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「自制心」は「自由」の規範。心のコントロールを学ぶのは、現代人にとって必須。

この社会に道徳が廃れ、善悪が分からなくなってる現代に必要な「自制心」

こんにちは、SHOJIです。
ぼくは、「自由」をこよなく愛する人間です。
でも、このごろの世間の風潮がなんかおかしいような気がします。

母親が子供を産んで、育てられなくて困って殺して捨てた。
近所にゴミ屋敷があって、
悪臭がして害虫が沸いて倒壊・放火の危険もあるのに、当人は平気。
学校での「いじめ」が常態化して、
それが「普通」だと、みんな思い始めてる。
例えば、こんなニュースがテレビや巷で、けっこう頻繁に流れてきます。

自由は大事だけど、「自制心」無く、欲望のままにすればいい訳じゃないよね

このブログもインターネットですけど、
今の時代って、スマホやパソコン毎日見てますよね。
電車に乗っても、8割方スマホに視線がいってます。
あれ、いつの間にあそこまで普及したのか、
考えてみれば、ここ5年ぐらい前からじゃないでしょうか。
それで、各人が自分の好みの画面見てるわけです。

趣味趣向は、それぞれ違うだろうけど、
まあ、結果的に気の向くまま「欲望」の向くままだと思います。
だって、スマホ見てると、必ず自分が普段関心があって検索した事や物の「広告」が本編と一緒に出てきます。
別に今見たくなくても、執拗に表示され、クリックを促そうとしてきます。
で、ついついクリックして見ちゃう。

後で、その寄り道が寄り道でなくなり、
どっぷりそれに浸かってしまった。。。って、経験ありませんか?
ぼくは、正直、よくあるんですよw。

これ、きっと「自制心」やられてますね。
自分をコントロールできてないんだと、思います。
これじゃあーいかん。遺憾。

そこで、わたし、「大川隆法」の説く「仏法真理」の本を読むんですわ。
「あ、出た」
そう、出た。そこがこのブログの真骨頂なんですからw。

では、要点を書いてみます。

  • 「自制心」は戦後日本で失われた徳目の一つ。
    武士道も戦前の日本女性の徳も「自制心」から生まれたもの。

  • どの道においても、マスター(師匠)と呼ばれるためには、
    アンガー・コントロール(怒りの抑制)、アンガーマネジメントが必要。

    「自制心」は、「自己保身」とは違う。
    事なかれ主義で自分を守るためだけに抑制する事ではない。

    「自制心」は、偶然性・他の人の思い・環境の変化とか、
    いろいろなものをはねのけながら、
    自分が進むべき道を目標どおり進んでいくために必要。

  • 「自制心」は、安心感・安定感と同時に付加価値を生む。

  • 「自制心」が、無害であればよいという方に流れ、勇気を持ってチャレンジしていく精神を失ったら、駄目。

  • 世の中に、いろいろな悪への誘惑、自分を堕落させるための誘惑は、
    たくさんあるが、「この濁世の世、乱れた汚い世の中にあって、
    心を穢されずに生きて、見事に蓮の花を咲かせなさい」という
    仏陀の教えを要約したのが、「南無妙法蓮華経」である。

  • あの世・死後の世界は厳然として在り、「天国に行くか、地獄に行くか」は、この世に生きているうちに始まっている。
    毎日、何を思い、どんな行動をしているか、その現状がその人そのものであり、来世(天国・地獄)にもつながっていく。

  • 現代の危機は、法律が神になって支配し、
    「人間の家畜化」「善悪の逆転」「国家間の紛争」が起きる事にある。

  • 人間性を取り戻す「精神的な戦い」を始めること。
    神仏から見た正しき心の探求と実践が、人間にとって必須。

本当の宗教こそが、心のコントロール「自制心」を教えることができる

そういうことです。
心をコントロールすることは、人間が人間として生きていく上で、
必ず、ぶち当たる課題なんだと思います。

確かに生物的本能として、食欲・性欲・睡眠欲があるのは、事実です。
これに関しては、動物と一緒でしょう。
なかなか、コントロールしきれないことも多々あります。

しかし、動物と人間の最大の違いって、何なのでしょうか。
ぼくは、それが「心の領域」だと考えます。

人間には、信仰する本能がある。
人間が人間である所以は、神仏の存在というものを感じ、
信じることができる「心の素質」です。

目に見えなくても、触ることができなくても、
その「根源的な存在」に郷愁があるのは、なぜか。
それは、自分という存在が単なる肉体ではない「魂」として、
その親である「神仏」を認識できるからです。

だから、人類の長い歴史の中で「宗教」と言われるものは、
その教えの形態・内容を変化させながら、
その時代に即した役割を担ってきたのだと思うのです。

いきなり言います。
「幸福の科学・大川隆法」は、救世主です。
救世主とは、「神仏」の使いです。

このどうにかなっちゃった現代の世の中に、
アホみたいな常識がまかり通る危機的な社会に、
本来の人間の在り方とは何なのかを、地球上の様々な国の人々に、
伝えるために「法」を説き、残したんです。

ぼくは、こう思います。
今、この世に生きている人間は、この「大川隆法」のメッセージに対して、
それぞれが自分の心に真摯に向き合い、とことん、考え、答えるべきです。

ぼくは、みなさんに「信じろ」とは言いません。
そんなこと言ったって、信じないものは無理だからです。

「信仰」は、自発的なものです。
自分の魂が自分で納得してつかみ取るものです。
それしか、方法は無いんです。

最後に一つだけ、付け加えます。
まあ、試しに「大川隆法」の本をどれかちょっとでも、
読んでみてください。
ほいじゃあ、またね。(つづく)


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