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瞑想、あるいは理由なき歓び

瞑想音楽「INSPIRATION SOUND」

誰もが、いつでも、本来もっている
純粋な創造性に目覚めることができる
瞑想はその手段のひとつであり
日常のあらゆるところに埋め込まれている

全身の感覚器官でとらえられた音の振動は
神経細胞を伝って深く精神へ作用する
音楽は、人間に与えられた理由なき歓び
音に身をゆだね歓びに浸ること
それもまた瞑想なのです


「INSPIRATION SOUND」と題した即興を中心とした音楽ライブを企画しました。

出演アーティストは、サックス奏者のAzuさんと、クリスタルボウルのサウンドバス奏者で、唄い手でもあるIzumiさん。
2人のコラボレーションによる“瞑想”がテーマの音楽会です。

え、瞑想? 即興? インスピレーション?
何だそれ? と、お思いでしょう。
どんなことをするのか、いまいち曖昧でピンとこないのではなかろうか、と、趣旨とアーティスト紹介を兼ねたフライヤーを作ったのですが、手元にない方にも読んでいただけるよう、2人との対談と、私の解説文の全文を記載します。
よかったら、ご参考までに。

ライブの日程が3月11日になったのは偶然ですが、祈りを込めた演奏で良い共鳴場をつくることができたら幸いです。

text, design, artwork : ten kitami


降り注ぐ音と、滲み出す音


Azu(saxophone)× Ten

即興演奏の原点は小学生の頃。家に帰るとよくひとりでピアノを弾いていて。一応習ってはいたけどレッスンは大嫌いで、自分の好きな曲ばかり弾いてた。はじめはテレビの曲を真似ていたのだけど、同じように弾くのに飽きたらなくなって、勝手にアレンジをしだしたのがルーツ。それがすごく楽しかった。
どんなことが楽しかった?
響きを作ることが。音を重ねることで本当にいろんな「色」になるんだなと。
偶然性もあるだろうね。
そう、思いもよらない色になったりして、世界が広がってゆく感じがした。あと、曲を正確に弾くのと違って、どこまでも感覚的で自由なところが。
音で遊んでる感じだね。
まさに。音あそびが原点です。
「即興」というと一般的にはジャズをイメージする人が多いのではないかと。
曲のフレームがしっかりあるジャズは、自由な面もあるけどルールや関係性を踏まえて遊ぶという感じ。私の即興は全く決まりがなくて完全にインスピレーションによるもの。その時のテーマや感情をそのまま音にするから、曲として成立するかどうかギリギリの音の連続体のようなもので。音楽に絶対の正解は無いけど、いわゆる「音楽理論の正解」というものがある。それに縛られずに自分が無邪気に音楽に向き合えるスタイルが感覚的な即興だったというわけです。
なるほど。楽曲というよりパフォーマンスアートに近い。
そう、音楽を聴かせるというより会話の延長で、ベタな言い方だけど言葉にならないものを伝えているつもり。受け取り方も自由。そうすると、どこかで受け取り手と通じ合える奇跡のような瞬間がある。その体験が素晴らしくて。
ステージ上ではどのようにしてインスピレーションを受けるの?
やっぱり思考を止めて無邪気な状態になることかな。
思考しないってすごく難しいと思う。
確かに、いつも最初はフル回転で考えてると思う。どうしよう、どうしよう、ってパニック状態で。だけど、その果てにプツッと真っ白になる時があって。
思考がオーバーヒートすると。
そう、飛んじゃう。するとスッと出てくる感じ。降りてくるみたいな。
では演奏中は無我の状態、無意識下で操作をしているということか。
そういう意味では、たしかに瞑想と言えるかも知れない。



Izumi(crystal bowls)× Ten

サウンドバス、音楽療法、弾語り、と、ここ数年で急速に「音」に関する活動の幅が広がっているけど、イズミさんにとって「音」って何だろう?
音は、世界への存在証明のようなもの。身体や意識の周波数そのもので、私の出す音=私自身というように感じてる。心地よい音が出せている時というのは、自分が外部に滲み出すような感じ。ほどけて、溶けあう、みたいな。
自己と世界との境界線が曖昧になるわけだね。では「音楽」は?
うーん、音楽は物語かな。音を紡いでつくる時間の経過。
ひとつのタイムラインであると。
「音」は、余計なものがない空の自分そのものだけど、音楽はコンセプトをもとに紡いでゆくもの。とはいえ、やっぱり曲が浮かんでくる時や演奏中は空っぽの「管」のような状態ではあるんだけど。
無になるツールという面もあるのかな。
うん、方法でもある。私の中で「音」によって自由になるという感覚があって、そういう意味では歌もサウンドバスも全部繋がってて。音の断片が音楽になり、再びバラバラになり……、という連綿とした流れに沿っているだけというか。音楽を紡ぐにも、リズムや旋律といった型ではなくて、いかに自由に自分のままで在るかというのが大事で。
クリスタルボウルというプリミティブな楽器に惹かれるのも関係している?
クリスタルボウルは新しい楽器で、伝統もなく、演奏に特別な技術や知識も必要ない。音楽療法のセッションで使うのも音階や奏法の規定がない、誰でも扱える楽器ばかりなんだけど、そんな単純な楽器たちは、音を奏でるということが万人に開かれた自由な行為であることを思い出させてくれる。
イズミさんの音へのアプローチは、身体性が鍵になっているよね。形のない音によって、逆に身体という物質の塊が浮き彫りになるというか。生身の体から発せられる音や、共振する感覚に意識を向けること、身体を使い切ることで、結果的に余計な思考が外れてゆくという。
確かにマインドフルネス的だね。やっぱり空になる手段なのかも。音に導かれて空になる心地よさを感じていたいし、伝えたい。それが活動の根源かな。
なるほど。
あと、クリスタルボウルの倍音って本当に気持ちいい。体によい癒しの周波数とかもあるだろうけど、単純に気持よいと感じる、それだけでいいんだよね。



いかにして、世界を無視し、おまえのままでいられるか。

音は、場の空気を支配する。だから音を出すことは恐ろしい。人前で失敗して自尊心が傷つくことへの恐れ、あるいは、失敗は許されないという暗黙の圧力を感じるあまり、音を発することに慎重になっている……。そんな人間はたぶん私だけではなかろう。もちろん、私にもある程度の楽器経験があるし、カラオケで歌ったことだってあるが、自分の発する「響き」に、心底うっとりするなんてことはついぞなかったし、音楽の知識が増え、素晴らしい音楽を耳にするほどに、素直に楽しむことが難しく、自分に音を発する権利などないような気がしてくるのである。


何年も前のことになるが、長く音楽業界にいた知人が、音楽を発表するには一定レベルのテクニックと上質さ、完成度が必要不可欠である、と、いうようなことを言っているのを聞いた。一見、当然のような気もするが、本当にそうなのだろうか。
テクニックはともかく音楽の質はどのように測るのだろう? いったい誰が評価するのか? 専門家? それとも大衆? 下手でもセンスがあればOKなのか、逆に上手けりゃセンスがなくてもアリなのか? そもそもセンスって何なんだ? と、たくさんの違和感を感じながらも、その時は、そういうものなのかと返す言葉がなかったが、今だったら間違いなくこう言うはずだ。「そんな時代もあったかもね。」と。

パッケージされた音楽を消費する時代は過ぎ去り、もはや音楽は専売特許でもない。現在はソフト・ハードの両面で制約がほぼなくなり、誰でも生産・流通が可能だし、ふと気がつけば、機械が人間の創作物を凌駕しはじめている。技術や知識がリソースにならないばかりか、いちいち良し悪しを判別している暇もないほどの供給過多で、玉石混合の状態に皆が食傷気味で、むしろ問題は、そんな状況になってまでなぜ音楽をやるのか、音楽あるいは芸術、個人に何ができるのか、という、実存的問題へとスライドしているのが今の状況だろう。

幼少期から音楽に親しみ、音大でクラシックを学ぶも独自のスタイルを貫くアズ。一方で、突然、衝動に駆られたように多角的な音楽活動を開始したイズミ。キャリアもスタイルも違う二人の音楽へのアプローチには、いくつかの共通点がある。
癒し、感性、インスピレーションという実感し難い言葉で曖昧にしがちな部分だが、あえて二人の共通感覚を言語化してみると、キーワードとして、様式や固定された意識からの「自由と解放」があり、音が目的ではなくその手段となっていることだろう。そして、「正解」を、否定するのではなく徹底的に「正解を無視する」という態度が、その根底にあるのではないかと思う。
外側との関係性によって作られる相対化された個ではなく、絶対的な個であろうとすること。外側の世界を認知した上で、否定も肯定もせずただ距離を置くことは、極めて客観的で先鋭的だ。他者からの承認といった表面的な欲求を放棄した身体表現によって、自己と世界をつなぐ回路をつくることを両者は試みているのだ。


体系化されていない情報の断片が氾濫する大海で、今この瞬間にも、膨大なスケールでの引用・再生産が行われ、AIが新たなコンテンツを生成しまくっている。元ネタやセンスのよさの根拠、作者が何者かですらもう重要ではない。毎分、設定が変わり続ける世界において、「正解」なんて概念はどこにもないのだ。「正解」は設定ごとに存在するし、設定は無限に存在するのだから。
技術発展により、今後、加速的にあらゆる人間的活動の制限がなくなるに従って、人間の行為はより本質なものに回帰してゆくだろう。そのとき、人間と音の関わりはたぶん原始的なものになっているはずだ。

音は、意識の拡大を導くツールだ。音楽は、人間の霊性に触れるもので、音楽と戯れることは、身体・精神の両面における人間の根源的な欲求であるように思う。
恐れることはない。あらゆる表現は、自らの真の欲求に忠実であること、愛でさえあれば、すべて正解なのだ。


・・・

INSPIRATION SOUND
サックスとクリスタルボウルのコラボレーションによる瞑想音楽

2023.3.11 sat  11:00 - 13:00(会場10:40)
カノンハウス鎌倉(248-0003 鎌倉市浄明寺3-10-37)

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