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なぜ日本ではクリスマスが流行っているのか~堀井憲一朗の本を読んで~

こんにちは、各駅停車です。

大学のキリスト教の授業でクリスマスについてのレポートを書いたので、今回はそれを記事にしたいと思います。

クリスマスレポートここから

私のレポートテーマは「なぜ日本ではクリスマスが流行っているのか」である。


1.序論(テーマを選んだ理由)


第三回目の講義の中で、「インターネット上で一番話題になっている宗教は何か?」という問いが出された。


Bingで実際に検索したところ、それぞれの検索ヒット数は下記の数字となった。

キリスト教 7510万
仏教 953万
イスラム教 264万
ユダヤ教 135万
儒教 128万
ヒンドゥー教 55万
(数字は暫定)

他の宗教と比べ、圧倒的にキリスト教のヒット回数が多いことが分かる。なぜ、キリスト教がこれほどまでに検索されるのだろうか?


私は悩んだ末、日本ではキリスト教の祝祭、クリスマスが行われていることが原因の1つではないかという仮説を立てた。

日本でクリスマスは毎年開催され、クリスマスツリーやケーキ、プレゼントが広く11月から12月にかけて街を彩ることとなる。

そんなクリスマスをきっかけにして、日本人はキリスト教の文化について興味を持つのではないか。

それにより、キリスト教の検索数がネットで増えるのではないか。私はそうした仮説を立てた。
そして同時に思った。「なぜ日本ではこんなにクリスマスが人気なのか?キリスト教の祭りがなぜこれほどまでに日本で流行したのか?」
以上の経緯より、私はこれからキリスト教の祝祭、クリスマスがなぜ日本で流行しているのかを探っていきたいと思う。


2.本論(クリスマスはなぜ日本で流行したのか)


私は調べるにあたって、堀井憲一朗の書籍『愛と狂瀾のメリークリスマス なぜ異教徒の祭典が日本化したのか』を読んだ。

よって、以下の文章は基本的にこの書籍に依拠するものとなる。


2-1.クリスマスの成立


そもそも、クリスマスの起源は紀元後4世紀までさかのぼる。
当時、「キリストはいつ神の子として顕現したのか」という論争が起こっていた。意見は大きく分けて2つあった。

1つは「キリストは洗礼を受けて神の子となった」というもの。

もう1つは「キリストは生まれた時から神だった」というもの。

その論争は、352年に行われたニケーア公会議で終結することになる。ニケーア公会議では後者、つまり「キリストは生まれた時から神だった」という意見が正統とみなされるようになった。
これにより、「キリストが生まれた日」というものが非常に重要な意味を持つようになった。なぜなら、地上に神の子が降臨した日だからである。

そして当時のローマ帝国皇帝、コンスタンティヌス帝によって、「キリストが生まれた日」は12月25日に制定されることになる。
コンスタンティヌス帝は、キリスト教を帝国を維持するためのイデオロギーとして利用しようとしていた。それゆえ、もともと土俗的に信仰されていたミトラ教の冬至祭りをキリスト教に組み込んだ。

ミトラ教の祭りの日程が12月25日であったために、そこに重ねあわされたクリスマスも12月25日に行われることとなった。こうしてクリスマスは成立した。


2-2.日本での普及~日露戦争以前~


日本で記録上初めてクリスマスが行われたのは、ザビエルの宗教伝来から3年後、1552年山口でのクリスマスとされている。

このクリスマスは少人数で粛々と執り行われ、内容もミサを歌ったりキリスト一代記を語ったりといまのクリスマスと比べたら真面目なものであった。
この山口でのクリスマスを端緒に、日本でのクリスマスは信者によって細々と行われることとなった。

秀吉と家康による「踏み絵」「五人組」「宗旨人別改帳(しゅうしにんべつあらためちょう)」といった反キリスト教政策を受けつつも、信者たちによってクリスマスは続けられていった。
幕府が倒れ、新政権が樹立した明治期になっても、初めのうちはクリスマスが普及することはなかった。
なぜなら、当時の日本が江戸時代に引き続きキリスト教を禁止していたからだ。
天皇を父として崇め、国体を維持するためには、絶対的な神を信仰するキリスト教は邪魔でしかなかった。

1889年に制定された大日本帝国憲法でさえ、「安寧秩序を妨げず臣民の義務に背かざる限りにおいて信教の自由を有す」とキリスト教は条件付きの容認にとどまっていた。
しかし、日本は近代化に際し、キリスト教圏の列強の文化を取り込む必要があった。

列強に支配され、上位国の発展のための踏み台とされることを恐れた日本は、国の成り立ち、政治経済、インフラ、軍隊、法律、文芸、教育、暦、あらゆる西洋国、キリスト教圏の国の近代的システムを取り込んだ。

ここで重要なのが、日本は宗教部分を抜いた、「文化としてのキリスト教」を取り込んだということだ。天皇崇拝の妨げになるキリスト教の宗教部分を捨象し、キリスト教圏の国と肩を並べる為に模倣した「文化としてのキリスト教」が日本には残った。
従って、明治期以降に行われるクリスマスは、信仰部分が立ち消えた「文化としてのキリスト教」の祝祭となった。
明治期以降、記録として確認できる初めてのクリスマスとなる、1874年の築地クリスマスでは、そういった気分をうかがうことができる。このクリスマスでは、クリスマスツリーが飾られ、サンタクロースも登場していたが、「神田明神の祭礼のような気持ちでやった」という主催者原胤明(はらたねあき)の言葉通り、キリスト教信仰の側面が退行したクリスマスが執り行われている。

江戸時代のミサや説教を行っていたまじめなクリスマスと対比すると、いかに明治期以降のクリスマスが「文化としてのキリスト教」であるのかが分かる。
ただ、「文化としてのキリスト教」となったクリスマスは、日露戦争が始まるまでは爆発的に流行しているわけではなかった。

1874年から1905年までの日本のクリスマスは、「文化としてのキリスト教」、西洋的な文化に触れることのできる日というだけのものであり、そのほとんどが東京の異人居住区(築地、横浜)で行われていた。クリスマスへの興味は、物珍しい異国の文化に対する興味でしかなかった。


2-3.日本での普及~日露戦争以降~


1906年、つまり日露戦争で日本がロシアに勝利した翌年に、日本のクリスマスは大きく様変わりを見せる。具体的に言えば、クリスマスは「羽目を外してよい日」として定着していくことになる。
1905年、それまで西洋列強におびえて過ごしていた日本が、キリスト教列強国であるロシアに勝利した。

これにより、日本社会は解放感と嬉しさに満ち溢れることになる。それまで日本に大きくのしかかっていた「西洋文化コンプレックス」が軽減され、「文化としてのキリスト教」の一つとして受容されていたクリスマスが、日本風に組み替えられていくことになる。
1906年12月25日の朝日新聞では、キリスト教信者以外の家々でクリスマス装飾が行われていることが紹介されている。また同月27日の報道では、日本の料理を食べ、日本酒をのみ、余興として芸者が躍るというかなり日本化したクリスマスパーティーが陸海軍の官僚の間で行われたという記事が掲載されている。
この1906年を皮切りに、翌1907年以降、毎年のように新聞記事の上で「クリスマス」という文字が躍ることになる。「クリスマス商戦」をねらう企業側の動きも、1907年の三越によるクリスマス広告から確認することが出来る。
世界恐慌、関東大震災、第二次世界大戦と歴史の中の諸状況に左右されながらも、1925年に始まったラジオ放送によって日本化されたクリスマスはさらに広く大衆に認知され、ダンスホール、カフェブームと重なることで大人も楽しめる行事としてクリスマスは劇的な進化を遂げた。
戦後になるとクリスマスの宗教的な側面はほぼなくなり、一応キリスト教文化に則った「羽目を外してよい日」となった。

その後、1960年代に新宿を中心とした若者文化と融合したり、1970年代の雑誌ブーム、特に『アンアン』や『ノンノ』といった女性ファッション誌の影響を受けて、「クリスマス=恋人と過ごすロマンチックな日」という図式が登場したりと様々な変化を遂げて今日に至っている。


2-4.まとめ


以上、クリスマスの成立から、クリスマスがどのように日本で受容されたかを見てきた。


もともとクリスマスは、ローマ帝国のコンスタンティヌス帝の政治的要請により、土俗的祝祭をキリスト教に取り込むために意図的に作成された。


キリスト教が伝来した江戸時代の日本では、クリスマスはキリスト教の信者によって細々と行われるまじめな行事であった。しかし、明治期になって新政府による近代化が起こった際、天皇崇拝を第一とする国策から宗教的側面をそぎ落されたクリスマスは、「文化としてのキリスト教」の一つとして定着する。


さらに、日露戦争での勝利を転機に、「西洋文化コンプレックス」を脱却した日本社会は解放感と嬉しさに満ち溢れ日本化され、奇形的進化を遂げた祝祭としてのクリスマスを作り始めていく。


そのあと、戦中戦後と時代が流れるにつれ、大人や若者、女性層を取り込んだクリスマスは、現在「羽目を外してよい日」として宗教的側面が完全に脱色された状態で普及している。

3.結論


以上、「なぜ日本ではクリスマスが流行っているのか」という本レポートの問いについて私は、堀井の著書に依拠し、


① 明治期の日本が天皇を中心とした国体維持と近代化を同時に推し進めるため、「文化としてのキリスト教」を受容し、その一部としてクリスマスが残ったから

② 日露戦争後の戦勝ムードに浮かれ「西洋文化コンプレックス」を脱却した日本が、クリスマスを日本化し、クリスマスを一応キリスト教の文化に則った「羽目を外してよい日」として進化させたから。


と二つの解答を得ることが出来た。


しかしながら、「クリスマスが流行しているから、クリスマスをきっかけに人々がキリスト教に興味を持ち、キリスト教の検索数が増える」という私の仮説は、クリスマスの流行の理由を調べただけでは立証されず、仮説にとどまった。


ただ、日本のネット上でキリスト教の検索数が多いことについての今後のアプローチとして、①の解答の中に登場する「文化としてのキリスト教」が重要な意味を持つのではないかと考えた。


参考
堀井憲一朗,2017,『愛と狂瀾のメリークリスマス なぜ異教徒の祭典が日本化したのか』,講談社現代新書