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巨大ウツボカズラに歓喜する公務員の気持ち悪さとメディアの無知。あまりにも異常な演出の背後にある意図を探る

植物園で巨大なウツボカズラを前に歓喜する公務員。本当に気持ち悪いです。
前の記事で「生態系とメディア」をテーマにしました。(話してたらなんとなくそんな感じになりました。)そこで今回は「生態系と行政」というテーマでこの記事を書きます。生態系と行政とメディア。メディアから与えられた情報によって環境問題を考える際には、この3者の関係を考えながら報道の真意を探ることは重要だと思います。具体的には、公共の植物園や動物園の意味を考えてみます。

まずは記事をご覧ください。
この記事を最初見たとき、わたくしは非常にショックを受けました。
ほほえましい記事だと思いましたか?そう思ったあなたはもう完全に戻ってこれない家畜の檻の中に閉じ込められています。

わたくしは、そもそも「世界の仕組み」に興味があって、物理の法則である「自発的対称性の破れ」という言葉の真意を探るべく、哲学やら物理学やら、様々な学問の観点から自己流の解釈で物事を考えたりしているのですが、その関連で、生態系(生態学)にも非常に興味を持っており、時々真面目に考えたり本を読んだりしています。それで、その観点からたまにゲノム編集動物や遺伝子組み換え食品に関連した記事を書くこともあります。
わたくしはこのシステムを安易にいじくったりすることに大反対で、日常生活において極力おかしな食品を口にしないように気をつけています。

過去何度か説明してきましたが、生物のRNAの変異は、遺伝子操作や品種改良だけでなく環境が変わることで生物のRNAがその環境変化に対応しようとする過程で必然的に起こるメカニズムです。そもそも、外環境の変化に対応できるようにDNAとは別にRNAがあるのでしたね。

牛に牛を食べさせると狂牛病になりますし、河川に化学物質を垂れ流すと奇形の魚が生まれます。これは生物のRNAが環境に適応しようと(環境を取り込もうと)する過程で生じるメカニズムです。映画・風の谷のナウシカで描かれている「腐海」は瘴気の毒を体に溜め込んで浄化しているのでした。汚染された河川や海で魚が奇形になるのはこのような意味もあるのでしょう。

したがって、人間が人工的に環境をいじくった場合に限らず、通常の生態系のメカニズムとして、いたるところでRNAの変異というのは起こっています。
以下、過去記事から文章を引用します(ちょっとだけ加筆修正してます)。

植物が釣り竿を持ってるんです。
なんで釣り竿?(笑)って思いますよね?
これがRNAの基本的な働きなのです。

外環境に合わせて自分の体を変える仕組みです。
環境って少しずつ変わりますよね、ミクロで見たら。(生態系(マクロ)としては均衡を保ちます)
その外環境の変化に適応できるのはRNAがあるからなのです。どんな生物にもありますよ。
だから、環境が変わると、食べ物が変わると、当然に、人間のRNAも反応するわけです。
まずは環境に合わせて自分を変えようとします。でも、環境の変化が早すぎる場合は適応できません。これが、人工的に環境を変えてしまったり、食品添加物やワクチンを作ったりしてしまうことの怖さです。ゲノム編集マダイもそうです。

つまり、化学合成やゲノム編集をして何かを作るということは、自然では考えられないような速さで環境を変えたり、または、自然環境では起こりえないことを起こしてしまったりしているわけですから、人間のRNAが対応できなくなります。

電波も同じです。5Gや6Gの基地局を作りまくって人工的に電波を飛ばしまくったら当然RNAはそれに適応しようとします。適応できなければ脳がおかしくなります。

結局、環境が変われば大なり小なり必ずRNAは変化するんです。問題は、その変化が、人間がどれくらい健康で長生きしたいか、という時間軸を観点にしたとき、許容できる範囲かどうか、という事です。

温室効果ガスもそうですね。これまで人類が経験したことのない量のガスを出せば、当然RNAが適応しようとします。適応できればいいですが、適応できなければ病気になったり死んだりします。

結局、おかしなものを食べ続けたり、温暖化で気候が変化すると、人間のRNAが適応しようとしますが、できなければ病気になります。これは滅びのメカニズムでもあります。生態系というRNAの相互依存システムは、生物を生かしもしますし、生物を殺しもします。

狂牛病の牛を食べてヤコブ病になるのも同じです。まず、牛に牛を食べさせると病気になるのは、ありえない事だからです。自然界では牛は牛を食べないですよね?

その牛を食べた人間もおかしくなります。これはRNAの自己崩壊メカニズムです。牛を食べた牛を人間が食べるパターンは、これまで蓄積されたRNAの相互依存システムに記憶されてないので処理できないのです。

生態系は生物全体の均衡を保とうとするわけですね。
だから、その中で死ぬものもあれば、生まれてくるものもあります。
ありえないことが起こった種は生態系が殺してくれるわけです。
これは浄化でもあります。人間がおかしなことを始めたら浄化されます。
RNAの相互依存システムは、生も死も司る生態系の柔軟かつ堅固なプログラムなのです。まさに神です。
宗教とか戒めとか、昔の人は偉大だっと思いますよ。直感的に経験的にこれを理解できていた。
現代人だけですよ。科学的にほぼ理屈が分かっているのに、それを知らない人ばかりなのは。

巨大資本の家畜になっておかしなモノを食べてたら、RNAのメカニズム(神の祟り)で病気になって死にます。

生態学では、環境保護のために外来種は殺せと学びます。ブラックバスなんて皆殺しです。
昨今、生態学的知見はかなり積み上げられてきており、生態系の維持という観点から、外来種の入植については極めて高いレベルで防御すべきとされています。そもそも外来種は農業や漁業に影響を与えるので、生態学なんていう学問に基づかなくても、基本的に排除すべきことは感覚的に理解できる話です。ニュースでも、外来のカミキリムシや蜘蛛が見つかっただけで大騒ぎしています。

では、その一方で、自治体が税金を投入して植物園や動物園を運営することをどう考えるべきでしょうか。外来種ばかりですよね?生態学において積みあげられた知見が全く反映されていません。やるべきこととまるで違うことを税金を使ってやっています。税金を使って本来はやっちゃいけないことをしています。これは本当に酷い話です。

外環境に逃げて交配するわけじゃないからいいだろ!という意見があります。でも、これはアナウンスメント効果という点においてかなり間違った見解だと思います。わざわざ生態系の考えに反するような展示をしているわけで、子供や社会に与える影響は甚大です。つまり、生態系という概念の構築にマイナスの効果を与えているわけです。冒頭で紹介した新聞記事には巨大ウツボカズラをギネスに登録とあります。開いた口がふさがりません。生態系の保護という観点からは、おそろしいほどマイナスのアナウンスメント効果になっているのです。

ギネスブックに登録?どういう意味があるのでしょうか?
いろいろ考えてみたのですが、何の意味があるのかがよくわかりません。
商業的な理由しか思いつきません。もしかすると、植物園を閉鎖する話でも出てるのでしょうか?知りません。でも、生態学という観点からは何の意味もないどころか悪影響しかありません。誰か立場を守りたい人がいるか、お金目的か、しか考えられません。でなければ、、、

ウツボカズラが巨大化したくらいで、植物園の立場を守れたり、それほど収入が増えたりするのでしょうか?どこか腑に落ちません。そもそも、公務員や行政ってそこまで馬鹿なのでしょうか?

RNAは極端な環境変化に対応できない場合は自滅するようプログラムされています。わたくしたちは、自らの生存のためにも極力周囲の環境が劇的に変わらないようにコントロールすべきです(循環型を目指すべきです)。この場所でウツボカズラを育てることに何の意味があるのでしょう?
繰り返しになりますが、わたくしは、こういうPRはむしろ個々人の外来種への抵抗感を弱めると考えます。このようなPRを真に受けて生態系を軽視してしまった人々の考えが結局は環境を破壊してしまう原動力になり、わたくしたちが最終的に環境に適応できなくなる自滅のトリガーになるのではないでしょうか。このような場所でウツボカズラを飼うことは全く意味がないどころかマイナスでしかないはずです。
むしろ、このようなことをしてはいけないと子供たちに教えるべきなのに、、、なぜこんな報道がされているのでしょう。

むしろ、敢えて子供の頃からこの異常なことに慣れさせているのではないか?とわたくしは考えています。

先の映画「マトリックス」の記事でも触れたボードリャールの「シミュラークルとシミュレーション」(大量消費社会への慣れ)を、行政が巨大資本の装置として実行しているのではないのでしょうか?外来種への慣れを促し、それが当たり前の世界にしようとしているのではないのでしょうか?昨今は、川に行けばブラックバスがいるのが当たり前になっています。場所によっては、グッピーが池にいるのが当たり前になっている場所もあるようです。行政がこんなことをやっていれば、子供たちは、熱帯魚店で外来種を買ったり、それを川や池に放つことが悪いことだなんて全く思わないようになるわけです。生態系の維持という人間が本能的に持っている感覚を意図的に破壊しているのではないでしょうか?


ということで、わたくしは彼らは意図的にやっていると思っています。わざとです。わざと外来種に慣らそうとこんな茶番を演出しているんだと思っています。実際のところ、公務員というのはそんなに馬鹿ではないし、日本の行政もそんなに馬鹿ではありません。要するに植物園や動物園というのは、日本を人体実験場にして、それを日本人自身には気が付かせないようにするための、ある種の巧妙な装置なのではないかと思っているのです。シミュレーション社会(家畜化された社会)にする装置です。恐ろしい事ですが、やはり、彼らの後ろにいる勢力はそこまで考えている、と考える方が筋が通る気がします。人工的に作られた生態環境に家畜である日本人を慣らすためのプロパガンダ装置としての植物園や動物園ということです。そうすることで結局、ゲノム編集食品への抵抗も減ってゆくわけです。ようするに、生態系の観点からは通常ありえないような環境に子供の頃から慣らされて、人工的なモノやら食品に対して違和感を感じなくさせるための装置なのです。

怖いです。子供の時から家畜化が実行されているんです。
(追記(2022.11.4):生後6ッか月からのワクチン接種を政府は努力義務としましたが、日本小児科学会も「推奨」としたそうです。ハッキリ言ってこの状況は狂っていますね。乳児からモルモット扱いなんて本当に酷い。)

公務員が無知でアホなことをやっているのではなく、実際は、子どの頃からこの「シミュレーション(記号化)の装置」(人工的な既製品があふれる社会を当たり前と思わせる装置)によって洗脳され、シミュレーション社会(人工的な既製品があふれる社会)に意図的に慣らされているのではないでしょうか?

子供への教育をどう考えているのか!行政は何もわかってない!と腹をたてるよりも、そこまで巧妙に子供の頃から家畜にされているのか!!と絶望すべきではないのでしょうか。

私が言っていることはあくまでもわたくしの見解です。

それから、メディアの役割について。
記事のテーマに「メディアの無知」と書いていますが、実のところわたくしは行政と連動してメディアも洗脳の装置、記号化の装置となって世間に対し植物園や動物園をPRすることでわたくしたちをシミュレーション社会に埋没さようとしているのではないのかと思っています。メディアは間違いなく馬鹿ではないですよね。つまり意図をもって報道している可能性が高い。
このようなことをしている地域の方や新聞報道を見た方は本来その姿勢に怒るべきなのですが、メディアによってなんだか素晴らしいことのように思い込まされているのです。その結果、徐々に超自然的な環境や食べ物を受け入れてしまうことになるのです。

ここまで書いてきて悪寒がしてきました。植物園や動物園もメディアと同様にわたくしたちを家畜化するためのプロパガンダ装置なのではないでしょうか。

とても興味深いお勧め動画です。わたくしは魚が好きなのでこの配信者の動画は面白く拝見させていただいています。

美味しそうです。奇形魚たべたいです!
奇形魚であふれる時代が来たってへっちゃらだ!

生態系の保護という観点からは、外来種だらけの植物園や動物園を運営している行政は根本的に間違えていますし、本来ならだれが見てもおかしいと思うはずです。
でも、もう疑問を持つ人の方が少ないのです。
巨大ウツボカズラ最高!奇形魚も美味しそう!と皆が思い始めています。(しりませんが)

昨今は、すでに、「つまようじから木の匂いがする」ことがおかしいと感じる人もかなり増えてきています。川にブラックバスがいない方がおかしい時代なのです。そんな時代にするための巧妙な装置が、植物園や動物園でありメディアではないのでしょうか?

もちろん、そのような装置にしているのは、資本主義というシステムであり、その裏にいる巨大資本です。冒頭の巨大ウツボカズラの記事は、わたくしたちを家畜の檻に追い込むためのプロパガンダ記事(人工的な生態環境に慣らすためのプロパガンダ記事)ですが、家畜の檻が見えていて追い込まれることを拒否している人にとっては、公務員(行政)さえも資本主義にアブゾーブされ、わたくしたちを家畜の檻に追い込むための装置になっているという現状を象徴的に伝えるショッキングな記事だと思います。

巨大ウツボカズラの前でにっこり笑う公務員に罪はありません。奇形魚を裁く配信者にも罪はありません。巨大資本にみなアブゾーブされてしまうのです。取り込まれるのです。それがシミュラークル社会の怖さです。全体としてゆっくりと外来種や奇形であふれる社会が当たり前の時代にされてしまっているのです。冗談で言っているのではないです。もっと深刻に考えてほしいと思っています。日本に人体実験場だと気づかれないようにゆっくりと巧妙に実験場が整備されているのです。

余談ですが、記事で度々取り上げている作家・村上龍の著書「限りなく透明に近いブルー」では、社会システムが「黒い鳥」として描かれています。その後に書かれた「愛と幻想のファシズム」では、「黒い鳥」がより明確に巨大資本として描かれています。両作品ともに、社会の構造にこそ問題の本質が潜んでいることを訴えた作品でした。


以上です。


あとがき

本文では触れていませんが、「動物園」には社会心理学的なプロパガンダ効果があることが知られています。
檻に入れられている動物を見ているは、まさか自分が檻に入ってるとは思わないわけです。動物を見ている人も実際には社会システムの檻の中で飼われているだけなのですが、そのことに気が付いてない人も多いのです。村上龍はその社会システムという檻を「黒い鳥」と表現しました。社会システムというのは、具体的には資本主義と資本主義が必然として要求する人間牧場(マーケット)としての民主主義です。

もともとこの「動物園」手法は欧米で発達し、過去、人間が檻に入れられて見世物にされることもありました。有名な「人間動物園」です。
日本では政府が明治期に朝鮮人や中国人、琉球の人やアイヌの人を檻に入れて見世物にするというとんでもないことをやっていました。日本が自らやったのか、欧米にやらされてたのかまでは分かりませんが、本当に酷い歴史の真実です。政府がやってたのです。行政がやってたんですよ。それで、夏目漱石やら文人たちもそれに連動して、大陸の人々(文化)を卑下するために筆を執っていたのです。このような歴史は、学校では一切教えてもらえないのです。

逆に、欧米では日本人が檻に入れられて見世物にされていました。パリ万博で日本人が檻に入れられて見世物にされたことが切っ掛けで、あの有名なシャポニスムが興りました。シャポニスムは有名ですが、日本人が動物園の檻の中で見世物にされていた歴史は一切教えられません。

動物園は錯覚を植え付ける装置なのです。行政がこんなものを未だに運営していることは本当に恐ろしいことです。動物園の檻に入れられていたのは、かつては日本人自身だったのですから。

人間動物園だけでなく、意図的に差別される人々を作り出してこのような社会心理的効果が企画されることは歴史を紐解けば過去何度もありました。江戸期まであった身分制度もそうですし、戦中は農民が政策的に農奴のまま留め置かれました。戦後は朝鮮人が意図的に国籍を取り上げられて被差別とされました。昨今激増している非正規労働者や外国人技能実習生も意図的に作り出された奴隷です。

単に労働力として奴隷とするだけではなく、奴隷(スケープゴート)を意図的に作り出すことで、奴隷を見ている人に、自分は奴隷よりはましだ、自分は奴隷ではない、という心理的な錯覚を生じさせるわけです。それがガス抜きになって社会の安定に繋がるという効果があります。
つまり、政治への不満を吸収するスポンジとして、被差別階級を意図的に作り出すのです。これは、為政者にとってはとても有効な手段なのです。
差別をなくそう、と言ってる行政は口だけで、結局のところ差別をなくしたくないわけです。わたくしたちは、このような行政の真意、社会の構造を理性的に理解し、現状の社会構造を克服していく必要があると思います。

動物園の心理的効果については、わりと有名な話です。
今回の記事でテーマにしたのは、上記のような人間動物園的な社会心理的な効果に、さらに、付加的な機能が追加さたのではないか?という論点です。具体的には、「シミュラークルとシミュレーション」(人工的な既製品への慣れ)という錯覚効果をもたらす機能です。

記事でも触れましたが、今後あたりまえになるだろう受け入れがたい現実に予め慣れさせるための装置としての機能です。今後増えてくるであろうゲノム編集魚や放射能汚染魚、それから、水産資源の乱獲によって養殖が主流になるのでどうしても増えてしまうであろう奇形魚に、大衆を慣れさせておく必要があります。そのような受け入れがたい未来を先取りして、動物園や植物園、水族館で先に見せて大衆をそれに慣れさせる、ということが意図的に企画されているのではないでしょうか?
今後はますます生態系が遺伝子操作も含めて人工的に改変される時代に入ってゆきます。それに違和感を感じないように、あらかじめ「奇異なモノ」に慣れさせる装置としての動物園、植物園、水族館であるなら、本当に恐ろしいと思います。
私の勝手な妄想であってほしいと願うばかりです。

2022.11.4

2023.6.2 おかしな日本語を修正