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【第一回】ショーシャンクの空に(1994)

story. 

男は突然にして妻の殺人の容疑にかけられた。


  罪を宣告された男は何も語らない。いや、私達はまだ彼のいっさいを知らない。彼の表情、眼、たたずまいから、まだなにも読みとれない。
 
 アンディは無実の罪によってショーシャンク刑務所に投獄された。
 刑務所の環境は過酷だ。
 周りは犯罪者ばかり。更生した人間なんて、まるでいない。
 刑務官は機会さえあれば、いつでも囚人をぶちのめし、叩き殺すだろう。
 刑務所長は囚人をいかに利用し、私腹を肥やすか考えている。

アンディは刑務所内で調達屋レッドと出会う。

 レッドは最初からアンディの異質さを最初から感じていた。
 アンディは他の囚人たちとは違う。なにかが違っていると誰もが分かっている。だけど、それがなにか分からない。
 アンディは違っているがゆえに、周囲から孤立していた。時には男色の元強姦魔にも襲われた。

 アンディは誇り高く、自由だった。


 刑務所に囚われの身でありながら、自分がどうあるべきかを知っていた。
 空の青さを知り、グラウンドに転がる石ころの輝きに感動することができた。
 対してレッドはショーシャンク刑務所に適応していた。
 彼は確かに罪を犯し、投獄された悪人である。
 レッドは刑務所のルールを熟知し、周囲の囚人とうまく関係を築き、調達屋として頼りにされていた。「金次第でなんでも取り寄せてやる」と語るレッドは自信に満ちていた。
 ゆえにレッドは外の世界を恐れていた。仮釈放されたあとの自分が想像つかない。せっかく刑務所に適応して何十年も暮らしてきたというのに、老人になって外に放り出されるのが恐ろしかった。
 

アンディはしだいに刑務所に順応した。


 彼は少しずつ刑務所の風景を変えていく。
 囚人仲間にぬるいビールを配り、学びと本を与えた。州に何度も手紙を出して、図書館用の書物を寄付させた。刑務官には知っていれば誰でもやっている税金逃れを教えてやった。
 囚人たちはいつしか変わり者のアンディを、憧れの対象として見始めていた。アンディの「自由さ」は囚人たちが、とっくの昔に失くしてしまったものだから。

しかしある日、アンディに転機が訪れる。
とある囚人が教えてくれた。
彼はなぜショーシャンク刑務所に入れられたのか?
なぜ世界はこんなにも残酷なのか?



gossip.

第一回は映画「ショーシャンクの空に」となります。


 監督・脚本はフランク・ダラボン(グリーン・マイルとミストがおススメ!)
 アンディこと主演はティム・ロビンス。目が綺麗だ。
 一番の友でありながら語り部でもあるレッドは、モーガン・フリーマン。(彼が深刻な顔でなにやら台詞を呟くと、なんでも名言に聞こえちゃうよね)
 原作は〈モダン・ホラーの帝王〉ことスティーブン・キング。
 毎年のように著作が映画化されていますが、当たりはずれは結構あります。

 

私にとって「ショーシャンクの空に」とは、「誰にでも勧められる世界イチ無難な映画」だ。


 誰にでもオススメできる映画というのは、凄いことだ。
 自分が好きな映画は幾らでもある。これからも世に出るだろう。だが「誰にでも勧められる映画」はそう多くないと思う。
 普遍的に多くの人に好まれる映画、とは独自の強度が存在する。何度となく人の目を通して、それでも揺らがない物語性。
 「ショーシャンクの空に」はとてつもない強度をもつ映画だ。30年近くも昔の作品で、目の覚めるようなアクションもCGもない。羨みたくなるようなメロドラマもない。けれど名作として語り継げる強度がある。
 
 誰にでも勧められると信じているから、私は最初の記事を「ショーシャンクの空に」にした。
 

これは出会うはずのなかった二人が出会い、同じ世界で暮らした物語である。 

 原作者スティーブン・キングはホラー小説の名手であると同時に、こうした「偶然の巡り合わせ」を表現する能力が超一流だ。

“元ナチスの隠居老人”と“サイコパスの少年”の歪んだ友情を描いた「ゴールデンボーイ」。
“闇に堕ちた神父”と“かつて神父に憧れた少年”の因縁である「心霊電流」。

キング氏は「人生において、たまたま同じ船に乗り合わせてしまった者達」をよく描く。
 彼等は家族でもなく恋人でもない。奇妙な繋がりをもったまま、けれど綺麗に断ち切ることもできない。そんな不器用で不便な人間関係だ。

「ショーシャンクの空に」にはふたりの人物が登場する。
 「元銀行員で冤罪を課せられたアンディ」と「服役中のベテラン調達屋レッドだ」
 ならば、これは冤罪を巡ったアンディの物語なのか? 
 いいや、僕は違うと思う。 
 実際のところアンディには状況証拠しかなく。いかにも無罪といった男だ。言動も罪人には思えない。同時に、アンディの罪を覆す決定的な証拠もない。
 だから私はアンディが有罪か無罪かはどちらでもいいと思っている。
 レッドや他の囚人たちが、アンディにどうあって欲しいのかという物語だ。
 欠落した囚人達であっても、アンディの善性(希望)を信じていたい。アンディの無罪を信じたいと願っただけの話なのだ。
 
 人は自分の信じたいものを信じる。

 

だから「ショーシャンクの空に」はレッドが語るのだ。


 アンディを取り巻く、レッド含めた囚人達は自由に憧れていた。だけど自由がどういうものなのか、囚人たちは知らない。忘れてしまった。それどころか年老いて釈放されることに恐怖を覚えるようになってしまった。トイレに行くことに他人の許可を必要とするようになってしまった。
 一度飼いならされた鳥は、もう再び自然に変えることができない。
 囚人としての強かさと、現実世界での脆さを表現するモーガン・フリーマンには涙をさそわれます。

 自由とはなんだろう。 
 安心できるものなのか。 
 恐ろしいものなのか。 
 囚人たちは忘れてしまった。大切にしたかった筈なのに、それだけは覚えているのに・・・
 
 アンディは多くを語らない。他人の反感を買うほどに寡黙だ。
 彼は自由のなんたるかを行動で教えてくれる。
 アンディだって超人じゃない。心のうちに脆さを抱え、苦悩しているのだ。だからこそ希望を語る彼の言葉は強固だ。どんな雨風にも負けない強かさがある。
 彼の内面に干渉することはレッドにも、他の囚人にも、ましてや刑務官たちにできるわけがない。光とざされた懲罰房に入れられても、彼は希望を失わない。

「ショーシャンクの空に」を見終えた後、私は思う。
「アンディ」のように振る舞うことに憧れるし、そうなりたいと思う。
 でもきっと私は「レッド」側の人間だ。
 
 いつの日か、囚人の側でないと、
 自由や希望の価値を知っていると、
 確信を持って言えるだろうか?

postscript.
 「ショーシャンクの空に」の上映時間は2時間20分程度。それなりに長尺の映画なんです。
 しかし原作「刑務所のリタ・ヘイワ―ス」はなんと180ページ程度の中編なんですね。
 よくある文庫本の三分の一程度のページ数です。
 恐ろしいまでの圧縮量!それでいて映画とは違った感慨を与えてくれます。大まかな内容は変わらないのに、メディアの違いを感じますね。
 原作者スティーブン・キングには脱帽です。無駄な脂肪のない筋肉質な物語に仕上げています。
 もしも「ショーシャンクの空に」を観ていて、原作小説がまだという方は、読んでみてください(ゴールデンボーイもおもしろいよ!)。

刑務所のリタ・ヘイワ―スが収録されている「ゴールデンボーイ:恐怖の四季 春夏編」著:スティーヴン・キング新潮文庫

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