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昨夜中2の英語の授業をしていると、窓の外で物音が。
バッっとドアの開く音の後に、「ごめんなさい、ごめんなさい」と泣いて訴える男の子の声。

お向かいのアパートの3兄弟のお兄ちゃんだろう。「おっ、怒られてるねー」と私は、生徒達にニヤっとして言った。

3兄弟は、5歳3歳1歳くらいかな。外でよく遊んでいる、いやよく遊べている元気な兄弟だ。

ある炎天下、うちの前の義母の畑跡の空き地を、夫婦2人で怪しげな日除け万全ファッションで草刈りをしていると、お兄ちゃんが寄って来て、弟が来て、最後に裸足で出てきた1歳児を、ダメダメと抱え上げ、なんとか足を宙に浮かせながら、「ねえ、何やってるの?」と声を絞り出して聞いてきた。いつものことなのか、危なっかしいけど、ちゃんと抱えている。

会話に気が済むと、「バイバイ変なおじさん」と主人に挨拶して、1歳児を抱えたまま、兄2人は帰って行った。

3人をまとめるお母さんは、とてもスレンダーな人で、長い髪を揺らして子ども達をみているので、お顔ははっきりは知らない。けれど、この3人を束ねるのだからいずれにせよ、凛々しく、逞しい顔立ちになって行くのだろう。

昨夜は、2回ごめんなさい、と言ったら中に入れてもらえたようだった。
我が家の主人は、完全に戸を締め切ったことがある。
寒い夜だったので、慌てて私がすぐ中に入れたが、息子は冷気を吸い込んだのか、翌日熱を出した覚えがある。

私達の子育ても、なかなか語りきれない物語がある。

***

その息子が、今は4歳男児と0歳女児、2児の父となった。

以前息子の子育てに、母としての思いを書いたことがある。


子育てには、人の数だけ物語がある。

息子と私の物語。
例えば、2人でお買い物に出かけた時のこと。
その日初めて、ショッピングカートに乗れるかなぁと座らせると、しばらくしてぐずり出し、降ろした一瞬でダッシュでいなくなる。

1歳か2歳児の後を追えない。真っ青になってそこらじゅう探しているうちに、店内放送で、赤ちゃん確保の情報が流れる。どうやら、瞬時に来た道を逆走し、駐車場で泣いていたらしい。重ね重ね真っ青だった。

パン屋さんの前を通れば、突然、店先のフランスパンを掴んで、それを小脇に抱えていきなりダッシュする。これが、追いつけない。2歳児だ。しまいに「待ってー」って言いながら泣き笑いしてる。

ちなみに息子は、高校生になってラグビーではなく、陸上選手になっている。

新幹線に乗った時は、泣くでもなく、ただキーっという電波のような声を出し続けた。泣きそうなのは私の方だった。里帰りで、主人もおらず、前席の母娘に「何かおやつでもあげれば」と囁かれているのが聞こえる。
結局、見かねた車掌さんに導かれ、誰も乗っていないグリーン車を貸し切らせてもらった。もちろん私達だけなのに、角の席で息子を抱えて、縮こまっていた。


***

それでも息子は間違いなく、私の天使だった。
カタコトでしゃべる言葉のチョイス、トーン、不思議な天使のパワーがあった。

それは、私も私の母からよく聞く。
病気の時、こんなこと言ってくれたんだよ、と。積み木を紙で包んで、お見舞いって枕元に置いてくれたんだよ、と。

私も、同じようなことを、フランスパンを小脇に抱えて逃走した天使に言ってもらい、何度も救われた。


***

『愛』というのは、微笑ましい、穏やかな、慈愛、というイメージがあるけれど、親子でも、恋人同士でも、夫婦でも、喧嘩したり、失望したり、泣き叫んだり、することも含めて、全て『愛』なのではないだろうか。

人間だから。

そう言ったぶつかり合いの後に、凝縮した汁のような感情が残る。
それは、苦かったり、酸っぱかったり、決して甘くおいしい汁とは言えない。
若いうちは、思い出しては、胃酸のように胸に上がってきて、辛く感じるかもしれない。

でも、心に汁があることは、人間らしい感情が『愛』があるということなのではないだろうか。

感情の凝縮した汁を、ちびりちびりと喉元に戻して、懐かしがりながら、苦笑いしながら、味わえる時が来る。

心の中が時に枯れてしまうことがある。幸とも不幸ともなく、乾いて何かを欲するほどでもなく。

若くて、怖がったり、疑ったりするからこその感情は、人間らしい。

人生の道を、ここまでやって来て、そんなことを思う。


***

私の宝物の一つが動画だ。

2013年にiPadを持ち始めて、クロアチアの留学生と撮った記念撮影から始まって、2017年1月からは、時々旅行、あとは今4歳の孫のお宝動画で埋め尽くされている。

うーん、幸せの汁が湧いてくる。これから、ファミリーが増えて、今は想像もできない光景を、いっぱい動画に残していこう。

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