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「3行日記」は、新たな行動へのモチベーション!

もう5年くらい、エクセルで作った「3行日記」をつけている。
3行なので、書ける内容は、出来事のみ。「何時に何をした。昼飯に何を食べた」と言った感じだ。感想的な記述は、ほとんど無い。

パソコンでしか開けないし、パソコンを起動するにはパスワードが必要なので、この「3行日記」は、自分の死後、誰も見る事は出来ない。
だから、自分の為だけに書き留めている。

最近は、この「3行日記」を埋めるために毎日を送っている感じだ。
別に、それを自分に課しているわけでも無いし、誰に勧められたわけでも無い。
伊豆の山奥で暮らし始めてから、めっきり「しなければならない事」が減った。
今は、3日に一度の「宿直バイト」だけが、「しなければならない事」。

もちろん、食事や睡眠のように、生きるために「しなければならない事」は、いろいろあるが、社会的責任 という意味で「しなければならない事」は、今のところ「宿直バイト」くらいしか無い。
だから、気が向かなければ、それ以外の事は、しなくても誰にも咎められない。

そうは言っても、朝は5時半に起きるようにしているし、一度起きたら、就寝時間までは、出来るだけ寝ないようにしている。
しかし、それも自然にそうなっただけで、無理にそうしているわけでは無い。

いろいろな制約があるのも嫌だが、自由裁量部分が多過ぎる のも、生きていく上では、なかなかしんどい。そこで登場するのが「3行日記」だ。毎日のたわいない出来事を記録していく事で、少しだけ 毎日が充実する ような気がするのは、自分だけだろうか?

今では、単に記録するだけでなく、何日か先の分まで予定を書いてある。
これは、当日になったら修正するのだが、まぁ、予定表 のようなものだ。
と言っても、たいした事は書いてない。朝起きて、食事して、買い物して、ゴミ出しして・・・というような淡々とした日常を綴っているだけ。

しかし、この「3行日記」をつけて無かったら、自分の毎日は「」に等しい。
記録しておかないと何も残らない。
3行日記」をつけているからこそ、昨日の自分、1年前の自分、3年前の自分がある。気休めみたいなものだが、確かに 自分の軌跡 が残っている。

そして、「3行日記」にすら書く事が無くて、3行が埋まらないと、すごく寂しいので、「3行日記」を埋めるために行動するようになる。
日記を埋めるために行動する なんて、本末転倒かもしれないが、今の自分に取って、何かをする モチベーション になるなら、なんでもイイ。

そう。「3行日記」は、何かをやるための モチベーション になるのだ。
過去を記録する ことが、新たな行動のモチベーション になる。
無趣味で飽きっぽい自分が、もう 5年以上も続けている のだ。
それなりに プラスになっている事 があるのだろう。

・・・と言うわけで今日は、新年最初に「note」を更新した事を「3行日記」につけておこう。

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