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『ヴォイドシェイパー』シリーズ ネタバレ感想
ネタバレを含みます。
「静」の小説と言える。物語全体に主人公ゼンの静けさが漂っている。
最終巻は大きな動きがあるがあとはゆったりと静かな印象。でも面白かった。
大きな事件が起こると言うわけではないが、ゼンが考え成長していくところが面白かった。
いい小説。
やっぱり剣豪小説は好きだな。
物語で剣を求めていく中で、自らの心を見つめ、真理に近づいていこうとする崇高な精神を感じ取れるからだろうか。
今回の作品でも主人公ゼンが強さというものを求めていく。剣においては速さが重要だ。それも一撃目で決まると言っていい。その一撃をいかに相手よりも早く到達させるかだ。
最初は「必死さ」だと考える。確かに、明らかに腕は上の人に対して、技巧的には下の者が窮鼠猫を噛むということはある。
次に剣を隠すことという境地を知る。剣を隠すとは剣の意図を相手に悟らせないということだ。
しかしその上があることに気がつく。それは「無」だ。
何も考えず、剣はただあるべき場所へ向かう。
斬り合いにおいては己が最大の弱点だ。無になると最大の弱点である己は消え、ただ剣のみとなる。
つまりはヴォイド・シェイパー、無を形作る者。
剣で難しいのは、斬り合いの経験をすることで己の技量は格段に増していくが、その結果生きているかは分からないことだという。確かにそうだなと思った。
作者は元々、外国人に日本のサムライを伝えるためにこの小説を書いたらしい。帯に書いてあった。
ヴォイドシェイパー 無を形作る者
ブラッドスクーパ 血をすくう者
スカルブレーカー 骨を壊す者
フォグハイダ 霧を隠す者
マインドクァンチャ 心を消す者
真ん中三つはよく分からないが、最初と最後は同じ無を示している。
以前、林崎甚助の小説も好きで読んでいたが、あれは5巻の途中で飽きて辞めてしまった。
主人公が強くなりすぎてそれ以上の成長を感じなかったことが原因か?もうおじいちゃんになっていたし。
強い主人公は好きだが、強すぎるのも良くないのだと分かった。
読者は主人公と共に成長したいのかな。
しかも、宮本武蔵を酷評していることもいただけなかった。
吉川英治の「宮本武蔵」を読んでいたので、そのイメージと大きく乖離してしまい受け付けなかった。
ちなみに作者の森博嗣のことは好きではない。
なぜなら彼の創作本を読んだ時、読書は好きではないが本を書けると言った言葉に腹が立ったからだ。
でも、好意的に解釈すると、
「読書が好きなんて作家としては当たり前。皆好きだ。僕はその中でも飛び抜けた熱意を持たない。だから、好きではないと表現した」
そういうことかもしれない。そういう真意だったら高度すぎるので、もう少し歩み寄った言葉にしてほしかったな。
イチローの本を読んでいてそういう考えになった。
イチローは頑張るや努力すると言った言葉は使わないらしい。プロは頑張るや努力するのが当たり前だからだ。プロは常にやりたいことよりもやるべきことをやる。
そんな考えを学んだからこういうふうに考えることができるようになった。
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