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運動を切り刻むボーカロイド〜実験的600字エッセイ〜

大学受験の直前期、僕は毎朝走っていた。朝6時に目を覚ます。歯を磨き、顔を洗う。そして靴紐をむすぶ。
12月、早朝の東京。玄関を出ると、いまにも顔の皮膚に切り傷ができそうな鋭い寒さ。
大気が乾燥しているために日光は散乱せず、視界を覆い尽くすほどに眩しい。
僕はイヤホンをつけ、ボーカロイドの曲を流し、カツ丼屋を通り過ぎるのを合図に走り始める。

ボーカロイドの曲はbpm、つまり曲のテンポが速い。
一説によれば、ボカロのテンポが速いのは、生の歌声の持つ声の震えや音程の揺らぎといった、偶然生まれてくる音の気持ちよさを持たないことが原因らしい。
ボカロは機械音の打ち込みであるから、人間が曲を歌う最中に起きる偶然の気持ちよさをあてにすることができない。
それゆえ、ボカロは制作段階から曲に情報量を詰め込んでいくようになり、それと並行して音を刻むスピード、テンポが上がっていったのだという。

その説の真偽がどうであれ、僕にとってボカロというのは、高いbpmで運動を切り刻む曲だった。
高いbpm、速い曲のテンポで、僕の運動の瞬間瞬間に切り込みを入れていくものがボカロだった。
呼吸、足音、腕の振り、それらはボカロの一拍によって区切られ、一つのブロックになっていく。
僕が受験直前期に毎朝行なっていたのは、30分間、ボカロに切り刻まれた運動のブロックを積み重ねることだった。

大学に入り、運動もせず自堕落な生活を送っている僕は、以前よりボカロを熱心に聞かなくなった。
今僕は、もう一度ボカロに切り刻まれる自分になりたいと思っている。





走っている時に聞いてたおきにいり