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それでも、日本人は「戦争」を選ぶのか?

今年は、戦後79年。
私の祖母は、昭和10年生まれで89歳です。
戦争の話はほとんど聞いたことはありませんでしたが、
昨年、原爆による黒い雨を浴びた話を聞き、
改めて戦争の恐ろしさ、今生きていることの有難さを感じました。

世界に目を転じると、戦争やテロが跋扈し、
各国首脳の暗殺未遂や事故死など不安定な情勢が続きます。
加えて、日本を取り巻く環境も、安定する見通しはありません。

そんな中、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子、2009)
を久しぶりに読みました。
なぜ日本は、あのような戦争を起こしてしまったのか。
我々は、あの経験から何を学べるのか。
改めて少し考えてみようと思います。

そのことを歴史に学んで知っていたボリシェビキは、ロシア革命を進めていくにあたってどうしたか。これは、レーニンの後継者として誰を選ぶかという問題のときにとられた選択です。ナポレオンのような軍事的なカリスマを選んでしまうと、フランス革命の終末がそうだったように、革命が変質してしまう。ならばということで、レーニンが死んだとき、軍事的なカリスマ性を持っていたトロッキーではなく、国内に向けた支配をきっちりやりそうな人、ということでスターリンを後継者として選んでしまうのです。

P.62

革命を遂行しようとしたがためにスターリンを選んだ。
結果として、スターリンがしたことは、独裁政治であった。
この歴史から我々が導き出せることは、果たして何でしょうか。

日清戦争後、日本は台湾を植民地として獲得するのですが、そこに官庁ができて、日本人が行く。その数には驚かされました。小学校の先生、農業試験 場などの技師、裁判所の裁判官、警察官、そして軍人も。太平洋戦争が終結したときの数字でいえば、台湾総督府には、四万三八七○名の日本人官僚がいました。官僚のポストの数からいえば、これはかなり大きな数です。だから市場拡大とともに、福沢がいったのは、「今こそ民党は新たな植民地を獲得して、そこで官僚という、いままで自分たちが食い込めなかった行政に食い込め」ということなのです。これが、自由党などが戦争に対して議会でそれほど強く抵抗しなかった理由の一つです。

P.121

自由民権運動をしていた者たちが、心の底から納得して運動に参加していたのか。
「尊皇攘夷」を掲げていた者たちが、心の底から納得して運動に参加していたのか。
結局のところ、自分が可愛いのが人間の本質なのではないだろうか。

私が、こうした中国の政府内の議論を見ていて感心するのは、「政治」がきちんとあるということです。日本のように軍の課長級の若手の人々が考えた作戦計画が、これも若手の各省庁の課長級の人々との会議で形式が整えられ、ひょいと閣議にかけられて、そこではあまり実質的な議論もなく、御前会議でも形式的な問答で終わる。こういう日本的な形式主義ではなく、胡適の場合、三年はやられる、しかし、そうでもしなければアメリカとソビエトは極東に介入してこない、との暗い覚悟を明らかにしている。一九三五年の時点での予測ですよ。なのに四五年までの実際の歴史の流れを正確に言い当てている文章だと思います。

P.327

今も日本は形式主義なのではないだろうか。
たくさんのハンコが並ぶ起案。中身にどれだけ興味があるのか。
意味(中身)のある仕事がどれだけできているだろうか。


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