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正義は悪なのか、善なのか?舞台裏ででき上がった名前入りの足跡。

昔々、とある町に凶悪と言われる一人の男が現れました。
男は生まれてから一度も髪を切ったことがなく、その時代でも珍しいほどの長髪でした。

男は一人の女性に恋をして、その女性が住む町で結婚をします。
祝いの席には彼女が住む町の人々30人を招待して、ごちそうをふるまいました。それはそれは楽しい宴になるはずでした。

しかし、突然、男は賭け事をしようと言いだし、その場の空気は一変します。

『この謎を解くことができれば、あなたがた30人全員に対して高価で上質な亜麻布をプレゼントします。解くのは簡単なはずです。私の町では、子どもでも分かる。こんなに簡単な問題を解くことができないのなら、あなたがたには知恵がなく、教養もないということでしょう。己の無知を認めて、この私に亜麻布を捧げてください。高価で上質な亜麻布を3日後までに用意しておいてください。答えが分からないのであればね。』

彼らは怒りに震えながらも、なんとか謎を解こうとしますが、答えは全く出てきません。町の人々のプライドが男の挑戦を断ることを赦しませんでした。刻々と起源の3日後も迫ってきます。

町の人々は男の妻を呼び出して強硬手段に出ます。答えを教えろと迫りだしたのです。さもなければ、お前の両親と家を焼き殺すと。男の妻は泣きながら懇願し、町の人々に答えを教えました。

そして、期限の当日。
町の人々は妻から聞き出した答えを男に突きつけ、勝ち誇った気分で言い放ちました。
『どうだ、とんだ見当違いだっただろう?我々に対する侮辱を後悔するんだな。亜麻布を用意するのは貴様のほうだ。』

男は言います。

『分かりました。亜麻布を持ってきます。しばらくお待ちください。』

男はその場を去り、数キロ離れた集落に向かいました。そして、そこに住んでいた30人の着ていた亜麻布を奪って全員を殴り殺します。
血まみれになった30人分の亜麻布を手に町に戻り、町の人々に差し出しました。町の人々は恐怖で青ざめました。

この一件のあと、男はゲームに負けたことに腹を立てて自分の町に戻ります。妻の両親は、事態を知ったことで婚姻をなかったこととし娘を宴会にいた30人の中のうちの男と結婚させました。
もう戻ることはないだろうと思っていたのもつかの間、まるではじめからみていたかのように男が再び突然町に現われ、妻だった女とその両親を殺害して家ごと火をつけました。

男が現れてからこの町は呪いにかかったようです。

男は復讐心を頂くようになり、次々に町の人々を虐殺していきました。
殺害された人数は1000人にも及びました。

町の人々は、男を次第に恐れるようになり、どうにかして男を退治しようと売春婦を使って男の弱点を探りはじめたことで、男の特殊な能力に気づきはじめます。どうやら男には神の力が宿っていて、髪を切ることでその力を失うようです。早速、町の人々は売春婦の膝で眠っている間男に忍び寄り、男の長い髪を切りました。気づいた男は怒り狂いましたが、力が全く出てきません。町の大勢の人々が男を取り押さえて男を牢屋に投獄しました。

そうして、男は奴隷となって町のために働かされるようになりました。
髪の毛がゆっくりと伸びていくことで男は力を少しずつ取り戻しましたが、町の人々は、この力を利用して巨大な臼を引く重労働をさせました。男の力はあまりにも怪力で人間離れしていたので、今度は男を町の見世物にしようとし町の大きな神殿でショーをはじめたのです。サーカスの動物が演じるショーのように。
多くの人々が訪れましたが、男はこの町の多くの人々を殺した殺人犯です。
殺された人々の家族や友人たちや男を笑い飛ばしました。我々の同胞を殺した罪は重い。当然の仕打ちだ、と。

男は少し休ませてほしいと頼み、腰を下ろします。
そして、目を閉じて神に祈りました。『わたしは彼らと一緒に死にます』と。すると、力がみなぎり、怨念と化したサムソンはその神殿の大きな2本の柱を掴み破壊しました。神殿は一瞬で倒壊し、そこにいた町の人々を道連れに男も死にました。神殿で死んだ人の数は男が殺害した数よりも多かったと言われています。

悪人は逮捕して牢屋に入れて更生させるというのは、現代でも通じるところですが、果たしてそれが一番の解決だったのでしょうか?しかし、男を放っておいても虐殺は進んでいたことでしょう。町の人々の性格から見ても男のゲームを断る選択肢はなかったようです。


それとも、男はこの町の人々を裁くために現われた神の使者だったということでしょうか?

この話は聖書に出てくるサムソンをモデルにしています。サムソンという名前には「太陽の(人)」という意味も込められているそうです。


このサムソンはイスラエルの失われた12支族であるダン族の末裔と言われています。民生記によると、ダン族ユダ族に次いで2番目に大きく、やがて王権を持つ部族となりました。ヨシュアの時代の後、紀元前1050年に最初のイスラエル王国が形成されるまで、ダン部族はイスラエル部族の穏やかな連合体の一部でした。中央政府は存在せず、危機の時には士師と呼ばれるその場限りの指導者が民を率いていたとされています。

ダンの系統図はこんな感じです😀ヤコブの子ですね。母はラケルの奴隷だったようです。

実は、このダン族はイギリスやアイルランドを征服した民族ではないかと言われているのです。そのため、アングロサクソン主義(白人至上主義)では、ダン族を根拠にイギリスの先祖はイスラエル人だと主張しています。さらに「十二族長の遺訓」では、ダン族から反キリスト教が誕生すると記されているようです。

ダン族の痕跡


古代アイルランドの年代記で "トゥアサ・デー・ダナン"と呼ばれる人種が存在し、失われたダン族はここから生まれました。

聖書に書かれているダンは、『なぜダンは船のかたわらにとどまったのか。士師記5:17』とあり、この一文はダン族は航海技術をもっていたとも言われています。そして、古代の海の民は航海者の先祖を敬う伝統があり、彼らは征服した新しい土地や神話の登場人物の名前を変え、また彼らを乗せた船そのものに言語、法律、歴史を持ち込みました。

まず、ダン族は、ダンの休息地を意味する彼らの名を冠した地名に、汝の道標を定めていることがわかります。この地理学は、紀元前585年頃、「トゥアサ・デー・ダナン人」(ダン族)が乗った船がアイルランドアルスターに上陸したという古代アイルランドの歴史に対応しています。年表によると、アイルランドへの航海の積荷の中に大きな長方形の石があり、スペイン沿岸で船が一時航行不能になった後、スペイン王がその石を手に入れようとしたが、王は失敗し、石の守護者であるトゥアサ・デー・ダナン人(Tuatha-da-Danans)スペインを脱出し、北アイルランドの美しい海岸に上陸したといわれいます。※彼らの石は、フリーメーソンとも関係が深いのですが、今回は長くなるので割愛させて頂きます。

ちょうど前回の記事で、ケルト人の発祥に関して

西からやってきた」というのは、ケルト人DNA的に考えるとイベリア半島にも多くいたとされますので、イベリア半島からやってきたか、もしくはイギリス➡イベリア半島の西からやってきたヤギ信仰集団とも考えられます。

と書いていたんですが、(スペインが含まれている)イベリア半島からの移動で結論が出そうです。ですので、ケルト人の中にダン族がいたと言えます。

アイルランドの歴史家トーマス・ムーアは、トゥアサ・デー・ダナンダン族)は「ギリシャにしばらく滞在した後、そこからデンマークノルウェーに向かった」と考えているようです。


●地名
古代のアイルランドの人々はいくつかの方法で先祖を称えてきましたが、先に述べたように、その主な方法は、彼らが支配する地理的な場所に名前をつけることであり、例えば、彼らが「ドネガル」と名づけた郡にあるティルコネール市が代表的です。

ドンまたはダン(don or dan)」と「エガル(egal)」という単語からなるこのドネガルという複合語には、北アイルランドの古代史に正式に刻み込まれている「トゥアサ・デー・ダナン(Tuatha-da-Danans)」と呼ばれる失われたダン族の名前を見つけることができます。

ゲール語のDonは英語のDanでもあり、彼らの領土であるドニゴールには、ダン族を称える意味が込められています。古代より、ダン、ドン、ドムという名前は、アイルランド、スコットランド、イングランドにおいて、学識のある者や賢い者に与えられる尊敬の称号でもありました。

例えば、スコットランドの言葉では、ドミニは「校長」であり、ラテン語ではドミヌス領主、主人であり、支配、支配権、支配者、支配の語源となりました。同様にスペイン語では、ドンは "Sir or Master "に相当する称号です。これは、カトリックのベネディクト会司祭職のDomと同じ称号でもあり、最初は修道士にのみ適用されましたが、その後、あらゆる立派な職業の人に拡大されたそうです。


そういえば、ドルイドにも【ド】が使われていますね。日本でも政界のドンというような使われ方もしています😀壇上のダンや男性の男もダンと読み方もできますね。日本にもダン族の形跡があったのでしょうか?😀

ちなみにドネガルの「エガル(egal)」の意味はフランス語「egal」によると、「等しい」という意味になります。従って、ダン人の領土はドネガル郡であり、【ダンに等しい郡または州】という意味になります。

ダン族に関する研究は他にも数多くあるようです。
作家のジェフリー・キーティング(1570年頃、1646年)は、ダン族偉大な学識と富を持つ人々であり、アッシリア人との戦いの後にギリシャを離れ、アイルランドに行き、またダンマルクにも行ったことで、「ダンの国(DAN-mares)と呼ばれるようになったと主張しています。

また『The Essential Teachings of Herbert W. Armstrong』によれば、ダン族は彼らのシンボルである蛇の道しるべ「ダンスロー」、「ダンサワー」、「ダンダルケ」、「ダンドラム」、「ドニゴール湾」、「ドニゴール市」、「ダングロー」、「ロンドンデリー」、「ディングル」に残していると書かれています。

デンマークのデンダン族の名前から来ているとも言われています。
デンマークは文字どおり「ダンの印」または「辺境」を意味になり、その国民はデーン人と呼ばれています。古代の歴史では、彼らの祖先はダンであったと言われているそうで、ダンの子孫の多くがデンマークに定住したとも。

聖書の中のダンとシンボル

聖書の中のダンは軍の勢力も大きいことが読み取れます。桁が変わりますね😅

「ダンの子らの隊長はアンミシャダイの子アヒエゼルである。その軍勢と、そのうちの数えられた者は、三千二百七十人であった。アシェルの子らの隊長はオクランの子パギエルとする。その軍勢と、そのうちの数えられた者は、四十人と千五百人であった。次にナフタリの部族は、ナフタリの子らの隊長はエナンの子アヒラとする。その軍勢とそのうちの数えられた者は五万と三千四百であった。ダンの陣営で数えられた者は、すべて十万五千と七千六百であった。彼らはその旗をもって一番うしろに行く。イスラエルの子孫のうち、その先祖の家ごとに数えられた者は、すべて六十万と三千と五百五十であった。

(民数記2:25-32)

ユダヤ人の支族にはそれぞれシンボルがあるようで、ダン族のシンボル(紋章)が有名ですが、他にも天秤もあります。それぞれの解説を見てみましょう。

●鷲
鷲はの陣営の長であったダンの印であり、4大シンボルのもう1つであります。鷲は蛇と組み合わされることもあり、蛇を鷲の爪で掴んだり、ワイバーンのような蛇のような体を持つ鷲とのハイブリッドの動物として表されることもあります。

ワイバーン

まるでドラゴンにも見えますね👀そういえば、日本にも竜蛇神というものがありますが、同じイメージでしょうか??

●馬と蛇
蛇は、ダンが行く先々に毒蛇の跡を残すというヤコブの預言の最初の部分でもあります。

ダン道ばたの蛇道ばたの蝮となり、のかかとを噛むので、その乗り手は後ろに倒れる。

創世記49:17

彼らののいななきはダンから聞こえてくる。彼らの強い馬の声によって全地は震う。彼らは来て、この地と、ここにあるすべてのもの、町と、そのうちに住む者とを食い滅ぼす。

エレミヤ書8:16

●天秤
ダンはヘブライ語で裁判官を意味します。そして、ダンがその民を裁くという預言に由来します。

ダンはイスラエルの部族のひとりとして、その民をさばく。

創世記49:16

見よ、魔法をもってならすことのできない、へびや、まむしをあなたがたのうちにつかわす。それはあなたがたをかむ、と主(神)は言われる。

エレミヤ書8:17

ちなみにダンはヤコブの5番目の子どもでしたが、数秘術ではという数字は『変化』として解釈されることが多いです。変化は神の正義であると前回の記事にも書かせて頂きました。正義の『』も5画ですね。

そこで、最初のサムソンの話をもう一度思い出していただき、最後にもう一度質問をして今日は終わろうと思います。

サムソンは類稀な極悪非道な凶悪犯だったのか、それとも町の人々を裁くために現われた神の使者だったのか?

あなたはどちらだと思いますか?


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