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初投稿 『おいしいごはんが食べられますように』を読んだ。




  • ネタバレが有ります

  • 細かいセリフとか違うかも




【あらすじ】


職場小説。
主人公は男性で二谷という。


二谷と交際している後輩の芦川は可愛げがあり仕事ができない。
健康な生活が好きで二谷にもそれを求める。料理を二谷に作ったり職場にお菓子を作ってくる。


同じく後輩の押尾は可愛げは特にないけど仕事ができる。芦川が仕事ができないので甘やかされていることを不満に思っている。
芦川のしわ寄せで二谷と残業をしている。


芦川について不満があるふたりは芦川にいやがらせをする約束をする。




【感想】


読みやすい文体で職場内の空気とかがわかりやすく面白い。高瀬隼子の他の作品も読みたくなった。

本作については登場人物3人のおいしいごはん論を煮詰めていく小説だと思う。
「おいしいごはん」って人によって違うなと考えさせられた。




「正しい」芦川に何も言わない二谷。変わらない関係。



まず仕事で疲れているから自炊したくない二谷と、頑なに料理する芦川が対称的で面白い。


芦川はめんどくさければお味噌汁だけでも作りましょう!と言うが二谷にとってはそれもめんどくさい。

二谷も頑ななので、芦川の手料理を食べたあとに1人でむしゃくしゃしてカップ麺を食べたりする。


二谷は自分の食を大切にしない思考も受け入れて欲しいと思っているが芦川には伝わらない。何となく伝わってはいたとしても芦川には理解できないし共感できなくて行動は変わらない気がする。


ほんとに芦川に態度を変えてほしいならしっかりと意思表明すべきなんだろうけど、二谷はニヒリズム的なところがあり、事を荒立てたくないか端から諦めているのでそれをしない。


なので、二谷は芦川の手料理を「おいしい」と言いつつも、そう言わざるを得ない状況を作ってくる芦川のおいしいごはん論の正しさに苛立ちすら覚えているという両価的な状態である。


苛立ちはますます加速し芦川の作った菓子を捨てたり、終盤ではついに芦川に「(おいしいと褒められて)ほんまにうれしいんかそれ」と問うが、その場面でも芦川のケーキを口いっぱいに詰め込んでいるので不明瞭で芦川に届いたかすら分からない。芦川は「え?」と笑い返すだけだ。そもそも届いていても芦川は聞こえなかった振りをするかもしれない。だから芦川の態度も変わらずに2人は平行線を辿る。




「正しい」に流されない押尾の生き方は損?


作中で芦川の捨てられたお菓子によって騒動が起こる。
犯人は二谷だが、押尾が犯人に仕立て上げられてしまう。



押尾は二谷とふたりで鴨鍋の店に行くシーンで、


「おいしいって人と共有し合うのが、自分はすごく苦手」「(共有し合う必要が無いから)二谷さんと食べるごはんはおいしい」と言う。

押尾と二谷は根っこの部分で似ているところがあるように思う。



お菓子を捨てた件で上司に詰められ、押尾はさすがに精神的に追い詰められる。



嘔気をも催し自席でじっとしているが、すぐに「吐くほどでもなかったです。」と口にする。


この一件でクビになった時も「送別会には私は行きません。最後に嫌味を言ってやろうとかではなく、本当に偏頭痛が出てしまって、みなさんもその方がいいんじゃないかと思います。」などと正直に言う。


押尾は芦川の仕事のできなさも諦めるのではなく他の社員と同じように扱い仕事を振り分ける。職場の流れに逆らってでも意思表示するタイプなのだ。


結局クビになったのは仕事ができない芦川でもなく犯人の二谷でもなく押尾であり、結局こういうタイプが損をするんだなと思われるかもしれない。


しかし二谷は「わたし、毎日、おいしいごはん作りますね」という芦川に何も言えないまま、手料理の後にカップラーメンを食べ、太り始めた身体を抱えている。結婚の話すら出ている。


芦川も芦川で二谷にはお菓子を捨てられ(省略したが二谷と押尾以外の他の職員の中にも1人捨てている人がいた)、手料理は喜ばれず、薄々と二谷の気持ちに気づきつつも自分を変えられない。


芦川が二谷と二人で「おいしいごはんが食べられますように」と祈ったところでそれは空回りで虚しいだけだ。

騒動を経て転職した押尾はおいしいごはんが食べられるのかもしれない。



最後に。


読了し、改めて本を見返すとタイトルと本のカバーから受ける『嗜好のあった登場人物たちが和やかに食を楽しむ物語』という勝手なイメージに本編が反しすぎていて面白かった。


二谷と押尾の主観はあるけれど芦川の主観はないのだが、もし芦川主観で一貫していればタイトルや本のカバーのイメージ通りのほんわかストーリーに近くなっていたかもしれないと想像するのもまた面白い。


食事だけに言えることではないが価値観を押し付けることや、逆に価値観を何も語らないというのもどんどん流されてしまって良くないなと思わされた。


建前の「おいしい」や義理で口にする「おいしい」もあっていいかもしれないが、それが日々の義務になると辛い。


そして芦川のように自分が世間で言う「正しい」〜論を持っていたとしても、その正しさを武器に当たり前のように語らないように気をつけようと思った。



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