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「るるのるにる」という言葉

 まだヒートテックもコートも要らなかった、昨年の夏の名残りが濃厚な頃から、小説もブログも、なにもかもが生まれなくなってしまった。
 ちょうど夜道を駆け抜けていく冷たい風のように、手のひらの中でだらりだらりとすべてがこぼれ落ちていく。暑いから溶けていたわけじゃなかった。冬がひと季節がんばり続けてくれたけれど、あるのは時間が解決させられない絶望だった。

 一年半前、小説を書いた。
 これまでのどの小説よりもいいものを書ききるんだ! と意気込んで幾度も書きなおしプロットを組みなおす。それをひたすら繰り返していたら膨大なボツでテキストファイルが散らかって、本文の二倍か三倍にもおよんだ。

 執念・執着ともいえるそれらを経た結果、未熟ながらも自分の中でもっともしっくり来る小説が生み出せた。
 これまでの何よりも気持ちがよかった。

 一度きもちよくなると欲が生まれる。
 これよりもっと良いものを書かなければと、また小説を書いた。前作とはまた違う書き方をして、得意なものだけでごまかせないように。また、前作で掴みかけたものを己のものにするために。より良いものか、挑戦的なものでなければダメで、いちばんなのはより良くて挑戦的なものだった。
 得意だけではない執筆で、残念ながら手放しに喜べるようなものにはならなかったが、それでもたいせつな小説になった。
 自分の中にある命のテーマを、ほんのちょびっと指で挟めた気がした。

 だけど、それからぱったり書けなくなった。
 なんとなく自分の中で小説を書くことについて、腑に落ちてしまったのだと思う。わからないことがわからなくなってしまった。それまでどういう風に書いていたかも、どういう風に見つけていたのかも。
 追い求めていたはずのテーマは、なんか散り散りになって秋の風で軽やかに飛んでいった。

 それから、ぼうっと過ごすだけではいけない! きっと書けないのは本を読み足りないからだ! とおもむろに積読に手を伸ばしてみた。
 合評会がすぐそこまで迫っていたから、わかりやすく焦っていた。よりおもしろいものを、そうでなければより挑戦的なものを、最高なのはどちらでもあって、せめてどっちかでなければダメだった。
 それができないのならば死んだ方がマシだ。

 褒められるようなことのないこれまでだった。母のすねをとうもろこしみたいにかじって腹を満たして、太陽に当てられると眠くなった。
 だから必ず死に至るほどやらないと、なんにもならない。もとが怠けものだから仕方がない。

 本を読むときには必ずひとつやふたつ、その内容から会得してやる気概で挑んだ。だからとにかく時間がかかった。シーグラスにも似たその小説の意味や意図を、血眼になってかき集めた。
 結果血まみれの小説を提出することができたけれど、術後そのままに拭うこともできずベッタベタなままの体だった。平易に表現するなら突貫工事というのがふさわしいだろう。

 そんなだから血しぶきで目がやられてしまって、なにも見えなくなった。自分を圧搾機にかけたような小説を生み出したいのに、もうすべてがわからなくなってしまって、本当に書けなくなった。

 それでも合評会さえあれば、約束があれば書ききれると過信した。心の底から尊敬している相手だ、恥をさらすわけにはいかなかった。なのに書けなかったから、貯めていた短歌を持っていくはめになった。短歌を贖宥状にしてはいけないけれど、友だちは許してくれた。

 恥ずかしかった。できないことをさらけ出すのは生きていくより怖い。
 挙げ句の果てに涙が流れ出した。快晴が窓から覗ける爽やかなカフェで。
 心優しい彼女が対等な立場で批評をし合ってくれているのに、まるでそれにさめざめと傷ついてみせるようで、私が気持ち悪かった。彼女は私の手を握って、言葉ひとつひとつをていねいに拾って返してくれた。嗚咽を漏らしていたくせに、私はやけに冷静で「困らせているな」と彼女の言動を見ていた。

 しばらくして、私たちは「意味を作品に求めすぎてしまうんだね」と結論づけた。すとんと体の中へ落ちてきたので正解なのだと思う。

 そのやわらかな衝撃で涙がすっこんだ私に、ローズヒップティーを飲み干しながら彼女は言った。
「つまり、バブリング創世記だよ」

 筒井康隆のバブリング創世記、ことばの音で紡がれまくった短編。勧められるがままに冒頭へ目を通した。
 そのときの私の力が抜けすぎてだるんだるんになったツラを、見た彼女の表情といったら。

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