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暇と孤独こそ最高の感受性だ

いろいろとうまくいかずに、朝陽が昇り夕日が沈むのをただ耐える日々になっている。お金も心もとないから、外へも出れず、結果人と会うのが躊躇われる。炎はなにかに吸収されるように、小さく小さくなっている。

頼れる人が何人もいることは、私にとって最大の幸福で、今もすごく頼りにしている。何度も声を交わして話したし、それだけでなく彼らが存在するその事実だけでなんとか踏みとどまれて、今がある。なんとか最低限度の生活を送る火種は残っている。
ありがたいことに、無理に頑張れよ、なんて誰も言わなかった。むしろ声を揃えるように言われたのは、今の捉え方次第だと。今を楽しむとか、今に夢中になるとか。明日はともかく、今日を楽しいものとして見れるようになるのが1番だという。自分の経験的にも、その言葉が嘘ではないことはわかっていたから、今日の見方から変えることにした。
でも、そう簡単に変えることはできなかった。数日は持つけれど、1週間は持たなかった。また、元のところに戻ってくる。季節の移ろいが緩やかで服装も変わらないからか、ずっと同じところに留まっているように感じる。世の中のニュースだけが流れていて、歳をとっていないように感じる。

なにか、なにかと一縷の希望を、最初に託したのは本、とくに小説だった。消えることなく柔らかい私の炎に薪をくべ続けるようなそんな言葉があるのではないかと、縋った。気づいたら、本を読んでいた。持ち込んだ本は読破して、次から次へと電子書籍で買っている。なるべくジャンルは偏らないようにして。今まで読んでいなかったジャンルや作者に手を伸ばせた。数十年前に出版され今なお書店に並ぶ、名作に触れるいい機会だった。『キッチン』『銀河鉄道の夜』『ノルウェイの森』がまさにそれで、今読めたことは本当に良かった。ブッカー賞受賞作『その輝きを僕は知らない』、散文詩形式の小説『わたしの全てのわたしたち』といった、海外小説にも挑戦できた。そのほか、『一人称単数』『六人の嘘つきの大学生』『成瀬は天下を取りにいく』『さようなら、オレンジ』なども読んだ。そのほか、新書やアンソロジーなんかも読んだ。平常でない私だからこそ、受け皿の柔らかさがいつもと違っていて、どのストーリーもどこか自分と重ねて読めた、驚くほどに。『わたしの全てのわたしたち』は結合双生児の話で、私とはちょっと距離が遠い。でも、自分もindividualだけれど、分割できる。調子に乗っている自分とそれを嘲笑する自分、心と身体、シーンごとに変わる自分、なんて二元論だけに限らず、ひとつだけじゃない。そんな複数の自分のそれぞれの距離と重さは似ているところがある。そんなふうに、いい読書体験ができたと言われて気付いた。

それと、音楽。私の好奇心の原体験はここだ。音楽とは、私にとって暗い部屋でひとりで聞くものという意識が最も強い。音楽も聴かないジャンルやらアーティストやら、聞かずにスルーしていたアルバムやらを聞いた。聴いたアルバムの数だけで言ったら数年で最も多い気がする。邦ロック、R&B、ジャズ、J-HIPHOP。たまーにクラシック聞いて、アンビエントみたいなのも聴いて。あいみょんの甲子園ライブの音源はよかったなあ。それと、ビル・エヴァンスのピアノに恋に落ちた。haruka nakamuraというアーティストのピアノもすごく落ち着くので、最近よく聞いている。J-HIPHOPの勢いはすごくて、ここ5年くらいでいろんなタイプの人がいい音楽をすごく作ってくれている。かっこいいな。不安定なときほど、歌詞に縋るのでメッセージ性が届きやすい邦ロックを聞く。でも、今はほどよく暇なのでインストも聴けて、幸せです。

そうそう、落語にもハマっていて。YouTubeでみたり、Podcastできいたり。日本に帰ったら寄席に行ってみたいな。抑揚と惹きつける感じが、尋常じゃない。以前から何度かトライしたもののハマり切れず、ここにきて面白がれている。どの落語家が、どの小噺が、って言えるほどではないのだけれど、漠然と楽しい。入口としては十分だと思う。


こんな感じで、暇と孤独だけれど、だからこそ出会えた本と音楽があって、好きになれている。この新しい種が、芽を出して何かに繋がるかもしれない。