私とブログと珈琲と
寝つきをよくするために、寝る前のひと時、録画しておいたNHK Eテレの番組をボーっと見ることにしている。
先日は、農業のお話で、家庭菜園に熱中している60代のご夫婦が取り上げられていた。とても本格的で、結構な金額で手ほどきを受け、広い土地を借り、農家の皆さんにアドバイスを受けながら、汗水流していらした。
食卓にはとれたて新鮮野菜がふんだんに並び、「主人の健康面にも良いと思う」と奥さんの笑顔。
素敵だなぁ、素晴らしいなぁ、と思いながら、変な焦りを感じてしまった。
私、60歳が、「今これなのよ」と言えば、ブログだ。
さて、汗水を流しているだろうか。
草むしに余念がないように、日々努力しているだろうか。
何か収穫物で、誰かに栄養を与えているとでも言えるのか。
何だか、気持ちを垂れ流して、自分だけスッキリして、それだけのこと?
いや、でも文章書くことは、大好きだ。
ちょっと近い距離感の人の頑張りを見聞きすると、称賛しながら、座布団の上のお尻がムズムズし出すのは、きっと血筋だ。隠れ負けず嫌いな。
***
その一方で、次何書こうかなと思った時、降りてきたのだった。
私がブログを書く大義名分が。
コーヒーのようなブログを書きたい
私はコーヒーが大好きで、もはや飲料でも嗜好品でもなく、感情の扉の鍵のような存在だ。
単に味云々ではなく、空間もシチュエーションも揃えば、人生の一期一会とも言えるコーヒーを味わうことができる。
今までに何度も、コーヒーカップを両手で包み込み「ありがとう」と思って涙したことがある。
そんなブログを目指そう。
コーヒーの味が、私の文章スキルなら、これはどこまでも腕を上げなければ。
そして、空間が、私の感性だ。
私は、スタイリッシュなカフェも好きだけど、とりあえず、牧歌的な景色の見えるカフェを目指そう。
そして、シチュエーションは読んでくださる皆さん次第だ。
思わずホックリしたいのか、泣いていいんだよと言ってもらいたいのか。
忙しさと、大人だから、って忘れようとしている感情の扉を、コーヒーはよく開けてくれる。
私には、何度もあった、そんなコーヒーシチュエーションの一つを、次にご紹介したい。
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主人は、実家の中小企業の跡を継いだ。
地元の皆さんあっての商売なので、地元運営の先導を、買ってでもしなければならない。
今でこそ板についてきたが、10年ほど前、役職に就いた頃は、「なんでこんなことまでしなければならないんだ」と私達夫婦それぞれに、口には出さなくても思ってはいた。
この地域には、全国でも有名な男の祭りがある。(由来も詳細も分かろうともしない私が、ネットで調べた程度のことをここに書くのも失礼なので、割愛します。)
それまでは、人が集まるところが苦手なので、祭りとか、全く無関係で暮らしていたが、この年主人も運営の一端に関わることとなった。
2月の極寒の中、ふんどし一枚で徒歩2〜3時間の行程を、お宮に向けて奉納物を持って練り歩く。毎年このお祭りに参加することを楽しみにしている猛者の皆さんに混ざって、参加者側になることだけは絶対断って、と懇願したけれど、叶わず、主人はふんどし姿に成らざるを得なかった。
当日はみぞれ混じりの雨の日だった。血気盛んな皆さんが集まる中、電信柱の影で、星飛雄馬の姉明子のように、色白、未経験の主人の無事を祈った。
嫌な予感は、だいたい取り越し苦労で済むものだけど、これだけは違った。
夕方警察から電話があり、主人が倒れていると聞かされ、収容されている病院名を告げられた。
主人が私の側からいなくなる恐怖を実感した。本当に怖かった。。。
主人は、青白いを通り越して、緑に近い顔色で横たわっていた。
寒さを凌ぐため、かなりのお酒を勧められたらしい。
そのため意識がなく、名前を呼び続けても、反応をしない。
でも、愛の力は偉大だ。
「うっすらとbanchanの声が聞こえて目が覚めた」と後に言っていた。
なんとか帰宅した主人は、丸2日、汗をいっぱいかいて寝続けた。
翌日パジャマの洗い替えが尽きてしまい、私は新品を買いに少しの間出かけた。
帰り、いつものお馴染みのスタバへ立ち寄り、コーヒーを飲んだ。
あー。溜め息と共に身体の強張りが緩み、涙があふれた。
泣いてなかった。あんなに怖かったのに、泣いてなかった。
泣いたら怖いことが現実になりそうで、泣かなかった。
コーヒーが「もう安心して泣いてもいいよ」と背中をさすってくれた。
***
そんなブログにできたらいいなと思う。
さあ、私の好きなものを集めて、カフェに飾ろう。
そして、うんと美味しいコーヒーが淹れられるよう修行するぞ。
いろいろな年代、事情の人が、安らぎに来てくださったら冥利に尽きる。
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