文学さんぽ~ヘンリー・ジェイムズ「鳩の翼」
読書感想文書くにあったって、簡単に自分の読書歴まとめると・・・
中学生の時に学校図書館の世界文学全集にはまったのが本格的な読書のはじまり・・・という特異な人種。19世紀西欧文学が特に好き。
社会人になると読書時間がめっきり減って、時々好きな作品を読み返す程度でしたが、アラフィフになってかつての文学熱が復活!昔読んであらすじぼんやりとしか覚えていない作品や、当時読んでなかった新たな作品を大人買いするなど楽しい読書ライフを送っています。
語学力ないのですべて日本語訳。基本音読が好き、というさらに特異な嗜好あり。遅読なのに長編好き。
ここからヘンリー・ジェイムズ「鳩の翼」感想文。
まずはツイッターに書きなぐった感想より~
あとがきにて、章ごとのあらすじは訳者青木次生氏による挿入と判明。上記の通り私は読みやすくていいな、と思いました。
《以下感想にてネタバレあり》
中学生時代に読んで面白かった記憶があるからこそ40年ぶりに再読したわけですか、当時受けた印象と年齢を重ねた自分が受けた印象との違いを比較するのもまた楽しい。
マートン・デンシャー、初読ではほんと悪い印象なかったんだよな・・・それが今読んでみるとツッコミどころ満載!!特に後半、ヴェニスに残るかどうかのあたり。
ずっと明確な意図がわからないまま愛するケイトの操り人形状態になっていたデンシャー。いつもケイトに「バカなの?いやバカならバカで何も考えず私の言う通り動いていればいいのよ!」的な態度で扱われてて・・・
だんだんマヌケなままでいるのに自尊心が耐えられなくなり~
彼女のたくらみの目的を聞き出す→それを理解したうえで、言いなりになってもいいけどその代わりとして対価を要求→対価を得、ケイトの駒となって動くことを約束~という展開。
そうなった以上は2人の愛を成就するため腹くくって悪にでも手を染める・・・と思いきや、この期に及んでまだミリーに嘘はつきたくない(でもケイトには誠実でありたい)とか何とか、自分の良心をごまかして少しでも傷つかないよう立ち回ろうとしてるって・・・どういうこと?なんだこいつ!?最低のクズだな!!ってなりました(笑)
デンシャーはライトに嘘がつけるほど器用な男じゃないから、作戦としてなるべく噓をつかずに済むようケイトが取り計らってくれてたわけで。でもそこを自ら崩したんだったら腹くくれや!とは言いたくなる。
きっとデンシャーのそういう…知識教養あり感受性豊かだが野心・生活力に乏しく、頼りなく不器用で正直なとこにケイトは惹かれたんだと思うけど。普段相手にしてるのが狸おやじ・狸オンナばっかりだから。
ミリーとデンシャーとの出会いは直接描かれてないけれど、彼女の恋も周囲とのギャップゆえかなあと想像。
大金持ちのミリーの周囲には金目当ての求婚者、そして男女問わず彼女の背後にある富を見ている人ばかりだったにちがいない。
そこにふらりと現れたデンシャーは彼女を普通のアメリカ娘としてごくフラットに接してくれた。何しろ当時の彼の心には美しいケイトの存在がどっかり座を占めていて、ミリーには一切下心なかったから。
ガツガツしてない知的で、なおかつ憧れのヨーロッパの香りのする男…なるほど好きになっちゃうか~
ヘンリー・ジェイムズ定番の国際問題~ピュアで好奇心旺盛なアメリカ人(大富豪)が長い歴史に育まれたヨーロッパに憧れて、その優雅で複雑な魅力に取り込まれ・・・結局は狡猾貪欲なヨーロッパ人に騙され利用される・・・
が、後期の作品はそう単純ではないように思う。
ミリーが悲劇的な運命であったことは間違いないし、まんまと利用されたのは事実。でも、彼女は最終的に最も欲しいと願ったものを手に入れた。
表題の通り彼女は「鳩」のイメージ。純真で清らかで愛情深い。
しかし最後の最後、鳩というよりはむしろ鷹のような鋭い爪でデンシャーの心をがっちり掴み取って飛び去って行った。あるいは一生消えない爪跡を彼の心に刻んでいった、とも言える。
それこそ彼女が自らの運命にも、ケイトの策略にも屈しなかった生きた証であったと思う。
一方ケイトは・・・確かに最後、彼女が欲しいと望んでいた愛とカネのうち片方しか手に入れられなかった。が、長い目で見れば彼女にとってはその方が良かったよね…と思ってしまう。
所詮デンシャーはケイトの夫にふさわしい器じゃない。
恋人としては、彼女の青春の一ページを輝かしく彩る存在であった。しかし、すでに社交界のヒロインになる快感を経験した彼女が貧乏な新聞記者の妻になって満たされるはずはないし…仮に彼女の思い通り、遺産とデンシャーの愛情両方を手にしたとしても、ロマンティックな恋はたちまち冷めて互いに心は離れていっただろう…としか私には思えない。
ケイトはケイトなりに自らの逆境を己の才覚で打開したのだから、それもまた一つの勝利。良心に傷は残るかもしれないけれど、彼女ならそれを踏み越えていける強さがある。
読みやすい小説ではないものの、ジェーン・オースティンなど英国小説伝統の「愛のない結婚はおろかだがカネのない結婚も愚かである」という俗っぽい価値観がベースになっていて難しい主題はまったくない。ただすべての言い回しが超めんどくさいだけで・・・
ドストエフスキーの登場人物はしゃべり方が全部ドストエフスキー、というのをどこかで見た気がするけど、ヘンリー・ジェイムズも同じだと思う。
原文読んだわけじゃないが、登場人物全員あんな勿体ぶったしゃべり方で一応会話が成立してること自体奇跡。
私があの世界に紛れ込んだら…事あるごとに「は?」「ちょっと何言ってるかわかんない」「言いたいことあるならはっきり言って!」と会話の流れ止めまくっちゃう。
仮にジェーン・オースティンが読んだとしたら…「何これ!?普通こんな意味不明なしゃべり方する奴いねーよwてか、晩餐の席でコイツの隣になったら地獄ーーww」(の意をもう少し上品な表現で)笑い転げるんじゃね?と想像するの楽しい。
ここまで執拗に登場人物の頭の中の「あーだこーだ・あーでもないこーでもない」を描き尽くすというのも、小説という様式を最大限利用し倒していると言えるのかも。戯曲・映像であればほんの数分で終わる場面に膨大なページ数が費やされていて、ある意味贅沢。
それだからこそ逆に、デンシャーとミリーの最後の会見、そしてミリーがデンシャーに送った最後の手紙の内容を直接には全く描かない、敢えて読者に見せない、というやり口に「そう来たかっ!」とちょっと裏をかかれたような感覚を味わってゾクゾクする。
自らの死を目の前にして毅然とした振る舞いを見せるヒロインの、今まで抑えに抑えた感情が爆発する瞬間、を物語のピークにするという定番の手法を全く使わないのもジェイムズらしくて良い。
女の生々しさを見せるケイトとは対照的に、ミリーには一切生臭みを感じない。
顔色悪くいつも黒い服を着ていたミリーが、黄金の宮殿で白いドレスを纏い輝く姿が印象深く心に残る。
せっかく「鳩の翼」再読したので、次は同じくヘンリー・ジェイムズ後期の傑作「金色の盃」を読みます。
こちらは完全に初読。ゆっくりじっくり味わいたいと思います。
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