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【お題:人工知能】忘れられない夏にして(3)

 翌日、氷堂は相変わらず葉月の横にピッタリついて、同じ速さで歩いていた。
 途中、あれはサルノコシカケというきのこだとか、昨日よりもフィトンチッドの分泌が高いとか、雑談らしい話をして氷堂は随分と楽しそうに見
えた。
 葉月の方は昨日の疲労も相まって、はしゃぐ気力はなかった。
 あとどれくらい歩くのだろうと思っていたとき、氷堂が突然立ち止まった。葉月が振り返ると、厚い眼鏡の奥からまっすぐ葉月を見下ろ
した。
「着きました」
 え? と葉月は前方を見るが、これまでと同じように苔の生えた幹が並んでいるだけだ。
「足元に気を付けてください。今度は落ちれば助かりません」
 そう言われ地面を見ると、数歩進んだ先に大穴が開いているのがわかった。
 葉月は注意深く穴に近づいていき、中を覗き込んだ。
「氷だ!」
 穴の底は一面氷漬けになっていた。所々地面から太い氷の柱が飛び出して、天に伸びている。
「氷穴です。この辺りの地面は溶岩でできています。富士山の雪解け水が流れ、溶岩の隙間を流れて洞穴に溜まり、冷やされてこのように

「うわぁ!」
 大きな振動が起こり、氷穴のなかを覗き込んでいた葉月はまたしても足を滑らせた。
 身体半分空中に投げ出され、内臓が浮いたような感覚があり、落ちる、と思った瞬間に強い力で引っ張られた。
 氷堂の大きな手に腕を掴まれ、穴の崖にぶら下がるかたちで十メートル程下方を見下ろした。固そうな氷の表面と聳え立つ氷柱を見て、
生唾を飲み込んだ。
 
 引き上げられて氷堂の膝の上に頭を乗せ仰向けになり、しばらく自分の心臓音を聞いていた。
「葉月さんの動きは……推測不能です」
 氷堂は眉根を寄せ、困ったような表情をしていた。
「一度失敗したことは学ぶ。それが人間らしさではないのですか」
「再現性が大事……じゃない? 研究者たるもの」
 葉月は顔を引きつらせて強がった。
 そのときまた振動が起きた。二人は氷穴の淵にしがみついて下を見下ろした。

「な、な」
 像ほど大きく、イグアナのような姿に、角が生え、赤い髭が伸び、白いたてがみの生えた生物が、氷柱の陰から歩いてきた。
「夏の魔物です」
「夏の魔物って、そういう意味じゃないですよね」
「見たことのない生物なので、つい」
「素直にわからないって言ってください」
 魔物は氷の上をのしのし歩いて、氷穴の真ん中まで来ると空を仰ぎ、ぶぉおおと咆哮を上げた。牙の並んだ魔物の口の間から靄が吐き出
され、氷穴に広がってゆく。
「熱風? 魔物は何をしているのでしょう。まったく理解不能です」
 頭のなかで前例を検索しているのだろうか。氷堂は機械のランプが点滅するように、何度も瞬きした。
 靄はやがて氷穴の中心から空に向かって立ち上っていき、濃い雲となった。
「積乱雲……」
 そのとき雲から、何か落ちてきた。それは雹のようなもので、氷床の上に無数に転がった。
「あれ、もしかして〝溶けない氷〟⁉」
「採取しましょう」
「正気⁉」
 魔物は氷床に顎をつけ、降ってきた粒を長い舌で器用に掬った。涎だろうか、粘ついた液体が氷の上に広がる。
 葉月はそれを見てうぇぇと顔をしかめた。
「好物を自分で生産できるとは効率のよい生き物ですね」
 氷堂は魔物の生態を記録するように何度も頷いた。
「あそこを見てください。氷穴に降りられそうな足場があります。私が取ってきますので、葉月さんはここにいてください」
「魔物に喰われたらどうするんですか」
「私が喰われることで、困る人はいません」
 氷堂はきっぱりと言った。
 葉月はむっとして、氷穴の足場に向かった。
「あたしが困ります」
「なぜ、困るのですか。葉月さんは生きる目的が見つかっていないのですから、無理をしないでください」
「氷堂さんって、あたしを怒らせる天才です」
 葉月は足を踏み鳴らして進んだ。
「怒らせるつもりはありませんでした」
 氷堂は慌てて、葉月のあとを追った。
二人は両手両足を使って、慎重に氷穴を降りた。
 二度あることは三度ある。葉月は最後の足場を踏み外して、氷床に尻もちをついた。
「いったぁ……」
 音に反応したのか、匂いに反応したのか、靄の向こうから、魔物が赤い目を葉月に向けた。葉月はひっ、と叫び、足をもつらせ魔物から
距離を取ろうとした。
 魔物は動くものを追う単純な生物のように、逃げ惑う葉月を見た。

「葉月さん、動かないで! 動きに反応するのかもしれません」
「動かないと、死ぬでしょ!」
 魔物は太く短い足を動かして、葉月に近づこうとした。
「いやぁー!」
「葉月さん、今助けます」
 氷堂はライトや風鈴、ラムネアイス……手当たり次第に物を投げて魔物の気を惹こうとした。しかし魔物は氷堂の方にはまるで興味を示
さない。
「なぜ……」
 氷堂は、足を滑らせて踊るように氷床の上を逃げる葉月をじっと見た。そして合点がいったように目を見開いた。
「葉月さん、氷塊の後ろに隠れてください! 音でも、動きでもない。魔物は熱源に反応しています!」
 葉月は傍の氷柱の陰に駆け込んだ。すると足元に、つるりとした丸い氷の粒が転がっているのを見つけた。それは明らかに、氷とは違っ
た。どちらかといえば飴玉のようで、光沢を放っている。
「これが〝溶けない氷〟……」
 〝溶けない氷〟は水色の一口大の粒だった。その瑞々しい色彩に葉月はどこか見覚えがあった。
「ラムネ……? あたしのラムネアイス!」
「なるほど、アルギン酸」
 氷堂が音もなく現れて、葉月の掌の上の〝溶けない氷〟を見た。
「アルギン酸。アイスやゼリーに含まれるアミノ酸。粘土があがり、溶けにくくなる……」
「アルギン酸が氷穴の氷を覆うと、〝溶けない氷〟になるってわけね!」
 葉月は目を輝かせた。
 そのときぶぅぅとくぐもった鼻息が聞え、氷柱のすぐ後ろまで魔物が近づいてきているのがわかった。
「葉月さん。〝溶けない氷〟をセンターに持ち帰り、私の代わりに研究を引き継げますか」
「氷堂さんはどうするの?」
 葉月は氷堂の顔を窺った。氷堂は相変わらず、変化の乏しい表情をしていた。
「魔物を惹きつけます。その間にあの崖を駆け上ってください」
「それじゃ……」
「どちらかしか助かりません。しかしこれが最も成功率が高い方法です。目的は〝溶けない氷〟を持ち帰ることです」
「確率を計算した癖にどうして、自分を犠牲にするの? どう計算したって、あたしが犠牲になるほうが、確実でしょう」
 葉月は氷堂をまっすぐ見た。
 どうして汗をかかないのか、どうして魔物が反応しないのか。どうして軽トラックは、あんなにもゆっくり走っていたのか……。まるで
、後ろの荷台に誰か乗っているのを知っているかのように……。
「ドクター、答えてよ」
「すみません。よくわかりませんでした」
 氷堂は急に、ポンコツなAIスピーカーのような言い方をした。
「しっかり自分で、生きる目的を果たして」

「生きる目的……」
 答えに迷ったように強く瞬きをする氷堂の手に、葉月は〝溶けない氷〟を持たせた。
「あなたが逃げて」
「葉月さん!」
 飛び出してきた葉月を見て、魔物は口を開けた。牛乳を雑巾で拭いたときのような口臭と一緒に、暑い熱気が葉月を取り囲んだ。黄ばん
だ牙が目前まで迫り、喰われる……と思ったとき牙はぴたりと止まった。
 ぐぐ……とその顎が上に持ち上がり、葉月もつられて上空を見上げると、まん丸の〝溶けない氷〟が落ちてきた。葉月が氷堂に渡したは
ずの……
 魔物は恍惚として空に向かって口を開けた。
 続けて魔物の後ろで爆発音がした。
 空気を割くような音と共に火の粉が燃え盛り、驚いた魔物は怒り狂って火元へ突進した。
 すると煙幕のなかから氷堂が飛び出してきて、葉月の手を掴んだ。
「氷堂さん、なんで⁉」
「わかりません。夏の魔物の仕業というやつです!」
「なにそれ、目的はどうするの⁉」
「生きる目的より大切なキーワードが検出されました」
 氷堂は手の甲で眼鏡を押し上げた。手に握られた腕時計が、ピーピー鳴いている。
「生きる理由です」
「生きる理由?」
「葉月さん、あなたと共に生きることです」
 氷堂はけたたましく警告を鳴らす腕時計を、氷床の上に投げつけた。
 魔物がぐぉぉと吼えて白煙のあがる火元に威嚇している。
 葉月は氷堂に手を引かれながら、立ち上る火柱を振り返った。
「あれなに⁉ 水素爆発⁉」
「花火です! 日本の夏の真骨頂ですよ!」
 氷穴の足場を駆け上って、二人して地上の地面に倒れ込んだとき、背後でパァンと火花が飛び散った。火薬の匂いが辺りに充満する。
「忘れられない夏に、なりましたか」
「嫌でも忘れられないよ」
 二人は軽トラックに戻った。
「さて、帰って〝溶けない氷〟の再現に取り組まなければなりませんね。なにせ目的の実験材料を持ち帰ることができませんでしたから」
 氷堂は嫌味を言えるようになったらしい。しかしそれを聞いた葉月はにんまりと笑った。
「何事もベストを尽くせってね」
 葉月は氷堂に舌を突き出した。舌の上には、ラムネ色のまん丸の氷が乗っている。
「なぜ……」

「〝溶けない氷〟に必要なのは、冷気と熱気とアルギン酸」
 葉月はポケットから自前の化粧品を取り出した。
「日焼け止めクリーム……ですか」
「ご名答」
「氷穴の冷気の上にいた葉月さんに、魔物が吹きかけた熱気。身体に塗っていた日焼け止めクリームがそれに化学反応を起こす。確かに日
焼け止めクリームに含まれるアルギン酸量は……」
 氷堂は説明の読み上げを途中でやめて、葉月を見た。
「葉月さんの行動は、推測不能です」
「すごいよ、これ。多分半永久的に溶けないんだ。これがあったらみんな外に出られる!」
 葉月は氷堂の話を聞きもしないで、口のなかから取り出した水色の球体を太陽にかざしてみた。
「商品化して、売って売って売りまくって、日本の夏を取り戻して、毎日アイスを食べよう!」
 葉月が笑顔を向けると、氷堂も目尻を下げた。
「笑った」
「人が笑ったら、笑う。そうプログラムされています」
「なら毎日笑わせてあげる。あたしと共に生きるんでしょ?」
 氷堂は口を噤んで、意味もなく前方確認をした。
「夏が終わったら、魔物のせいになんてできないんだからね」
 白い軽トラックは、揺らぐアスファルトの上をゆっくり走り出した。

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