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2ヶ月続いた息子との二人暮らし、そして突然訪れた二度目の破水

14週で破水した妻が入院し、始まった息子(当時1歳9か月)との二人暮らし。ドタバタしながらもなんとか日々を乗り越えていましたが、やっぱりうまくいかないこともたくさんありました。

今回はそんなときにどう気持ちを保っていたかを思い出してみます。そして、おなかの中の子どもと共に日々奮闘している妻も、一つの節目を迎えます。

仕事がうまくいかない。そんなときは・・・

仕事はチームのメンバーの助けで負担を軽くしてもらっていましたが、それでも忙しい時やうまくいかないことが続くこともありました。

そんな中でもこの生活を守るために気を付けていたのが、自己肯定感を下げないこと。

「あれもできなかった、これもできなかった」と考え始めると、もうきりがありません。どこまでもデフレスパイラルに陥ります。

ただ、もともと二人でやっていたことを(全部ではありませんが)一人でやろうとしているのでできなくて当たり前、それよりもできたことに目を向けようと思えばそれなりにあったりします。

妻に差し入れたお菓子が好評だった、息子が一緒に遊ぶと楽しそうにしていた、ちゃんと味噌汁を作った・・・など、些細なことでもできるだけ自分を肯定して一日を終えると、次の日もフラットな心持ちで迎えることができました。

それでもどうしても落ちそうなときは、「過去に褒められてうれしかったことを思い出す」か「労ってくれそうな人と話す」ことをしていました。

自他ともに認める承認欲求の強さなので、褒められて嬉しかったことは鮮明に記憶しています。落ち込みそうなときにそういう引き出しを開けると、「もう少しがんばれるかも」「まあなんとかなるか」と回復してきたりします。

もちろんそれだけで回復するくらい、もともと能天気な性格でもあるということだと思うのですが。

あとは、「労ってくれそうな人と話す」。もともと単純におしゃべり好きではあるのですが、ちょっと落ち気味な時は優しい人と話すに限ります。

「いやー、最近なかなかしんどいんですよねぇ」

「そりゃ大変だわ、仕事どころじゃないね」

こんな会話をするだけでも、仕事で何かうまくいっていないことは「まあ色々大変だししょうがないよね、やれることをしっかりやろう」と開き直れていました。

ついに迎えた22週。そして二度目の破水

そんなこんなで、なんとか日々を乗り越えることができていました。

気づけば年度も変わって4月。破水、入院から2か月が経とうとしていました。そして妻はついに、22週を迎えることができました。

妊娠22週。おなかの中の子どもにとって、文字通り生死の境目です。

22週という週数は、母体保護法で定められた厳然たるラインで、それ以降に産まれた子どもに救命義務があることを意味します。逆に言えば、22週未満で産まれた子どもに対して、病院はその義務を負わないということです。

妊娠14週で破水をしたとき、「この子が産まれてくることはありません」と言われた子どもが22週を迎える。それはつまり、生きて出てきてくれさえすれば、お医者さんたちが生きるための措置を全力でしてくれるということです。

一度どん底に落とされた私たちにとって、22週に向けて週数を重ねていくことが唯一の希望でした。そして、その日を迎えることができたのです。

妻はこれまで、家族にも会えない孤独な状況の中で、おなかの中の子どもたちのためにじっと耐える戦いをしてきてくれました。

実は途中で、「自宅で経過観察するという選択肢もありますよ」ということを言われていたのですが、おなかの子どもたちにとってできるだけリスクがない環境を優先すること、そして何か変化があったときにすぐ対応してもらえるようにということも含め、入院継続を選択していました。

そのおかげか、羊水は増えなかったものの破水した子も元気に心臓を動かし続けてくれていました。そして、お医者さんからも「正直この日を迎えられるとは思っていなかった」と言われた22週を迎えることができました。

こうなると、私たちには次の欲が出てきます。22週で救命義務が発生するといっても、このタイミングでは一般的な赤ちゃんの状態にはまだほど遠い状況ですので、少しでも週数を重ねておなかの中で成長してほしいという気持ちになります。

気持ちはだいぶ上向いたものの、まだまだこれから。そう思いなおした矢先に、二度目の破水が訪れてしまいました。

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出産当日はなかなか長い1日だったので、次回の記事で振り返ろうと思います。

今日も読んでいただき、ありがとうございました。

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