくらい強かった。徐々にポイント、ゲームも離されファイナルセット1-4。

パラパラと、雨が降り始めた。

コートは濡れ、試合は中断、次の日に延期になった。中央大学からすれば勝利まであと2ゲーム、望月が好調だっただけに嬉しい中断ではなかっただろう。

早稲田は監督やコーチ陣ですら、負ける覚悟を決めていた、負けた後のことまで考えていた。だが、島袋は諦めていなかった。

次の日の朝、慶應義塾大学のコートで朝から試合は再開された。例え島袋が負けても、最後まで凄いプレッシャーの中戦ってくれているんだから、最後の最後まで声を出し続けよう。同期の皆も同じ気持ちだった。

試合が再開される。島袋は冷静だった。出だしから手堅くキープし、サーブの入りに苦しんだ望月のサーブをブレークバック。一瞬で3-4のタイに追いつく。望月に昨日までの動きのキレはなかった。島袋が流れを掴んで、離さなかった。しつこく、しつこく相手コートに質の高い球を入れ続け、キープキープではあったが望月にプレッシャーをかけ続けた。試合はタイブレークに突入。6-2でついに島袋のマッチポイント、望月のショットがネットにかかった瞬間、チームの皆は飛び上がり、島袋はコートに大の字に倒れ込んだ。気づいたら色んな感情の混じった涙が出ていた。信じられない勝利だった。

島袋が歴代で見ても学生テニス界のトップ選手であることは説明するまでもないが、団体戦でもチームの危機を何度も救っている。いつも勝敗がかかった時の彼は何より強かった。これからプロとして世界へ挑戦する彼をずっと応援していたい、そう思える選手だ。

D1◯坂井勇仁(4年)・田中優之介(2年) 6-3.6-3 宇佐美皓一(4年)・望月勇希(3年)
D2◯齋藤聖真(4年)・島袋将(3年) 6-4.6-2 清水一輝(1年)・星木昇(1年)
D3●古賀大貴(3年)・安上昂志(3年) 3-6.6-4.6(5)-7小峰良太(3年)・杉山和誠(3年)

S1◯島袋将(3年) 6-4.3-6.7-6(2) 望月勇希(3年)
S2●坂井勇仁(4年) 3-6.3-6 清水一輝(1年)
S3●小林雅哉(3年) 6-3.2-6.4-6 田中凛(4年)
S4◯古田伊蕗(4年) 6-4.6-2 杉山和誠(3年)
S5●木元風哉(2年) 3-6.6-4.4-6 斎藤和哉(4年)
S6◯藤井颯大(2年) 6-2.6-2 小峰良太(3年)
計5-4

第13章

崖っぷちの気力。

島袋の活躍により、ギリギリのところで勝利した中央大学戦から2日後、リーグ最終戦、慶應義塾大学との戦いが行われる。リーグも終盤、疲れを見せる選手も多かった。私自身も実際疲れてはいたが、そんな事を言っている暇もなかった。

春の早慶戦の時にも書いたが、慶應のダブルスは強い。0-3になる可能性も大いにある。

ダブルス3面展開で始まった試合は、D2齋藤聖真(4年)千頭昇平(2年)ペアが今村昌倫(2年).福田真大(3年)ペアに2-6.2-6と先勝される。
D3島袋将(3年)木元風哉(2年)ペアは畠山成冴(4年).山崎映二(4年)ペアの勢いあるプレーを跳ね返しながら上手く応戦し、7-5.7-5で勝利、ダブルスで貴重な勝ち星を持ち帰ってくれた。
ここで勝てばダブルス2-1でリードでき、かなり有利に試合を進められる。

残されたD1坂井勇仁(4年).田中優之介(2年)ペアだったが、この日、田中が私と組むダブルスで珍しく不調だった。相手は春の早慶戦でも対戦した逸崎凱人(4年).羽澤慎治(1年)ペア。序盤からサーブ、突き球、ボレーも精度がなかなか上がらず、苦しい局面が続く。ファーストセットのタイブレークでセットポイントが3本あったものの取りきれず、流れを手渡してしまった。6-7.1-6と早稲田にとって手痛い2敗目をつけてしまった。

ダブルスで流れを作れなかったことに悔しさを感じていたが、自分の試合のことを引きずってもチームが勝ちはしない。シングルスのメンバーを信じて、既に枯れた声を振り絞って応援した。

ここから早稲田の追い上げが始まる。S6藤井颯大(2年)、S5齋藤聖真(4年)、S4古田伊蕗(4年)が立て続けに勝ち星を挙げ、チームに大きく流れを引き寄せてくれた。3人の勝利でスコアは4-2、あと一勝、あと一勝でやっとリーグ優勝のところまで来た。だが、ここからさらに山場を迎える。

S3田中優之介(2年)はダブルスからの不調を引きずってしまい慶應の今村昌倫(2年)にストレートで敗戦、S1島袋将(3年)は中大戦の疲れもあり、怪我を押してなんとか出てくれたが、慶應の羽澤慎治(1年)はそう簡単な相手ではなかった。本調子でない島袋は羽澤の力強いサーブを軸としたプレーに圧倒され、ストレートで敗戦。

団体戦のスコアは4-4。勝負はS2千頭昇平(2年)vs逸崎凱人(4年)に委ねられた。この試合もファイナルセットへ突入、攻めているのは逸崎だったが、ゲームをなんとか支配していたのは千頭だった。千頭から7-6.3-6で迎えたファイナルセット。しっかり抑えられれば、今の千頭のプレーなら勝てる。千頭から1ブレークアップ4-2のところで、急に千頭が動かなくなった。

足がケイレンしていた。かなり厳しい状況だった。原因は体力というより、極度の緊張からくるものだろう。自分がダブルスで勝っていれば、こんな展開になっていなかったし、千頭にももっと楽に試合をさせてやれた。試合に負けていた選手は皆責任感を感じていた。

千頭は足を攣りながら何とか戦ってくれた、途中コートに倒れこんで動けなくなった。でも『まだやれる、まだやれる』と言いながらアンターサーブとスライスでラリーの時間を稼ぎ、上手く相手のミスを引き出していく。

慶應の逸崎(4年)もかなりやりにくかったと思う。経験したことがある人は分かると思うが、相手が足を吊ったから試合に勝てる分けではない。ましてや団体戦で緊張する場面、ワンブレークダウン2-4、その中でプレーの質を落とさず丁寧に相手を走らせる事の難しさは理解している。

千頭がファイナルセットを6-2で取り、早稲田大学の関東リーグ優勝が決まった。足を吊りながら、ほぼ気力だけでコートに立ち最後までチームの為に戦ってくれた千頭に本当に感謝している。ありがとう。

関東リーグを何とか全勝で終えた早稲田だったが、特に中央、慶應には負け寸前の所まで追い込まれ、2試合共奇跡的な勝利だった。
まだ、勝った気がしない。このままで王座で優勝できるのだろうか。次こそ慶應にダブルス3-0つけられて、シングルス上位にプレッシャーをかけられ負ける展開が待ってるのではないか、不安が心の大半を占めていた。

話は少し逸れるが、この千頭昇平(2年)vs逸崎凱人(4年)の試合で、千頭が痙攣してから時間を取りすぎ、ポイント間が長すぎて試合になっていない。との声があった。確かに通常なら審判が注意し、タイムバイオレーションを取る必要がある。大学リーグ戦の試合の審判は両校から出し合った学生の審判、ベストなタイミングでベストなコールを行える人が何人いるか、イレギュラーな問題には中々対応できないのが現実だ。ポイント間、コートチェンジ間の時間管理徹底はテニス界のテーマでもある。

D1●坂井勇仁(4年)・田中優之介(2年) 6(8)-7.1-6 逸﨑凱人(4年)・羽澤慎治(1年)
D2●齋藤聖真(4年)・千頭昇平(2年) 2-6.2-6 福田真大(3年)・今村昌倫(2年)
D3〇島袋将(3年)・木元風哉(2年) 7-5.7-5 畠山成冴(4年)・山﨑瑛二(4年)
S1●島袋将(3年) 4-6.1-6 羽澤慎治(1年)
S2〇千頭昇平(2年) 7-6(5).3-6.6-2 逸﨑凱人(4年)
S3●田中優之介(2年) 1-6.4-6 今村昌倫(2年)
S4〇古田伊蕗(4年) 5-7.6-2.6-2 福田真大(3年)
S5○齋藤聖真(4年) 6-2.6-0 中村進之介(4年)
S6○藤井颯大(2年) 6(4)-7.6-1.6-4 畠山成冴(4年)
計5-4

第14章

恩返し。

リーグから王座までの期間は約3週間あった。王座までに出来ることをチームで話し合い、整理し、練習メニューや課題練習1つずつ皆でクリアしていった。私はダブルスに特に集中して取り組み、王座では絶対負けない。必ず3戦全勝で終える事を決めて取り組んだ。

王座開幕の2週間前、国民体育大会が福井県で行われた。早稲田のメンバーも各都道府県の代表として戦い、ジュニア時代からお世話になった協会の方々に恩返しするといった意味で王座前でも積極的に参加した。

私は大阪府代表で出場、テニスの国体は代表選手が2人いて、シングルス1、シングルス2の順に試合を行い、勝敗が1-1になった場合はダブルスで決着をつける。全て8ゲームプロセットノーアドバンテージで行われる。

もう1人の大阪代表は中央大学のエース望月勇希(3年)。望月とは小学校の頃からの付き合いで、慣れ親しんだ仲だった。私が高校2年、彼が高校1年の時の北部九州インターハイ(2013)でダブルス準優勝したときの思い出が強い。

国体はS1望月のお陰で決勝進出、決勝は愛媛県に敗れ準優勝に終わったが、チーム大阪で過ごせた楽しい1週間だった。

国体が終わり東京へ戻る、王座初戦まであと7日。部室の黒板にカウントダウンを毎年書いてあるのだが、あと7日練習して、王座が終われば大学テニスは引退。普通なら早かったなどと言うものかもしれないが、私はこのプレッシャーからいち早く解放されたい一心だった。

第15章

一歩ずつ。

いよいよ全日本大学対抗テニス王座決定試合が、愛媛県総合運動公園にて行われる。早稲田大学の初戦は当初金曜日だったが、雨の影響で1日ずれ込んだ。初戦が土曜日になり、相手は地元の松山大学。全員が良い集中力を発揮し、スコアも9-0で圧倒した。

次からが本番だ。準決勝の相手は関西大学。
毎年苦しめられ、昨年の王座では敗北寸前まで追い込まれた相手だ。関西大学もダブルスが強く、そこから流れを掴めるのが強みのチームだ。

ダブルス3面展開で始まった関西大学戦、相手のオーダーはこちらの読み通り。3面共に完璧な出だしだと思った。

だが、試合が始まってから、身体が何故か思うように動かない。思っていた数倍緊張していた。プレーも全く噛み合わず、頭も真っ白になり相手の勢いに押されファーストセットを一瞬で落とした。

落ち着かなければ、トイレットブレークを挟み、田中と話し、ベンチコーチと話した。リラックスはできなかったが、無理矢理声を出して、身体を動かすしかなかった。少しずつポイントが取れ、ファイナルセットは圧倒して勝つことが出来た。何より田中に引っ張ってもらった。頼もしい後輩だ。

D3島袋将(3年)木元風哉(2年)ペアは危なげなく勝利した。D2齋藤聖真(4年)小林雅哉(3年)ペアは関大のエースダブルス林大貴(4年)柴野晃輔(4年)ペアに善戦したものの敗北。ダブルスは2-1で折り返した。チーム的に2-1は想定内。

シングルスで最初に登場したのはS4千頭昇平とS2齋藤聖真。レスト(休憩)の関係上最初は2面展開で行われた。ここから嫌な雰囲気が早稲田に流れる。シングルス4.5.6を落とすと後がない関大の猛攻を受け、2試合ともにファーストセットを落としてしまった。この2試合を落とすと全体のスコアが2-3になり、一気に相手に優位に立たれてしまう。

S2齋藤は相手の勢いを抑えきれずストレートで敗戦。そんな中、S4千頭昇平(2年)が嫌な流れを止めてくれた。セカンドセットからはラリーの主導権を握り、ファイトし続け、貴重な3勝目を挙げた。そのあと入ったメンバー、S6藤井颯大(2年)、S5田中優之介(2年)、S3古田伊蕗(4年)、S1島袋将(3年)と立て続けに勝利。千頭が作った早稲田の勢いは止まる事なく、計7-2で関西大学を下した。

D1〇坂井勇仁・田中優之介 3-6.6-1.6-1 大野翼・山尾玲貴
D2●齋藤聖真・小林雅哉 4-6.6(4)-7 林大貴・柴野晃輔
D3〇島袋将・木元風哉 6-3.7-5 髙村烈司・島田達也
S1〇島袋将 7-6(2).3-6.4-1(ret) 山尾玲貴
S2●齋藤聖真 3-6.4-6 髙村烈司
S3○古田伊蕗 6-0.6-3 大野翼
S4〇千頭昇平 4-6.6-2.6-3 林大貴
S5○田中優之介 6-1.6-2 工藤丈寛
S6○藤井颯大 6-2.7-5 柴野晃輔
計7-2

やっと決勝まで来た、本当に長かった。勝っても、負けても、あと一戦。楽な方法なんてなかった、あんなに考えて、あんなに練習したんだから大丈夫。一歩ずつ、一歩ずつ確実に進んできたんだ。そう自分に言い聞かせた。敵の弱点も調べ尽くした。作戦か通用しなかったらどうするか、そこまで考えた。戦う準備は完璧だ。

あと1日だ、逃げずに戦おう。

第16章

譲れない。

決勝戦当日、晴天の中日本一の大学を決める試合が行われた。決勝戦の相手はもちろん慶應義塾大学。

オーダー交換、円陣、これで最後だと噛み締めながら、気合いを入れた。

D1坂井勇仁(4年)田中優之介(2年)のダブルスの相手はまたしても慶應の逸崎凱人(4年).羽澤慎治(1年)ペア。今年3度目の対戦だ。逸崎とは単複合わせて何度対戦したか思い出せないくらい対戦した。

予想だが、決勝で慶應の思い描いていたシナリオは、ダブルスで3-0をつけて早稲田のシングルス陣にプレッシャーをかけ、羽澤.今村.逸崎を軸にシングルスのどこかで残りの2本を取るつもりだったと思う。シングルス下位陣(4.5.6)が充実している早稲田に対し、何としてもダブルスで3-0をつけにきている慶應の気迫が存分に伝わってきた。

逆に早稲田からすればダブルスで1本でも取れば、シングルス4.5.6に臨みを繋げられる。ダブルス0-3だけは何としてでも避けなければならなかった。

そして3面展開で始まったダブルス、早稲田は完全に押されていた。D2齋藤聖真(4年).古賀大貴(3年)ペアは今村昌倫(2年)福田真大(3年)ペアに、D3島袋将(3年).木元風哉(2年)ペアは畠山成冴(4年)山崎映二(4年)ペアにそれぞれファーストダウン、セカンドセットも劣勢に立たされていた。

D2の齋藤聖真(4年).古賀大貴(3年)ペアは他のメンバーの怪我などもあり、前日の夜に急遽決まった即席ダブルスだった。相手も強かったので簡単に勝てるとは思っていなかったが、2人共最後までやれる事をやって、ファイトしてくれた。相手のプレーが一枚上を行き4-6.4-6のストレートで敗退。

D3島袋将(3年).木元風哉(2年)はリーグで勝利した相手だったが、相手の勢いあるプレーに圧倒され、気持ちよくプレーさせて貰えず、好きなようにやられていた。おそらく分析もかなりされていたと思う。3-6.2-6で抑え付けられた。

この時点で既にダブルス0-2、私と田中が負ければダブルス0-3となり、団体戦の流れを相手に完全に渡してしまう。早稲田の連覇を止めて、慶應が王座で優勝してしまう。築き上げて来たものが、全て崩れてしまう。何があっても、この試合だけは、絶対に譲れない。

ファーストセットは6-4で何とか取っていたが、セカンドセットは拮抗した状態が続いた。私と田中は、ベンチコーチの片山翔さん(早稲田卒)の力を借りながら、冷静に今できる最善のプレーを質を落とさずやり続けた。相手の良いプレーは仕方ない。自分達からのミスを極力なくして、決めるべき所はきっちり決める。コートに入れるべきボールは丁寧にコントロールする。スーパーショット、スーパーエースはいらない、どんな形でもいいからポイントを重ねることに集中した。

田中のボレーが冴え渡っていた。関東リーグで負けた時はクロスラリーを避けてくる相手のストレートアタックを上手く処理できず悔しい思いをしていたが、この日は相手のアタックにひるむ事なく、ひたすら我慢強く、丁寧に返球し、チャンスは攻めた。確実に相手のプレッシャーになっていた。

セカンドセット、キープキープで迎えた私のサービスゲーム、ゲームカウント3-4、15-40。ここをブレイクされたら終わりだ。プレーしながらでもそう感じていた。この試合1の集中力で相手の猛攻をかわした。田中のボレーにかなり助けられた。男子ダブルスは1ブレイクが高確率でセットダウンに繋がる。特に慶應の逸崎凱人(4年)と羽澤慎治(1年)は2人ともサーブが良く、学生を飛び越えて国内でもトップクラスのダブルスだ。そんなペアにこの状況で1ブレイクされることは必ず避けたい。デュースに持ち込み、なんとかキープに繋げた。

逆に次のゲームカウント4-4羽澤サーブで、15-40と2本こちらにブレークチャンスが来た。このポイントはこちらからすればほぼマッチポイントに近い。私は羽澤のセカンドサーブを渾身のバックリターンでネット中段に突き刺した。あり得ないミスだった。緊張で力みすぎだ。つられて田中もリターンミスしてしまい、羽澤のメンタルを復活させてしまった。その後も粘ったがキープされてしまい4-5。

その後は互いにキープを重ね、タイブレークに突入した。タイブレーク5-2までリードを広げるも、相手も簡単に行かせてくれない。田中はかなり質の高いプレーを続けてくれていたし、自分がきっちりとプレーすれば勝てると思った。

タイブレーク6-6、逸崎のセカンドサーブを坂井リターンでベースライン深くに突き刺す事に成功し、田中が落ち着いてチャンスを決めた。

これでタイブレーク7-6、やっとここまできた。後は良いサーブを入れて、我慢しよう。このプレッシャーの中、こちらから特別な事は何もしなくていい。相手にプレーさせればいい。それくらいのメンタルで良い。決して弱気な訳じゃない。今この状況で自分が確実に出来る最大限をやった。

サーブを入れ、相手の低いリターンとストロークを2、3球返球した次の球、羽澤のフォアハンドがベースラインをギリギリ超えて、早稲田はダブルスで何とか1本返す事に成功した。

自分のやるべき事はやった。後はチームを信じて、最後まで、最後まで声を出して、応援し続けるだけだ。

第17章

それぞれの王座

ダブルスを1-2で折り返し、注目のシングルスが始まる、最初に試合に入ったのは、S6藤井颯大(2年)とS4千頭昇平(2年)。2人共素晴らしいプレーで、ゲームを支配し続けた。この2人がストレートで勝利し、スコアは3-2、早稲田はひとまず逆転に成功した。

2人の勝利後、S3小林雅哉(3年)が慶應の今村昌倫(2年)に食らいついたが、ストレートで敗戦。小林が悪いというより、今村が良すぎた。S5田中優之介も慶應の甲斐直登(3年)にファーストセットを落としていた。嫌な流れがまた早稲田に漂い始める。今村昌倫(2年)の勝利で慶應が息を吹き返してきていた。

現時点でスコアは3-3。残された試合はファーストを落としていたS5田中優之介vs甲斐直登(3年)、S2古田伊蕗(4年)vs逸崎凱人(4年)、S1島袋将(3年)vs羽澤慎治(1年)。どの試合も、確実に勝てる保証がある試合はなかったし、全く読めなかった。

だが、王座の古田伊蕗(4年)は神がかっていた。まるで昨年の怪我で出場出来なかった悔しさを全てぶつけるように、気迫から、目つき、全てが普段の古田と違った。ラリー戦では相手の攻撃を交わしてはカウンター、主導権を握り、完全に相手を翻弄していた。慶應の逸崎(4年)もシングルスインカレベスト4の実力者だが、この日の古田は止められなかった。7-5.6-2とチームに素晴らしく大きな一勝を持ち帰ってくれた。

古田の勝利後、島袋がファイナルセットの激戦の末、羽澤に勝利。過去2度敗れてはいたが、今回は動きのキレでも、ショット力でも羽澤を完全に上回った。彼の勝利で、早稲田大学の優勝が決まった。

古田、島袋に続くように田中も勝利し、計6-3で早稲田大学は王座14連覇を達成。やっと、主将として肩の荷が下りた感じがした。

やっと終わった、あっという間だったなんて言葉は使いたくない、本当に濃く、長かった。

試合終了後、4年生のいるチームで最後のミーティングをしたのだが、後輩たちの前で泣いてしまった。齋藤聖真(4年)が泣くから、つられて泣いた。後輩も何人か泣いていた。1年間やってきた事、4年間やってきた事が走馬灯のように駆け巡る。

色々あったが、素晴らしいチームで、大好きなチームだと胸を張って言える。これだけ人数がいれば私のことを嫌いな人もいたと思うが、私は嫌いじゃない。皆本当にありがとう。

〇坂井勇仁(4年)・田中優之介(2年) 6-4.7-6(6) 逸﨑凱人(4年)・羽澤慎治(1年)
D2●齋藤聖真(4年)・古賀大貴(3年) 4-6.4-6 福田真大(3年)・今村昌倫(2年)
D3●島袋将(3年)・木元風哉(2年) 3-6.2-6 畠山成冴(4年)・山﨑瑛二(4年)
S1〇島袋将(3年) 6-2.5-7.6-3 羽澤慎治(1年)
S2〇古田伊蕗(4年) 7-5.6-2 逸﨑凱人(4年)
S3●小林雅哉(3年) 3-6.2-6 今村昌倫(2年)
S4〇千頭昇平(2年) 6-4.6-2 畠山成冴(4年)
S5○田中優之介(2年) 5-7.6-1.6-3 甲斐直登(3年)
S6○藤井颯大(2年) 6-2.6-4 中村進之介(4年)
計6-3

今回、私の目線で1年間を振り返って文章を書いたが、チームの中には4年間団体戦に出れなかった選手、思い描いた通りに活躍できなかった選手、怪我に泣かされた選手、それぞれに、違ったストーリー、価値観がある。

大学4年間なんて人生全体から考えたらちっぽけだが、この4年間を必死に戦い続けている大学生アスリート達を、もっと世の中の人に知ってほしい。

とりあえず、主将になってから、王座までのことを書くと決めて始めたので、この文章はこれで終わりにする。また機会があれば、他のことについても書こうと思う。

この一年後、頼もしい後輩達が決勝で同じく慶應義塾大学を破り、見事王座15連覇を達成した。

坂井勇仁 2020年1月


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