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名前で運勢が変わるか?(16):名前は運命の一部か?<下>

「名前が見つけ出すべきものだって?なにをバカなことを!」確かにこれはバカげたような思いつきです。もし名前が見つけ出すべきものなら、その名前は最初からどこかに存在しなくてはなりません。いったいどこに?

●共感覚現象が示唆するもの

あれこれ思いを巡らすうち、ふと「もしかして・・・」という考えが浮かびました。ヒントは共感覚現象です。並外れた共感覚者のシェレシェフスキーはこんなことを言っていました。[注1]

音楽を聴きますと、それらの味を感じます。そして、もし、舌で味を感じませんと理解できません。・・・電話番号ですら、それを復唱することはできますが、もし、その味を舌で感じることができなければ、私はそれが理解できず、再び聴き直し、すべての感覚器官を通して感じることが必要です。

『偉大な記憶力の物語』(A.ルリヤ著)[*1]

問題は最後の部分です。この「すべての感覚器官を通して感じることが必要です」とは、何が重要なことを暗示していないでしょうか。まだ誰も気づいていない知覚の秘密を、この部分が明かしているのではないでしょうか。

電話番号なんて普通人にはただの数字の羅列でしかありません。しかしシェレシェフスキーにとっては、単なる視覚的な文字や聴覚的な音響ではないようです。舌での味わい、指先での感触、さらにそれ以上のものさえ感じる何か●●なのでしょう。

おそらく彼にとっては、現実世界のあらゆるのもごとが「すべての感覚器官を通して感じる」何か●●なのです。

●「数」の実体●●を垣間見る

ひょっとすると、彼はこの世界を超越したどこか、プラトンがいうイデア界のような超時空世界にアクセスする能力があったのかもしれません。そして、その世界に実在する「数」の実体●●を感じ取っていたのではないでしょうか。

心理学者のC.G.ユングも「数」について次のように書いています。数が発明されたものであると同時に、発見されたものであり、自律的な実体●●だというのです。

数は概念だけでなく何かそれ以上のもの・・・単なる量以上の何かを含んでいる自律的な実体なのである。・・・私は、数が発明されたものであると同時に、発見されたものであり、・・・相対的な自律性をもっているという見解に傾いている・・・。数は・・・意識に先行して存在する。

『共時性:非因果的連関の原理』(C.G.ユング著) [*2]

「数」が自律的な実体●●ということになると、それがどんな格好をしているか想像もつきませんが、どこかには存在しているはずです。

しかし、この現実世界の「どこか」でないことだけは確かです。今までに「これがそれだ」と示した人はいませんから。では、いったいどこに?

●抽象概念の「数」をもの●●として見るサヴァン

これと関連がありそうな話が、『妻を帽子とまちがえた男』(オリバー・サックス著)にでてきます。ここに登場する双子のサヴァン(知的障害等がありながら、特定の分野で高い能力を示す人々)――ジョンとマイケル――は、どうやら超時空的な数の実体を見ることができるらしいのです。

二人のいるテーブルにあったマッチ箱が床へ落ちて、中身が出てしまった。「百十一」と二人は同時にさけんだ。それからジョンが「三十七」とつぶやいた。マイケルもおなじことを言った。ジョンがもう一度おなじことを言った。それで終りだった。

私がマッチの軸をかぞえると――時間がだいぶかかったが――ほんとに百十一本あった。「どうしてそんなに早くかぞえられるの?」私はたずねた。「かぞえるんじゃないですよ」と二人は言った。「百十一が見えた●●●んです」

おなじような話が、数の天才といわれたザカリアス・デイスについて伝わっている。彼はたくさんの豆が目の前にざあっとひろげられると、とたんに「百八十三」とか「七十九」と言ったという。

そして、彼もまた知恵遅れだったから説明には窮したが、自分は豆をかぞえるのではない、一瞬のうち全体の数が「見える」だけだ、と答えたという。

「なぜ三十七とつぶやいたの?なぜそれを三回くり返したの?」と私は二人にたずねた。彼らはそろって同時に言った。「三十七、三十七、三十七で百十一」

これを聞いて、私はこれまで以上におどろいた。彼らが百十一を一瞬にして見るということもおどろきではあった。・・・しかし彼らは、百十一の因数分解までやってのけたのだ。

なんの方法もなく、因数が何かも知らないというのに。・・・要するに彼らは「やった」のではなく、一瞬のうちに「見た」だけだったのである。・・・

ジョンの身ぶりを見ていると、じかに、まぎれもない実体を把握していることはたしかだった。・・・彼らには数が見えて●●●いるのだ。概念として抽象的に理解するのではなく、はるかに具体的に、直接的に、感覚的に、もの●●としてとらえているのだ。

しかも百十一がひとかたまりで見えるだけでなく、それを構成している部分相互の関係までが、あたかももの●●が見えるように見えている。

『妻を帽子とまちがえた男』(オリバー・サックス著) [*3]

●「名前」は自律的な実体なのか?

ことによるとシェレシェフスキーは、そしてサヴァンの人たちも、人類が将来もつことになる高度に進化した感覚を先取りしていたのかもしれません。そうした超感覚を使って超時空的な数の実体を見ていたのではないでしょうか。

人間の脳はさまざまな潜在能力を秘めているそうですから、まったくあり得ない話でもないでしょう。

そこで思い至りました。現実世界を超えたどこかで抽象概念の「数」が実体を持つなら、そこでは「名前」も実体を持っているのではないか。「数が発明されたものであると同時に、発見されたもの」であるなら、「名前も考え出されたものであると同時に、発見されたもの」ではないかと。

そして名前の響きから、シェレシェフスキーが体型や顔色をイメージするのも、そのほかの共感覚者たちが心地よい色、不快な色を見るのも、「名前」に実体があると想定すれば、説明がつきます。きっと彼らはそこに直接アクセスしたのでしょう。

カナダ極北地域に住むヌナヴィク・イヌイットが名前自体を霊魂と考えるのも、昔からさまざまな民族が名前の呪力を信じてきたのも、こうした認識があったからではないでしょうか。[注2]

あるいは人類の歴史上、突然変異的に現れるシェレシェフスキーやサヴァンのような少数の特異体質者が、このような知識を伝えてきたのかもしれません。そして人間が思いつく限りの、ありとあらゆる「名前」は、宇宙が創造された時からずっと発見されるのを待っているのかもしれません。

※続きはこちら ⇒ 『名前で運勢が変わるか?(17):名前は運命の一部か?<補遺>

==========<参考文献>========
[*1]『偉大な記憶力の物語』(A.ルリヤ著、文一総合出版、1983年)
[*2]『共時性:非因果的連関の原理』(C.G.ユング著、『自然現象と心の構造』所収、海鳴社、1976年)
[*3]『妻を帽子とまちがえた男』(オリバー・サックス著、晶文社、1992年)

==========<注記>==========
[注1] 共感覚現象
 詳しくはこちら ⇒ 『名前で運勢が変わるか?(14):名前の共感覚的イメージ

[注2] 名前の呪力
 詳しくはこちら ⇒ 『名前で運勢が変わるか?(3):名前の呪力<上>


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