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「呪術」としての姓名判断

姓名判断には「占い」と「呪術」というふたつの機能があります。もちろん、呪術とは言っても、姓名判断で儀式や呪文は用いません。

ですが、「幸運を招く(or 不運を避ける)ために吉名をつける」という行為は、名前で運勢をコントロールしようとすることです。これは「占い」ではなく「呪術」です。[注1]

●呪術ビジネスとしての姓名判断

姓名判断の業界は、占い師とその利用者(鑑定依頼者)がともに「姓名判断は当たる、吉名は幸運を招く、運が悪いのは名前のせいだ etc」という信念を共有し、両者が支え合うことで成立します。

占い師は利用者(鑑定依頼者)に対して、名前で運勢の吉凶を鑑定し、開運を約束する吉名をアドバイスします。名前の字画数をほんの少し操作するだけで、運勢が格段に改善するらしいのです。

したがって、この場合の占い師は、名前を用いて間接的に呪力をふるうので、呪術師でもあるわけです。

近年の姓名判断は、名前の吉凶鑑定(運勢判断)そのものより、改名や赤ちゃんの命名を通じて、開運に力点が置かれています。

驚くべきことに、依頼者が希望する性格、才能、容姿さえも操作できると豪語する占い師もいます。こうなると、もはや彼らは紛れもない「現代の呪術師」といってよいでしょう。

●伝統的な呪術信仰

1930年代、エヴァンズ=プリチャードという人類学者がアフリカ奥地に住むアザンデ人について興味深い研究を発表しました。その中には、人類学者たちを長らく悩ませてきた問題の答えがあったのです。

それは「現代文明から隔絶された民族は、欧米人に劣らず論理的なのに、なぜ間違いが明白な呪術を信じ続けているのか」という謎の解明でした。[注2]

実際、アザンデ人は私たちと同程度に論理的です。木の切り株で足を傷つければ、自分の不注意で怪我をしたと分かっています。

しかし、彼らはこう考えます。「いつも注意深く歩いているし、普通なら怪我は数日で治るものだ。ところが、この時に限って怪我をし、化膿かのうして治らないとすれば、誰かの妖術が原因である証拠だ」と。[注3]

うっかり怪我をしたとき、その原因には二種類あります。表面的な原因なら「不注意」です。しかし、「なぜ今回に限って」という「なぜ」の原因については、私たちには分かりません。

病気になったり、事故にった時の「ほかの誰かでなく、なぜ私なのか」も同様です。こういうとき、私たちは「運が悪かった」としか答えようがありません。一方、アザンデ人はこの原因にも答えを持っています。それが「妖術」です。[注4]

●妖術に対抗する復讐呪術

部族の中に共通認識があれば、「妖術」という設定は説明原理として使えるだけでなく、具体的な解決策に辿たどり着くことも可能です。そのかわり「誰が妖術を使ったか」という別の問題は生じますが。

ここで重要な役目をするのが「占い」です。彼らは毒性がある植物を用いて、鶏の生死で誰が妖術を使ったか占うのです。

しかし、占いで妖術使いとみなされた人物は、そんな自覚がないのが普通なので、状況はややこしいことになります。というのも、アザンデ人の考えでは、妖術師の力は生まれつき備わったもので、本人の意志と関係なく発動するのです。

さて、妖術の被害者としては、ひどい目にわされっぱなしで、このまま黙っているわけにはいきません。当然、憎らしい妖術使いに復讐ふくしゅうしようとします。徹底的にやっつけるためには、強力な呪力が必要です。そこで評判の良い呪術師を頼ることになります。

呪術師が呪文や呪薬を用いて儀式を行うと、しばらくして妖術使いとみなされた人物に何かしらの不運が降りかかります。ここで再び「占い」の出番です。この不運が「呪術」の成功によるものか問うのです。

占いの結果が「YES」なら、祝賀パーティーです。「NO」なら、次の不運が起こるまで辛抱しんぼう強く待ちます。そしてこの一連の手続きは、占い結果が「YES」になるまで続けられるのです。[注5]

●閉された循環論的な思考体系

こうして妖術、占い、呪術の三つは相互に支え合い、思考の円環を作り出します。

・「妖術」の存在は、「占い」が妖術師を特定することで証明される。
・「呪術」の効力は、妖術師に不運が降りかかることで証明される。
・「占い」の信頼性は、妖術師を特定するだけでなく、その妖術師に降りかかった不運が「呪術」の成果であると示すことで証明される。

この循環論的構造によって、たとえば占い結果の間違いが明白な場合でも、「誰かの妖術が影響した」と考えれば、疑念はたちどころに解消します。呪術信仰の信頼性が維持されてきた背景には、このような思考体系のトリックがあった、というわけなのです。

●現代日本で生き続ける呪術信仰

明治時代の中期、字画数の吉凶による運勢判断の方法が登場し、「現代の姓名判断」の基礎が確立しました。それからすでに100年以上が経過し、さまざまな姓名判断の流派が生まれました。

名前による開運信仰は今も衰退するきざしはありません。むしろ占い師よって喧伝けんでんされ、いまや姓名判断は単なる「占い」ではなく、運命転換のための「呪術」そのものです。

そこで、姓名判断の「占い」と「呪術」というふたつの機能は、アザンデ人の呪術信仰と多くの点で重なり合うことになります。

不運との遭遇⇒「占い」で名前の画数に不運の原因を発見⇒「呪術」としての字画数の変更⇒不運が解決すれば「占い」の信頼性が証明される、解決しなければ別の原因を探す(または他の占い師に相談する)

つまり、アザンデ人の呪術信仰(妖術・占い・呪術)と現代の姓名判断とは、次のような対応関係が成り立つのです。

・不運の原因:妖術 ーー 名前の字画数
・原因の特定:占い ーー 姓名判断(占い)
・解決手段 :呪術 ーー 姓名判断にもとづく改名(呪術)

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ここでショッキングな事実に思い至ります。エヴァンズ=プリチャードの現地調査が行われたのは1920年代のアフリカ奥地です。すると、現代日本人の精神構造は100年前の未開部族とたいして違わない、ということになります。

このことは、わが国の従来の教育システムに対して、大きな疑問を投げかけるものです。どこかに重大な欠陥でもあったのでしょうか。

それとも、世間で知られていないだけで、占い師はみんな大金持ちで健康長寿、彼らの子孫も全員が才色兼備、スポーツ万能で、各界の著名人なのでしょうか。

だとしたら、姓名判断はノーベル賞100個分にも匹敵する「世紀の大発見」ということになりますが・・・。

========<参考文献>========
[*1] 『文化人類学事典』(弘文堂)
[*2] 『魔術師 事例と理論』(M.マーヴィック編、未來社、1984年)
[*3] 『アザンデ人の世界』(エヴァンズ=プリチャード著、みすず書房、2001年)

==========<注記>==========
[注1] 姓名判断の二つの機能:「占い」と「呪術」
 『文化人類学事典』(弘文堂)によれば、「呪術とは、何らかの目的のために超自然的・神秘的な存在(神、精霊その他)あるいは霊力の助けを借りて、種々の現象をおこさせようとする行為およびそれに関連する信仰・観念の体系である。・・・人の名前が呪力を持つという考え方は今でもあり、不幸が続くと名前を変えたり、子どもに名前をつける時、字画を気にする場合も少なくない」とある。[*1]
※こちらも参照 ⇒ 『赤ちゃんの名づけ本は魔術書だった!

[注2] 呪術信仰と論理的思考は矛盾しない
 M.マーヴィックは『魔術師』の中で次のように書いている。
「人類学者たちは長い間、呪術、魔術、邪術といったものへの信仰が誤ったものであることは明白であるのに、それにもかかわらず影響力を持ちつづけているのは何故かという問題に心を奪われてきた。この問題を最も体系的に解決したものの一つは、防御的工夫ないし二次的手直しに関するエヴァンス-プリチャードの説明である。・・・これを用いることによって託宣に基づく予言が失敗した場合でもうまくいい抜けることができ、成功した予言は強い印象を残す・・・自分達の信仰が誤ったものであると証明されるのを防ごうとする結果、閉された循環論的な思考体系が生み出される。これは・・・われわれの思考体系に劣らず論理的なものである。」[*2](p376)

[注3] アザンデ人の論理的思考 [*3]
 アザンデ人がどのくらい論理的か、エヴァンズ=プリチャードは次のように書いている。
 「子供の失敗は妖術のせいだとは考えられないし、・・・愚かしさが主要な原因だと考える。焼成中の壺にひびが入ったとき、それをあとで調べてみると粘土のなかに小石が残留していたことが判明したときにまで、ひび割れを妖術のせいにするほどアザンデ人は素朴ではないし、また、誰かが動いたり音を立てたりして獲物が逃げたようなときに、それを妖術のせいにするほど愚かでもない。」
 「したがって、妖術はそれ自体の論理、思考の法則をそなえており、それは自然の因果関係を排除するものではないことがわかる。妖術信仰は人の責任や自然の合理的理解と整合している。まず何よりも、人は伝統的技法をふまえて作業をしなければならず、その技法はそれぞれの世代の試行錯誤の結果で試された知識の集大成である。これらの技法に従っていたにもかかわらず失敗したときのみ、人はそれを妖術の作用だと考えるのである。」

[注4] もうひとつの「なぜ」の原因
「人間はその知識や、先見性や、技術的な卓越性にもかかわらず不運に見舞われる。こうしたとき、われわれの場合は運が悪かったと言うところを、アザンデ人は妖術にかけられたのだと言う。」[*3]p173

[注5] アザンデ人の呪術信仰
 実際のアザンデ人の呪術信仰はもっと込み入っているが、ここではわかりやすく単純化して表現した。


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