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初学者の勉強法とは・・・

大学時代にとある教授から質問を受けた。

『この分野を勉強する上で、どんな書物で君たちは勉強すればよいか?』
はい、そこの君!と指名されて、ドキッとした。

その時、『わかりやすい本です!』と大きく、うわずった声で返事をした。

すると、教授は、『正書だよ!1ページ目から正書を読みなさい。これだからレベルの低い生徒は・・・』と言われてしまい。赤面した記憶がある。

大学時代の当時、それほど勤勉ではなかったが、医学に興味はあったので授業は極力サボらず出席率は高かった。しかし、外見は一般の大学生と比較すると、服装、髪の色などはやや派手で医学生としては浮いていた。

そういった、外見的なバイアスもあり『レベルが低い』とまで言われてしまったかもしれないが、本当にこの自分の発言はレベルが低いとはいまだに思っていない。

今も大学病院の医局に所属し、専門医を取得し、論文も書いて博士号も取得したが、どのタイミングも『勉強する楽しさ』を忘れてはいない。

専門医試験の勉強をするにしても、どうしたら自分が興味を持てるか?を考え、勉強法の工夫をした。そして、専門医を取得したら、患者さんへの診療の幅が広がり、それは診療の楽しさとしてかえってくるだろうと考えて勉強した。

博士論文に関しても、この論文を読んだ人がどう感じて、どういう感想を持ってくれるか?ということを想像するとワクワクした。

今は手術が成功するためのプランニングをしっかり行い、そのプランを遂行し、実際に患者さんの症状が良くなり、還元できた時にはすごい喜びを覚える。その喜びが楽しさであるから、プランニングを行うことも楽しくできる。

どのフェイズにおいてもやはり『楽しさ』というものは必要である。ちゃんと楽しくないと続けることはできない。楽しいから続けることができるし、勝手に続いてしまいその行動は習慣化されていくのだ。

初学者が何か新しいことを学ぶときというのは、つらいものだ。

このつらいという感情を打破できるのが、楽しさなのだ。

私が、教授からの質問に『わかりやすい本』といったのは、初学者である自分が、楽しさを味わうためにはわかりやすくその分野に興味を持てるため本という意味なのである。

論文を書いていると、正書は本当に大切である。エビデンスが蓄積されてもはやその分野では常識となったことが書かれている本であり、その本を参考し、文章を記載したり発表することは大切である。しかし、それは1ページ目から読破するものではなく、辞書ととしてデスクの傍に置き、索引から言葉を調べてかいつまんで参考にする本である。

私はこれからもわかりやすい本で勉強し、そこから専門書へと繋げ勉強をし続けるという習慣を生涯していきたい。

わかりやすい本から勉強をはじめ、まずは重い腰を持ち上げ、ゼロをイチにするという大きな一歩を踏み出すということが最も大切なんだ!!

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