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【#44】コミュニケーションを楽しむ心得

日常は人で溢れてますよね。
いきなり何いってんだこいつは、と思わないでください(笑)

一歩玄関のそとに出れば、いくらでも人に会える。
アパートの清掃の方、デイサービスの送迎の方、スーパーの店員さん…

わたしは対話でおしごとをさせてもらっている。そう、人と話すこと。

それなのに、『日常的なコミュニケーションは″やりとりのみ″の効率的な会話』、『あたらしい出会いをつくりにいこうというときは″どこかでしごとに繋がる″ことを意識』してしまって、純粋なコミュニケーションを楽しむということができていなかった。

そこで(単なる場繋ぎてきな雑談ではなく)、「感覚的に伝えたいと思ったこと」「相手に興味をもったとき」は素直に話しかけてみようと思ったのだ。

さいきんは、毎月最低1回は親の病院つきそいのため地元にかえっているのだが、毎回むかしからある「街のクレープやさん」にいきたくなるのである。
わたしが小学生のころからあるそのクレープやさんは、当日おなじ敷地にあった大判焼きやさんやたこ焼きやさん、そしてイトーヨーカドー様までもが閉店していく中、ゆいいつ生き残った猛者なのである。
先日かえったときも行ったのだが、「35年を経てはじめて値上げしました。ごめんなさい。」と貼り紙がはってあった。
なんかもう話しかけずにいられなかったのである。
いつもは来る度に、「小学生のときから通っていて、東京でクレープやさんをみても食べたいと思わないし、いまだに帰ってくる度にたべたくなっちゃうファンなんです」と伝えたいは思うものの、いそがしそうにしている店員さんをみてクレープを受け取ってお礼だけいって店を後にしていた。

話したい!思いを伝えたい!という気持ちに従ったところ、当時は茶髪でイケイケだった店員さん(globeのKEIKO似)といっしょの時を生きてたんだな〜と一瞬こころが通った感じがして、いつものクレープがとくべつになったのだ。

こうやって普段のコミュニケーションを楽しむことが、しごととしての対話も楽しめることに繫るのだと信じている。
逆に日常的なコミュニケーションが質素で楽しめていない状況で、対話がより良くなっていくとはおもえない。

自分にその準備ができれば、日常から得られるものはたくさんある。

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