学校にまつわるモヤモヤ

こんにちは
最近、学校や部活に関わる事故や事件がニュースで取り上げられてます。
個人的な思いを書いてみます。
通った小中学校は、校内暴力が蔓延る状況でした。
常に生徒同士、先生と生徒、生徒と父兄等の間でいざこざが起きる。
1学年で400人位いて、毎日のようにケンカやいじめがあって人間関係がとにかく悪い。常に緊張状態にさらされている。先生は12人位しかいない。当然、先生の目は全員に届かない。数人の目立つ生徒に注力するから、その他大勢の生徒に関心は向かない。
暴力行為で、ケガしても誰も注意しない。先生も腫れ物に触れるようにしている。生徒は、目ざといので誰も先生に「助けて」とは言わない。言っても告げ口したとして、余計にいじめられる。結局、登校しない生徒が出る。
先生は、放課後に生徒の自宅に訪ねて行く。生徒から見ると、本質的な解決をしないまま登校を勧めても意味ない事を見抜いている。仮に登校しても、単に苦痛でしかない。これでは、いじめられる方が悪いという形で片づけらてしまっていることと同じ。生徒の精神的な問題、法律上の問題に対応できるスキルも知識も無い先生では解決しようにも難しい。
社会の中で暴言・暴行・傷害・人の物を隠すとか壊すといった行為を行った者は、警察が捜査して場合によって逮捕される。例えば、傷害罪で逮捕され訴訟で有罪になると、傷害罪は15年以下の懲役又は50万円以下の罰金となる可能性がある。さらに、被害者による損害賠償請求と慰謝料請求に応ずる必要がある。
学校の中でとか生徒同士でとかになったら、いじめという言葉で片づけられてしまうことは、今でも納得できない。
個人的には、学校は楽しい場所ではなかった。どちらかというと、義務的に登校するという意味の方が大きかった。それは、基本的人権が尊重されてないという意味を表している。当時は、単に知識がなかったということだと思います。
今では、学校に弁護士の先生が来て相談に対応してくれる自治体もあるし、生徒の心理的な問題に寄り添うスクールカウンセラーという制度もある。
さらに、学校と自宅以外の第三の居場所として、フリースクールとか放課後等デイサービスといった様々なサービスがある。
そもそも、学校が誰のためにあるのかもう一度定義し直す必要がある。
全く違う個性であることを尊重し、一人一人に寄り添う存在でないといけないと思います。仮に、個性を尊重してないと感じるなら、登校しない選択もあり得る。登校しないなら、自治体のサポートは不可欠になる。
かつては、暴力とか傷害とかいった目に見える形で行われていた。
現在では、それがスマホの中に移ってしまって目に見えなくなって、悪口や仲間はずれが行われている。
いじめをするツールというか形が変わっただけで、いじめをするのは人という動物の本質かもと考えてます。大人の世界でも、パワーハラスメントという言葉があるくらいですからね。
最後に、自分で命を奪う行為をしてはいけない。今の人間関係が10年先も続いている可能性はゼロである。10年後には、今とは全く違う人間関係が出来ている。
縁あってこの世に生を受けた以上、自らその生を断つ行為はしてはいけない。かつて、小中学生だった自分自身にも向けた言葉です。

長い文章でしたが、読んでいただきありがとうございます。


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