こんにちは、みのです。

この度は、明日たくさんのはじめましての方とお会いする機会がありますし、twitterで知り合った皆様にも、きちんと自己紹介をすべく、noteでまとめてみました。


生い立ち。

東京都の西寄り、東京の割にはあんまりオシャレではないエリアで、1987年に、デパートマンと専業主婦の両親の第二子として生まれました。

生まれたとき、へその緒が首に巻き付いたまま出てきて、先生にベシベシ叩かれてようやく目が覚めて泣き出すような、どんくさい生まれ方をしたと母に聞きました。


幼少期は目立ちたがりな性格です。

小学校では、コントのような劇をお楽しみ会で必ずやり、私自身が書いた台本で、私が主役。私は青ひげ、鼻割りばしをつけたおじさんを演じていました。

6年生の時は、運動会で応援団長。今までの応援団の振り付けを無視して、UFOやヒゲダンスの三三七拍子をつくったり、どうやったらおもしろくなるかを一生懸命考えている子供でした。


幼稚園年少から、中学3年生まで続けたのは、サッカーです。

Jリーグ開幕が幼稚園時代。三浦カズにあこがれて、真っ先に仲のいい友達と、幼稚園のサッカークラブに入りました。サッカーのセンスは全くありませんでしたが、集団スポーツは継続して好きです。

高校にサッカー部がなかったのでバレー部、大学では違うことをしたかったのでグループで登山するサークルに入り、一貫して集団スポーツを続けます。今でも友人とフットサル、ママさんバレー、会社仲間・家族と登山と、すべてのスポーツがぼんやり続いています。


中学校くらいから、モテたくてしょうがない時期がやってきます。

当時はストリートファッションが全盛期だったので、StreetJackを毎月買って、原宿や代々木のフリマで、年上のお兄さんに「学割でお願いします!」と値引きを頼んでSupremeやMasterpeaceの服や帽子を買いに行った時期もありました。(偽物もつかまされていたとおもいます。。。)

中学高校は何をするにも、判断基準に女の子がありました。英語科の高校を選んだのも、親には「英語の一つもしゃべられないと、僕の世代は通用しない」とたいそうなことを言いましたが、留学先でブロンド美女と仲良くなれるかな、という下心だけです。

大学受験も、友達と入り浸っていたかわいい店員さんがバイトの時間は、ずっと慶応SFCの過去問を解いていました。ここで見栄をはったおかげで大分偏差値があがったので、あの時のジョナサンの店員さんには感謝しています。


大学時代は、高校時代に憧れていたキラキラしたオレンジデイズはやってこず、「登山、寿司屋でバイト、飲み会、読書」が中心です。

高校でスパルタなバレー部3年間を過ごした影響で、バレー嫌いになっていたので、新しいスポーツを始めようと思いましたが、経験者が幅を利かせているスポーツも嫌だなと思い、体力があればだれでもできそうだった登山サークルに入りました。

登山サークルは、金曜の夜に出発し、日曜日に温泉に入って打ち上げをするまでの行程を組んでバス・タクシー・お店の予約をしたり、メンバーによって食事や場の雰囲気を変えるなど、とても勉強になる時間だったと思います。どっぷりハマった4年間で、百名山42座を登頂しました。

寿司屋のバイトは、サークルで代々続いているバイト先でした。大将の息子さんが同じ配膳の仕事をしていたのですが、毎回教えてくれる内容が違って怒られたり、理不尽に感じることが多かったので、たくさんメモをとって、わざと壁に貼って対抗したり。自転車で15人前のちらし寿司の入ったカゴを片手で持って水道橋の急坂をあがったり。根性の養われるバイト先でした。賄いだけでなく、オマケで握ってくれるお寿司と大将たちが好きだからこそ、4年続いたバイトでした。

大学では、西洋史学科ではありましたが、文学部だったので、英米文学の授業などもとり、英米文学にはまった時期でもありました。今ではすっかりどんな本だったか忘れてしまいましたが、チャールズ・ブコウスキーの文庫本をジーパンの尻ポケットに入れて高田馬場のロータリーで酔いつぶれていたのは私です。

昼ご飯を牛丼かうどんで安く済ませて、大好きなコーヒー屋さんで小説を読むのが一人で過ごす最高の時間でした。読む本は変わりましたが、カフェで読書は私の幸せな時間です。


就職活動は、一貫して「営業職」を目指しました。

どんな会社に入るか、を考える前に、どんな大人になっていたいかを考えたときに、「ホームパーティーに友達をたくさん呼んで、奥さんと一緒におもてなしをする」という画が真っ先に浮かびました。「国際的な仕事につく」とか、「この業界から日本を変える」とかではなく、ホームパーティーをするのが私のイケてる大人像でした。

ふざけた大人像ですが、思いついてしまったからには仕方ないので、真面目にその夢をかなえるために、その大人像の要素を分解しました。

「ホームパーティー」を開くためには、当然ホームがないといけないので、一戸建ての家が買えるだけの収入は必要。いくら必要かはしらないけど、父親がマイホームを建てて子供2人育てているのだから、父親の会社より年収が高いところに行こう、と四季報を見ながら、年収で会社を足切りしました。

「友達をたくさん呼ぶ」ためには、当然、会いたい・誘われたら行こうと思われる人にならないといけない。そのころの私は、大学の雑多なカルチャーが好きで、在籍の4年で性格にすこし変化がありました。なので、「4年で性格が変わるのだから、10年、20年と一つの企業に勤めたら、その会社のカルチャーに染まるんだ」と思い、圧倒的に人と出会える仕事をして、自分が魅力的になる練習をしようと思い、営業職を志すことにしました。

平均年収の足切りと、営業職という大体の会社にある職種志望だったので、業界・会社を絞るのは大変でした。100社以上の人事の方の話を聞き、50社以上にエントリーシートを書き、30社以上の面接の予約が手帳には書き込まれました。

そこでこだわったのは、エントリーシートの内容は会社によって変えないということでした。「この会社にはこんな内容がいいかな」ではなく、どの会社にも「自分はこんなやつで、こんなことがしたい」と書いた方が、自分の望んだ仕事ができる会社だけが面接に進めるので、とても楽でした。どの会社でも、「顧客と継続した関係をつくって、相手に提案していくような仕事がしたい」と言い続けました。

その中でも、住宅業界は、お客様の年齢層や職業などがまるっきりバラバラで、しかもお客様のライフスタイルを根こそぎ聞いて提案をするという、私にとっては理想の職場だと気づき、4月2週目の時点で、他の会社を全て断り、今でも働いているハウスメーカーに就職を決めました。


住宅営業になって今年で10年。現在では、奥さんと5歳の娘と一緒に二世帯住宅で幸せに暮らしています。

社会人3年目の時に、職場の近くで一人暮らしをはじめ、月1~2回のホームパーティーをするのが何よりも楽しみという時期がありました。

その時に、ホームパーティーで酔いつぶれて起きた昼頃、部屋の隅に同じく酔いつぶれて眠ってしまい、気持ち悪そうにしていたのが今の奥さんです。

そのホームパーティー以来、なぜか一人暮らしの私の部屋にいつき、そこからやんややんやと1年後には結婚、その後娘が生まれます。

2年前、自分の働いている会社で自分の実家を建替え、1Fに親、2Fに自分たちが住む二世帯住宅となり、うちの娘は1Fと2Fを楽しそうに往復する生活をしています。



今大事にしていること。

去年からのテーマは、「視野を広げるために人に会う」です。

ハウスメーカーは平日休みで友人となかなか予定が合わないし、妻子持ちだと遊べる友達も減っていきます。段々と会社の人たちが付き合いの中で大きくなっていく。。。

これではどんどんと自分が凝り固まっていく感覚があって、将来のキャリアのためにも、自分の楽しい日々のためにも、いろんな業界の人に片っ端から会おうとしています。

夏ごろから、10年前はどっぷりハマっていたtwitterを再開し、COFFEETALKという初対面の人とお茶をするサイトに登録しました。秋になると地元の青年会議所に加入し、twitterで発見したミノ村プロジェクトに入ります。

全ての価値基準は、そこがどんな場かではなく、どんな人と会えて、自分がどんな機会を得られるかを見に行く、に置いています。

もちろん、その場その場で与えられた自分の役割をこなすし、積極的に手をあげますが、一番はそこにいる自分の知らない人、知らないことを知っている人のことを知りたい。

その人が社会的ステータスがあるから、とか、twitterでフォロワーがすごい人だから、とか、そういうのではなく、自分が知らない世界の人の話をたくさん聞く、これをひたすらに継続していきます。そこから、自分が何を学んで何が変わっていくかはわかりませんが、とにかく楽しい。


おわりに。

全部で4000文字近く、自分について書きました。

長文を読んでいただき、ありがとうございました。

これを読んで、少しでも親しみを持ったり、こいつに会ってみたいと思ってくれる方がいらっしゃれば幸いです!!

なんとなく、会ったら楽しそうと思った方は気軽にDMください!都内であれば、お茶でもお酒でも飲みましょう。


最近、新人時代から自分の仕事を振り返っています。できればぜひ。

読書記録なんかもつけております。ぜひ。

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