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夏雲と一期一会

夏雲

先日車の中で電話をしていた。
電話の相手は、90歳の父で。

父は「人は神様と繋がっているから、神様の意思で天にすくい上げられる日が決まっていると思えば、死ぬことは怖くなくなってきたよ。」と淡々と娘の私に話していた。

私は、父とするそんな会話が好きだ。


車のフロントガラス越しの空が青く綺麗だと、思うともなく感じながら、父の話に聞き入っていた。
携帯を持ちながら、視線は白くて大きな雲が流れて行くのを追っている。


すると、青い空のキャンパスに胎児のような雲が現れた。まるまって指をしゃぶっているような姿勢で、いつの間にか現れた。
父が「でも、女房や子や孫の顔をもう二度と見られなくなるんだと思うと、それが怖い。」と話していた時だった。

私は、自分が90歳になった時の気持ちに入り込んで「そうだねー」と想像をする一方で、妊婦さんの娘にこの雲を写して見せたいなぁと、目の前の雲にも感動していた。

いずれにしても、ちょっとの間、透明な気持ちになっていた。

「わたしだったら、もう自分が居なくても子ども達は幸せに暮らせると思ったら心残りはないかな。」と返すと、父は「それとはまた違うんだ。もう二度と顔を見ることかできないと思うと、怖いんだよ。」と言った。

父は若い頃、「わたしの顔って可愛い方かな?」って何度聞いても「10人並みだ。」としか言ってくれないし、ご機嫌でアイドルの歌を熱唱してると「鳥が首を絞められた声だ。」と否定してくるし、子どもながらに、淡白な親だなと思っていた。

90歳の父の深い愛情に触れた。

電話を切った時には、胎児の雲は、だんだんと形を変えていた。
雲も一期一会だな。


一期一会

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娘と近所の土手を散歩していた時、一瞬できた飛行機の雲。
じきに、風に流れて形が変わってしまった。

一期一会だった。


そういえば、母が腰を痛めてしばらく入院し退院した日、
父が電話で、話していた。

「最近知ったのだけど、
ありがとう、という言葉は、有り難いのだから、あり得ないほどの事に感謝するという意味であって。

一期一会というのは、一度だけ、もう二度とないということだ。
『あの世に行って会いましょう』というが、それはあり得ないんだ。

今自分は、このおばあさんとの一期一会に有り難い、と思ってる。
おばあさんが病院から帰ってから、安心して寝れるようになったよ。」
いつも、食べ物ひとつでも喧嘩ばっかりしてるのに。


年老いて、言葉が素直になって温かみが出て来た父のそんな話を、もっともっと聞いていたい。




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