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憑き物が落ちたメンヘラ

 そもそも俺はメンヘラだったのか?と思うくらい精神が平和である。もう一生このままであれ。

 うつ病になったいきさつやら、仕事や恋愛のグチやら、散々書いてきたけど、なんかもう全部、「あ〜あったね、そんなこと」の境地に至ってしまったんだけど。

 基本的に人間がきらいだから、日々ちょっとしたことでイラつきはするんだけど、それをいちいち気にして引きずるのは、感情の浪費では?と思って改めてみた。

 この世で起こる事象にスピリチュアルなんかあり得ないし、物事には必ず原因があるし、世の中をつまらなく苦しいものにしていたのは、弊社はもちろんではあるが、私自身の心でもあったのではないか。

 思い通りにならない日々、愛が足りないと飢えてやせ細る心、こんなんで他人にやさしくできるわけがない。

 他人なんて思い通りになるはずがないし、そもそもコントロールしようとすること自体が間違っている。

 しかし、自分の心くらいは、自分で制御できるんじゃないか。
 かつての私にその発想はまったくなかった。むしろ、感情のコントロールなんて不可能だろうと思っていた。
 べつにそんなことないよな。

 今までは、あまりにも自意識が強すぎたんだ。自分だけの価値観で生きてると、どうしたって視野狭窄になる。自分の心だけを満たそうと躍起になったところで、それでは自分しか満足しない。それに、自分だけが満たされたところで、果たしてそれで本当にしあわせなのか?そんなのは傲慢だ。

 見返りを求めない愛なんか幻想だってつい最近まで思ってた。けど、愛って本質的にそういうものなんじゃないの?見返りを求めての行動ならば、それはもう愛とは呼ばないのでは?
 べつに返ってこなくてもいい、そのくらいの気持ちで与えるものこそが愛と呼べるのではないか。
 尽くすとか、自己犠牲とかではなくて、与えられる分だけ与えればいい。

 自分自身の感情に振り回されたり、思い通りにならない他人にイライラしたり、そういった段階からもうひとつ上へ進んでもいいんじゃない?

 菩薩になる必要なんてないけど、自分が苦しくなるような生き方をする必要もないよな。

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