石丸構文ってそもそもフランス現代思想構文なんじゃね?

「『前提が正しくない』」

これってまさに私が、あの連中、要するにフランス現代思想系の連中にいわれ続けてきたことなんですよね。
そして連中はこの台詞をいったあと、ひとを出汁にした詰将棋みたいな話を延々繰り返すわけです。
そもそも彼らは、「『前提が正しくない』」なんていい方、していなかったのでは? なんて〝すっ惚け〟もこっちとしてはもうウンザリなのですが、いやいや、あの連中のいい方は確かに、そういった断定的で、高圧的で、権威主義的で、いまでいう「パワハラモラハラ」モンないい方ばっかでしたよ。
「問いの立て方自体が間違っている」、なんて台詞もありましたっけ? 出現頻度はこっちのほうがむしろ高かったでしょうか。
とはいえ会話のうえでの使われ方は、どっちにしたって変わらないような使われ方でしたけどね。

私:前提が正しくないって、一体どういった点が正しくないんですか?
仏:エッ? そんなことも解らないんですか?

「質問に質問で返す」なんてやり方も、まさにあの連中の常套手段でした。

フランス現代思想系の連中──。

さらにこちら側がこういった言葉を使った時点で、またまたひとを出汁にした詰将棋が始まるということも、毎度毎度ほぼ確定的だったのです。
あの連中は逃げ口上までどいつもこいつも似たり寄ったりで、言葉としては多少ズレるところがあるのですが、たとえば、以下のような主張を適用するような感じだったでしょうか。

“ポストモダニスト”と言っても、人が自らを指して“ポストモダニスト”だ、と言っているのではないことに注意する必要がある。あくまで一部の評論家が“ポストモダニスト”と形容しただけのことである。

それでも参考までに“ポストモダニスト”を挙げるならば以下のようになる可能性はある。

デリダ、ラクー=ラバルト、ナンシー等を中心とする、脱構築を主とするデリディアン。
ランシエール、バディウ、バリバール等を中心とする、アルチュセールに強く影響を受けたアルチュセリアン。
フーコー、アガンベン、バトラー等の、生政治の歴史的展開の研究や、クィア理論、ジェンダーから現代批判を行なうフカルディアン。
ドゥルーズ、ガタリ、ネグリ等の近代的社会=経済システムに最も強い批判を投げかけるドゥルージアン。
他にロラン・バルトやバフチンらを経由しているクリステヴァ、ラカンの影響下にあるジジェク、ネオプラグマティズムのローティ、メディアに対する鋭い批判をなげかけるボードリヤール、キリスト教哲学の分野でジャン=リュック・マリオンなどがいる。
この人々のなかで自らの概念として「ポストモダン」を引き受けたのはリオタールだけである。フーコーやドゥルーズなどは、この言葉に強い嫌悪を表明した。

ポストモダン」『ウィキペディア』2024 年 7 月 13 日(土) 17:45 閲覧

そうはいっても「フーコーによると~」ですとか、「ドゥルーズによると~」ですとか、「フランスの最新のテクスト理論よると~」ですとか、主としてフランス系のビッグネームを持ちだし、そういった権威のゴリ押しをもって論証に換えるといったやり方を採ったのは、そもそも連中のほうなのです。にも拘わらずここでは、そういった諸権威に対する批判を受けるのは私たちの責任ではない、といってしまっているわけですよね?
本当に無責任だし、身勝手だし、御都合主義的だし、なんだか会話にならない感じですよね。

再たび〝石丸構文〟のほうに話を戻すと、石丸氏批判の背景には以下のような場面があったようなのですが、それらに関しても私の場合、あの連中に関する不快な記憶が思いだされてくることになるのです。

 日本テレビ公式ユーチューブチャンネルの選挙特番生配信に出演した石丸氏は、社会学者の古市憲寿氏からの質問に対して質問で返すなど、やり取りがかみ合わず気まずい空気が流れ、時間切れとなった。

 また「Mr.サンデー 都知事選SP」(フジテレビ系)でも司会の宮根誠司から心境を問われた石丸氏は「都民の総意が可視化されたというだけの現象ですね。メディアが注目されているのは候補個人がああだこうだという話でしかないので、実に些末な視点だなと一蹴しています」と回答。宮根が険しい表情を浮かべる場面もあった。

石丸伸二氏のかみ合わない〝石丸構文〟にアレルギー反応 あるコメンテーターは「共演したくない」2024 年 7 月 9 日(火) 06:00 配信

石丸氏、また古市氏、宮根氏の真意はともかく、これって私がいまムカムカしている文脈に当て嵌めて観れば、あの連中が一時期得意になって話していた〝リプレゼンテーションの問題〟とかいうヤツなんですよね。
前々回のアメリカ大統領選挙でのトランプ氏躍進の際にも感じたことなのですが、要するに、アメリカのラストベルトの白人男性たちのように、既存の代議制民主主義のもとでは〝誰にも代表してもらえていないひとたち〟が、常に一定数以上いるってことなんです。
上級国民の下流で保守のバラ撒きのお流れにあずることはできないし、かといってリベラルは女性、環境、ポリコレのことばっかいっていて、まさに「『女、子ども』(環境=地球を大切な子供たちにちゃんとバトンタッチしなければならない、なんていい方、よく聞きますよね?)」、それに人種・民族的マイノリティにしか優しくないし、などといった感じで、ここ日本では非上級男性全員? といったことになるのでしょうか? そういったひとたちは〝誰も代表していないがゆえに、誰にも代表されていないひとたちを代表し得るかもしれない〟ジョーカーに、一票投じるしかなかったのでしょう。
結果は当然、「『都民の総意が可視化されたというだけの現象ですね。メディアが注目されているのは候補個人がああだこうだという話でしかないので、実に些末な視点だな』」という話にしかなりません(石丸氏、ちゃんと応えていますよ)。
またもや真意はともかくとして、石丸氏の立ち位置からこの情況を概観すれば、〝これは私に対するイエスではなく、あなた方に対するノーだ〟、「恥を知れ、恥を!」ということにもなるのでしょう。
しかしそれ(=私に対するイエスではない)を問題の得票者本人にいわせようというのは、本当にとことん、「『雑なこと』」です。

勿論実際の情況はそのような理屈倒れの情況ではなくさらに深刻な情況なのでしょうが、とはいえ、『ルイ・ボナパルトのブリュメール 18 日』などという古い本を持ちだしてきてああだこうだと偉そうなことをいっていた連中は、いまこそ、『石丸伸二のブリュメール 18 日』を書かなければならないでしょう。
なのに未だに、〝現職と蓮舫さんとの一騎打ちになるかと思っていたのに~〟ですか? 〝もしトラはいくらなんでもないでしょう〟ですか?

もっとも〝『ブリュメール 18 日』なんて単なるルポで、現時点で理論的に何かを説明したり、何かを付加したりするようなものではありませんよ。ゆえに私たちは『石丸(氏)の 18 日』なんて書きません〟ということでしたら、私はそれでべつに構わないのですが、それならそれで、以前ベンヤミン、スピヴァクなどと絡め、〝あれは政治学の原理論になるかもしれない〟などといっていた点については、ちゃんと訂正しておいてくださいよね。

さらにいえば、以下のような問題もあります。

 岡村は頭のいい人ほどいろんなテクニックを持っているとした上で「今回も、自分が気づいたんは、一個話の途中で『フッ』て笑ったりしはるやん。あれって、もう絶対その人、笑った側がマウントとってる。『いや、あなたの言ってることおかしいんですよ』って。『質問されてることが、ちょっとおかしくて笑っちゃったんですけど』って言うんですけど…普通の会話してて、笑うことなんかないやん」と指摘。

 続けて「『こいつ、おかしなこと言うたな』と思って、笑うことなんかないんですよ。あれだからもう演技でしかないんですよ。『フッ』っていう。ある? 普段の会話で。おかしなこと言うたなと思って『フッ』。その場で止めたりするやん。『何なの、それ』ってなるけど」と会話中に鼻で笑う事の違和感を口にしていた。

岡村隆史 石丸伸二氏の〝構文〟に感心も…会話中の所作には違和感「あれ演技でしかない」2024 年 7 月 12 日(金) 17:45 配信

これこそまさに、あの連中のデフォルトの態度でした。

私:何がおかしいんですか?
仏:エッ? 自分でいっていて解らないんですか? もう少し勉強してきてくださいよ。

引用参照資料
石丸伸二氏のかみ合わない〝石丸構文〟にアレルギー反応 あるコメンテーターは「共演したくない」2024 年 7 月 9 日(火) 06:00 配信
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ポストモダン」『ウィキペディア』2024 年 7 月 13 日(土) 17:45 閲覧

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