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日々つれづれ

楽しみな休暇

さて、明日からちょっと飛び石ですが、お休みです。
美術展への予定2件、ちょっとした集まり1件、コンサート1件。
とりあえず書き始めたnote記事、立ち止まっての投稿の内容確認と
今後どんな書き物をメインにするか検討の期間と考えています。

展覧会つながりでちょっと美術館および「展覧会」の話。
小さな頃風変わりな絵画教室に通っていたので、
いわゆる展覧会、数えきれないほど見ています。
長じて学芸の資格も取りました。
こちらの道に進みたいと夢みたものの自分の能力の限界をさとり雇われ会社員を続けています。

今、日本全国、美術館的な「箱」があります。
「箱」および「行政問題」は専門領域の方、問題提起かれこれ20年前からされています。残念ながら、議論は進んでいないように見受けられます…。
同時に現在バブル前後に多く建てられた「箱」(ここでは美術館)、建物の老朽化が問題になっています。
そして同時に一向に進歩ない「箱」活用問題。
そして「箱」を運営する行政問題、および日本独特の大手メディア新聞社主催の大規模展覧会企画、行き詰まりを見せ始めています。

私も充分な恩恵にあずかった「大規模企画展」。
現地たずねないと見られない作品との出会いたくさんありました。
こんなに企画展多い東京バンザイ。
今大手メディア主導の大規模企画、決まっているもの以外どうやって運営していくか未来はかなり不透明です。
ご存じのような大手スポンサー、新聞・代理店状況ですからね。
昭和の時代の「おまけ/特典サービス」と認識していたただの入場券のばらまき、そのバラマキを元にした「行ってみるか」の入場者数、数を頼みにするのみの広報、みんな行っているから平均はなぞっていきたい「中流意識」。

きっかけとしての役割はすでに終わったと考えています。
緩やかに時代はかわっていたのに「大勢」を意識する考え方、日本における特徴的な文化ととらえますが、ますますコロナで顕在した「世間」という名のマス。

大きな組織は変化にタイムリーについていけない。
大きくなると鈍くなることは、ある一定の期間で名前があがる財閥系企業の数々の企業不祥事件が証明しています。
ようやく内部で処理されることはなくなった、でも一定周期で繰り返される
不祥事報道。
昭和の時代、大手会社とメディアは色々お互いの利益に貢献しあいました。
(メディアは自分たちがほぼコントロールできていた情報提供を通じての大衆への発信、大手企業はそこに対する出資。)
つながりだけで回っていた社会が、
個人が知ることができ、情報発信ができるような社会に変わりました。
という視点からいうと、「箱」問題にかかわる行政。
未だ頑固にかわらないのは政治の世界、突然ですが、みなさん、投票に行きましょう。

大衆を動かすことはルーティン作業ではできなくなりました。
「大衆」という考え方もすでに消滅しつつあるかもしれません。
今回の美術展でいうと、支えていた資本の体力なくなれば「余剰」認定された部門を削減することになります。
まずは削減を考えるのが大手です。
それも時代遅れなのだけれど。
「利益追求」のみではまわらないこと、個々人が気づきつつあります。

またこのところのコロナ影響で、国内の外出、国外のやりとりかなり制限されました。動きが制限されると近代の経済は止まります。
私も当たり前のように行っていた「見たい展覧会をタグから選ぶ」ことから
「改めて何を見るか」「何を選ぶか」をより精査しないといけません。

これに伴い「箱(ここでは美術館など)」の体制の見直しも必要になります。箱の状況は実態かなり悲惨です。
行政が関連するだけに大手メディアのよりさらに世の中の状況に数倍遅れをとっています。まったくついていけていません。
「多数決」を原則としているので、分母を増やせば安心でした。
そこで、もう一度、投票に行きましょう。
不自然なほどの議員数(国会はもとより地方自治体)を改善するために今ある多数決の力を使いましょう。
自分の感覚で選びましょう。

生活は信用できない報道を見る限り、今のところ充足しているようです。
そのうえでの文化活動(大雑把なくくりです。ここでは展覧会)は食などとは違い余暇、また個人の興味のうえに成り立つ領域です。
これから「マス」は正でない世の中の到来です。
今はまだ昭和世代の高齢者のおかげで寿命が延びているだけの状況です。

せっかくの休暇の前に、ちょっと偉そうに将来を憂いてしまいました。
ここからは切り替えて楽しみに邁進。
生命力回復に努めます。

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