いっせ

転校するたびにいろんな場所に心を置いてきた子どもであり、生きてる子と旅立った子がふたり…

いっせ

転校するたびにいろんな場所に心を置いてきた子どもであり、生きてる子と旅立った子がふたりいる母であり、、その切れ切れな記憶の記録、現実と果実

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  • 週明けは雨とともに

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彼女との最後のやり取りはこうだ。私は自分のことを背の低い小さな青い花に例えた。彼女はコスモスみたいな人。そして天国で花畑を見た人の話をし、「私はあると信じてる」と一面の青いネモフィラの写真を送った。それから彼女は飛んだ。私のせいだと思っている。彼女が悩んでいることを知っていたのに

いっせ
13時間前

小5くらいの男の子、同級生だろうか自分より少し背の高い女の子を後ろに乗せて二人乗り。安定しないのかクルックルッとハンドルが取られてる。危ない、、二人乗り禁止、、とは思ってみても目が離せない。がんばれ

いっせ
13時間前

プチ贅沢、一息つきたいとき喫茶店のエスプレッソ。コーヒー割引券を入手したことで休みたい気分に甘くなる。本当は何でもいいけど猫舌なのですぐに冷める小さなカップ、キュッと飲んですぐに立てるスタイルも好みに合ってる。カフェインが効く体質なので飲むのは昼まで。やっぱり喫茶店はないと困る。

いっせ
15時間前

父親の家庭は貧しかったが夕げは必ず子どもたち皆が揃ってからと決まっていた。ところが末の女の子がいつまで待っても帰って来ない。家族総出で探しに行くと山の木の上で一人泣いていた。理由を聞くと兄である父がこっちへ来いと誘ったからだと言う。父はずっと家にいた。それで狐の仕業と言うことに。

いっせ
16時間前

おばあちゃんは「胸がふさがる思いだった」と言った。従姉の彼氏が挨拶に来た時、叔父叔母が彼を従姉と同じ部屋に泊めたことを。私は「へ~」以外の感情は湧かなかった。当時すでに明治は完全に過去のものだった。今思い返すと、考えに新しいも古いもなくて祖母は孫である従姉を大切に思ってたんだな。

いっせ
21時間前

甥っ子は彼女を連れてくるほど大きくなった。放っておいても大丈夫だ。義妹から頼まれたわけではない、ただ他の親戚の子よりも気にかけている。血のつながりがあるかないかより強力な親しみってある。そういう人はもう一人いて遠くから眺めているだけ。私に力はないけどずっと見守っている。

いっせ
21時間前

今の私は親類がいなくても生きていける。小さい頃に可愛がられただろうが大して深い感慨はない。しかし私を幼子に引き戻す魔法の呼び名がある。あまりに懐かしいその呼びかけを聞いたら胸の奥がジュワッと呼応する。。親戚って、、次第に分裂してゆく衆。自作の家系図を見ながら想う。

いっせ
21時間前

日本の海運を担っている会社にいたとき、豪雨で日本の大動脈たる道路網が分断され内航が必要とされた。協力的なことをするのかと思っていたら逆に随分とふっかけた値段を出していた。そりゃ需要と供給、、分かるが決して気持ちは良くなかった。ふっかけた人は利益を出したので評価されていたが。

いっせ
1日前

国立市の郵政大学校にある郵便貨車を見学に行った。説明によれば手紙やハガキの入った大袋を貨車に積み込み、走行中に郵便番号ごとに仕分けして主要駅で下ろしてゆく。今じゃ機械で仕分けしている訳か。。しかし都会ではまた郵便自転車が復活している。郵便列車の復活は、、あったらいいな。

いっせ
1日前

もっと原初の記憶がある。おしめが取れたばかりの時の失敗だ。パンツなのにどすん!と大をやらかした。気持ちは悪くないのだけど、後ろが引っ張られるその感覚が不快で、もう二度とやるもんかと思った。

いっせ
1日前

子どもの頃は毎日毎日落書きを描いていた。イラストでも絵画でもなく、絵。何だか知らないけど考えたりしなくて次から次から降ってくるので紙に写していただけ。情熱とか楽しいとかいう説明ではなく、息をするように普通のこととして描いていた。

いっせ
1日前

やばいことを思い出した。囚われた人魚姫ごっこをしていて両足を折り曲げて仰向けに寝ていた。今それをやると腰が反ってしまいきつい。(どれだけ体が柔らかかったんだ!)イマジネーションの世界は無限大。取り繕った理性を外したらまた子どもに返って想像遊びをやっちゃいそう。

いっせ
1日前

たまたまやってた文具フェアに遭遇、買ったことに満足してしまうだけと分かっていながらやっぱり買ってしまった、色鉛筆や顔彩や。そんなに色を集めてどうする?ネロは黒の鉛筆一色だったでしょう?と心でツッコミをしつつ。買い物依存症の人をどうとか言いません。しあわせハッピーな何かに包まれる。

いっせ
1日前
1

自分の筆をチェックしていたら手が止まった。小さい頃父母と私の3人だけで行った長野の神社で買った筆がまだあった。あれから何十年経ってる?しかも未使用品。神社に置いてあったけど人はいなくて代金は箱に入れるシステムだった。盗る人はいないんだろうか、とかその時の会話まで思い出した。

いっせ
2日前

ハッピの着こなしコンテストをやったらいいのに。角館で祭りファッションに対する人々の力の入れように目を見張った。小さな子どもから大人まで頭からから足先まで洗練されたハッピ姿にびっくり。あれを見ると東京その他の祭り参加者が野暮に見えてしまう。単にハッピを羽織ってるだけ、着てるだけ。

いっせ
2日前

小さい頃は学校の休みごとに遊んだ従姉弟たちともめっきり会わなくなり、互いに何をしてようがほぼ無関心になった。久しぶりに用事で声をかけると何だろうこのなつかしさ。私が親に黙って従弟を連れ出して町まで行ったと大目玉を食らって泣いたことを思い出した。そう、ついて来たあの子に罪はない。

いっせ
2日前

彼女との最後のやり取りはこうだ。私は自分のことを背の低い小さな青い花に例えた。彼女はコスモスみたいな人。そして天国で花畑を見た人の話をし、「私はあると信じてる」と一面の青いネモフィラの写真を送った。それから彼女は飛んだ。私のせいだと思っている。彼女が悩んでいることを知っていたのに

小5くらいの男の子、同級生だろうか自分より少し背の高い女の子を後ろに乗せて二人乗り。安定しないのかクルックルッとハンドルが取られてる。危ない、、二人乗り禁止、、とは思ってみても目が離せない。がんばれ

プチ贅沢、一息つきたいとき喫茶店のエスプレッソ。コーヒー割引券を入手したことで休みたい気分に甘くなる。本当は何でもいいけど猫舌なのですぐに冷める小さなカップ、キュッと飲んですぐに立てるスタイルも好みに合ってる。カフェインが効く体質なので飲むのは昼まで。やっぱり喫茶店はないと困る。

父親の家庭は貧しかったが夕げは必ず子どもたち皆が揃ってからと決まっていた。ところが末の女の子がいつまで待っても帰って来ない。家族総出で探しに行くと山の木の上で一人泣いていた。理由を聞くと兄である父がこっちへ来いと誘ったからだと言う。父はずっと家にいた。それで狐の仕業と言うことに。

おばあちゃんは「胸がふさがる思いだった」と言った。従姉の彼氏が挨拶に来た時、叔父叔母が彼を従姉と同じ部屋に泊めたことを。私は「へ~」以外の感情は湧かなかった。当時すでに明治は完全に過去のものだった。今思い返すと、考えに新しいも古いもなくて祖母は孫である従姉を大切に思ってたんだな。

甥っ子は彼女を連れてくるほど大きくなった。放っておいても大丈夫だ。義妹から頼まれたわけではない、ただ他の親戚の子よりも気にかけている。血のつながりがあるかないかより強力な親しみってある。そういう人はもう一人いて遠くから眺めているだけ。私に力はないけどずっと見守っている。

今の私は親類がいなくても生きていける。小さい頃に可愛がられただろうが大して深い感慨はない。しかし私を幼子に引き戻す魔法の呼び名がある。あまりに懐かしいその呼びかけを聞いたら胸の奥がジュワッと呼応する。。親戚って、、次第に分裂してゆく衆。自作の家系図を見ながら想う。

日本の海運を担っている会社にいたとき、豪雨で日本の大動脈たる道路網が分断され内航が必要とされた。協力的なことをするのかと思っていたら逆に随分とふっかけた値段を出していた。そりゃ需要と供給、、分かるが決して気持ちは良くなかった。ふっかけた人は利益を出したので評価されていたが。

国立市の郵政大学校にある郵便貨車を見学に行った。説明によれば手紙やハガキの入った大袋を貨車に積み込み、走行中に郵便番号ごとに仕分けして主要駅で下ろしてゆく。今じゃ機械で仕分けしている訳か。。しかし都会ではまた郵便自転車が復活している。郵便列車の復活は、、あったらいいな。

もっと原初の記憶がある。おしめが取れたばかりの時の失敗だ。パンツなのにどすん!と大をやらかした。気持ちは悪くないのだけど、後ろが引っ張られるその感覚が不快で、もう二度とやるもんかと思った。

子どもの頃は毎日毎日落書きを描いていた。イラストでも絵画でもなく、絵。何だか知らないけど考えたりしなくて次から次から降ってくるので紙に写していただけ。情熱とか楽しいとかいう説明ではなく、息をするように普通のこととして描いていた。

やばいことを思い出した。囚われた人魚姫ごっこをしていて両足を折り曲げて仰向けに寝ていた。今それをやると腰が反ってしまいきつい。(どれだけ体が柔らかかったんだ!)イマジネーションの世界は無限大。取り繕った理性を外したらまた子どもに返って想像遊びをやっちゃいそう。

たまたまやってた文具フェアに遭遇、買ったことに満足してしまうだけと分かっていながらやっぱり買ってしまった、色鉛筆や顔彩や。そんなに色を集めてどうする?ネロは黒の鉛筆一色だったでしょう?と心でツッコミをしつつ。買い物依存症の人をどうとか言いません。しあわせハッピーな何かに包まれる。

自分の筆をチェックしていたら手が止まった。小さい頃父母と私の3人だけで行った長野の神社で買った筆がまだあった。あれから何十年経ってる?しかも未使用品。神社に置いてあったけど人はいなくて代金は箱に入れるシステムだった。盗る人はいないんだろうか、とかその時の会話まで思い出した。

ハッピの着こなしコンテストをやったらいいのに。角館で祭りファッションに対する人々の力の入れように目を見張った。小さな子どもから大人まで頭からから足先まで洗練されたハッピ姿にびっくり。あれを見ると東京その他の祭り参加者が野暮に見えてしまう。単にハッピを羽織ってるだけ、着てるだけ。

小さい頃は学校の休みごとに遊んだ従姉弟たちともめっきり会わなくなり、互いに何をしてようがほぼ無関心になった。久しぶりに用事で声をかけると何だろうこのなつかしさ。私が親に黙って従弟を連れ出して町まで行ったと大目玉を食らって泣いたことを思い出した。そう、ついて来たあの子に罪はない。