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この世界でひとつだけの鉛筆 〜言語技術講師の日々〜 岡本ようすけ

教室では、低学年の子を中心に、観察課題に取り組む。たとえば、鉛筆を観察する。最初はただの「鉛筆」なのだけれど、観察をするうちに、鉛筆削りを使った時についた傷や、爪を立てた時の凹み、木の色の違いなど、今、手に持っている鉛筆が、世界で一本しかないと気づく。

近くに鉛筆がある方は、ぜひ鉛筆を手にとってほしい。今持っている鉛筆は、世界でただ一つのものである。これは、本当に重要なことだ。同じデザインの、同じ機能の、瓜二つの鉛筆はある。けれど、今持っている鉛筆は、世界でこれだけだ。これだけだから、数えることはできない。かけがえのないものであり、失ったら、二度と出会うことはない。だから、子どもたちはたいてい、観察した鉛筆を持って帰りたがる。

『いっぽんの鉛筆のむこうに』
『いっぽんの鉛筆のむこうに』
谷川 俊太郎 文 / 坂井 信彦 写真 / 堀内 誠一 絵
福音館書店

『いっぽんの鉛筆のむこうに』という本がある(谷川俊太郎:文、坂井信彦ほか:写真、堀内誠一:絵 福音館)。スリランカの鉱山から黒鉛を掘り出すポディマハッタヤさん、アメリカのカリフォルニア州で木を切るダンさん、トラックで製材所に運ぶトニーさん、木を積んで太平洋を航る船のコック長をしているミグエルさん、港でコンテナを下ろす高橋さん、鉛筆工場で働く大河原さん、そして文房具屋の佐藤さんと、一本の鉛筆が私達の手に届くまでに関わる人々の暮らしや家族が紹介されている。もちろん、今目の前にある鉛筆の材料の産地や、関わった人は本とは違うだろうが、大切なことは同じだ。今手にしている一本の鉛筆は、何もないところから生まれたわけではない。

「この一枚の紙のなかに雲が浮かんでいる」ティク・ナット・ハン
「この一枚の紙のなかに雲が浮かんでいる」 ティク・ナット・ハン

物事がつながり合って成り立っているのは、人の営みだけではない。鉛筆の材料となる黒鉛も、粘土も、木も、連綿と続く命のつながりの中にある。

「この一枚の紙のなかに雲が浮かんでいる」

ティク・ナット・ハン『仏の教え ビーイング・ピース』中公文庫p.68

禅僧のティク・ナット・ハンの言葉である(大谷大学「きょうのことば」)。紙の原料となる木は、水がないと育たない。水は、雲がないと降り注がない。すべてがつながりあっているという視野で一枚の紙に向き合った時、そこには森が、水が、雲が、そしてその背後にある膨大な時間と命が見えてくる。観察、観て察するとは、そういうことなのだろう。

松かさを観察する授業の風景
松かさを観察する授業の風景

作文の練習を、私達はものの観察から始める。お手本をなぞるのではない。目の前にあるものの手ざわりや重さ、味を、自分なりの言葉にしていく。

「紙」や「鉛筆」といった言葉から自由になるところから、自分の言葉が生まれる
「紙」や「鉛筆」といった言葉から自由になるところから、自分の言葉が生まれる

鉛筆は、「鉛筆」に留まらない。よく見れば、木肌や、二つの木の接着された線、黒い芯に映るとても細なきらめきに気づく。鉛筆は「鉛筆」ということばから解放され、木や、黒鉛が組み合わされた「もの」となる。

今、自分が生きる世界をよく見て、「紙」や「鉛筆」といった言葉から自由になるところから、自分の言葉が生まれる。この段階を飛ばしてしまうと、曇りの日の海なのに、「海」だから青く描いてしまったり、夏の花壇の花なのに、「花」だからチューリップを描いてしまったりする。

この世界の存在は、生まれ、死に、固まり、溶け合い、潰され、浮かび、落ち、燃え、形を変えながら流れてきた。宇宙が生まれてからの膨大なエネルギーの歴史の中で、「鉛筆」と呼ばれるものが、今私の手の平の上に、ただそのように在るように在る。それは私たちも同じことだ。名前を与えられる前から、ただ在るように在る。今、この世界にともに「存在」するということは、奇跡のようなものだ。その愛おしさと美しさ、そして切なさを、いつか子ども達にも感じてほしいと願っている。

書いた人

リテラ「考える」国語の教室代表 岡本ようすけ
リテラ「考える」国語の教室 WEBサイト



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