美味しい記憶 / 祖母について
小学校に上がる前、
私は祖母のことを「ちゃーちゃん」と呼んでいた。
なぜそう呼んでいたのか、家族に聞いてみたものの、
誰もはっきりとした理由を覚えておらず、
「なんでだろう?」と首をかしげるばかりだった。
おそらく、「おばあちゃん」の「ちゃん」
が言いやすかった幼い私が、
いつの間にか「ちゃーちゃん」
に変えてしまったのだろう、と推測している。
そんな、
少し可愛らしい呼び方をされていた祖母だけれど、
実際は厳しく、少々気難しい人だった。
玄関で私の靴が揃っていないことを見つけると、
食事中だろうとすぐに靴を揃えるよう注意されたし、
学校から硬筆の宿題が出ようものなら、
祖母が納得する字が書けるまで、
何度もやり直しをさせられた。
外からは、近所の子どもたちが遊ぶ
楽しそうな声が聞こえてくるのに、
私は仏壇のある和室で用紙と向き合い、
泣きながら鉛筆を握っていたことを、
今でも鮮明に覚えている。
共働きの両親のもとに生まれた一人娘で、
唯一祖母と同居していた私。
子ども心に、
「もう少し甘やかしてくれてもいいのに」と、
よく思った。
でも、祖母の躾のおかげか、
よその家では靴を揃えられることを褒められたし、
泣きながら書いて提出した硬筆では特選を取った。
なので、結果的には、
“ちゃーちゃん”の厳しさも悪くはなかったようだ。
と、納得できるようになったのは、
私がだいぶ成長してからのことだけれど。
そんな厳しい祖母も、
料理をしている時は少しだけ優しかったように思う、
ということはなく、料理中もやはり怖かった。
祖母は毎日夕方前になると台所に立ち、
黙々と夕飯の支度をしていた。
そして、
私が包丁を持つ祖母の手元を覗こうものなら、
「そこに立っていると危ないよ」ではなく、
「邪魔だよ」とみじかく注意された。
そんな時、私はおとなしく居間へ戻り、
一人で子ども番組を眺めながら、
野菜を切る音、
ほうれん草を湯がいたお湯をすてる音、
鍋がぐつぐつと煮える音など、
台所から聞こえてくるさまざまな音に
耳を澄ませていた。
祖母の料理のレパートリーには、
グラタンやロールキャベツのような洋食は
ほとんどなかったけれど、
自家製の糠漬け、ほうれん草のごま和え、
カレイの煮付け、きんぴらごぼう、
イカと里芋の煮っころがし、ふきの炊いたの、
けんちん汁、お稲荷さん、海苔巻き、
お赤飯、蒸し饅頭などなど、
和食のレパートリーと言ったら、
レシピ本が出せそうなほどだった。
大人になった今思い出してみても、
祖母の料理はどれもとても美味しかった。
普段どんなに厳しくても、気難しくても、
祖母の料理が大好きだった。
気がつけば、
料理を作るときの包丁の音や、煮物の煮える匂いに、
自然と祖母の姿を思い出すようになっていた。
そのたびに、なぜ祖母と一緒に暮らしていた間に、
祖母の料理を教えてもらわなかったのだろうと、
悔しい気持ちが胸にこみあげてくる。
けれど、尋ねていてもきっと、
「そんなこと、見て覚えな」と、
軽くあしらわれたに違いない、とも思う。
料理の下ごしらえをしながら、
そんなことを考えていると、
不思議と祖母が近くにいるような気がしてくる。
だから、せめて祖母の記憶を、
ここに記しておこうと思う。
あの頃の空気と、祖母が台所に立つ姿を、
いつまでも思い出せるように。
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