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キングダム考察 44巻 桓騎が黒羊戦本陣で繰り広げた茶番では信を通して感じていた「怒り」の本音があった

【考察その30】

今回、念願の桓騎の深堀記事を公開させていただきます。


この記事は、直前に公開した那貴考察の前書きで書いた
黒羊戦の桓騎本陣での信と羌瘣を相手とした茶番を
桓騎が何故行ったか、と言う自分自身の疑問点を考察した後、
そこで顕在化した桓騎の意図を紐解いていく構成で書いてます。
3番目の考察から読んでいただいても多分問題ないと思います(笑)。


いつもいつも私の考察は強引なのですが、
今回はそんな中でもMAXレベルに強引である自覚があり、
「こんなの公開してキングダムファンに許されるのか」
とビクビクしております。


一応、この後の後半記事で、
この記事の強引さと辻褄が合うように書いているつもりです。
(リンクは記事最後に載せています)
いつもに増して流して読み進めてみてください。


いつもの記事より引用も気持ち多めにしたこともあり
それが長文化に拍車をかけちゃいました(苦笑)。

考察ごとで区切りながら、のんびりとお付き合いいただければ幸いです。



考察:黒羊戦における桓騎軍の事前の仕込み


この桓騎本陣の確執シーンは、飛信隊の歪さが検出したものの、
結果的に飛信隊がより結束を固められた出来事となりました。

「飛信隊の歪さ」を出したのは、飛信隊(信と羌瘣)が自分らの
略奪・強奪を責めにきた時、桓騎が事前に「尾平」と言う
仕込んだピエロによって逆手にとった一連の茶番からでした。


虐殺や陵辱への文句を黙らせることは、
あの場で尾平がいなくても、田有を斬ることを続行する場の流れで
力だけで制することも出来たはずです。
彼らの組織では、回りくどくないその方法の方が簡単な気がします。

ですがもはや大将軍の立場である桓騎はそんな「力で制する」ことが
立場的にまずいのも無意識ながら頭の片隅にあった
・・・わけはなさそうですよね(爆)。


それよりどちらかと言えば、力に訴えるとその分それなりに反撃に合い、
こちらも体力をいくらかは削がれる
ため、
それが面倒だと思ったのかもしれません。

信と羌瘣が黒羊の桓騎本陣を襲撃した際、摩論が信を殴った雷土に
「彼(信)のもとには5千の兵が(控えている)」
「(信を)殺すと色々面倒です」
(44巻127ページ)と言っていたのは、
過去彼がその「面倒」の後片付けをさせられたからかもしれません。


なので桓騎にしてみれば、人員入れ替えと表向きに言いつつも、
それが「友軍内に都合の良いピエロを仕込む」口実にすぎないことは
もう当たり前だったのかもしれません。


■桓騎軍以外の友軍に対する仕込み


もちろんピエロの仕込みは「飛信隊の歪さを出す」のが
本来の目的ではなかったでしょう。

略奪や陵辱に対し、ピエロとなった尾平に
それ以上の友軍にとっての「落ち度」を負わせて、
「桓騎軍の落ち度」をぼかす
算段だったのでしょう。


今回、初めて飛信隊幹部たちで桓騎軍本陣を訪れた時、
桓騎自身がその人員を選定しました。

桓騎が信の肩を組んだ時、信は咄嗟に刀に手をかけていましたが、
その際尾平が咄嗟に

「何やって・・・、信・・・」(41巻92ページ)

と声をかけていました。

いかにも兵卒っぽく見えるヤサ男が
隊長に向かって「信」と呼び捨て、行動を注意するところを目にし、
桓騎はこの男が「隊長・信に近い人間」であることを見抜いたのでしょう。


その後、

「お前たちの援軍は本当に嬉しく思っている」(95ページ)

と言う、この一連の言葉がけで一番(比較的笑)優しい声がけの時に、
桓騎は尾平と目を合わせていました。

そうして尾平に「桓騎への親しみ」を暗に植え付け
その後那貴からの入替要員要請時に、
すんなり手を挙げさせるように仕込んだのでしょう。

尾平も見事にその策略にかかり、
「(桓騎は)男の俺がドキッとするくらいかっこよかった」(99ページ)
などと頬を赤らめる始末でした(笑)。


那貴が最初に信の元に向かわず、
尾平をスカウトしてから飛信隊本陣に行ったのは
尾平以外の入替要員を選定されたら都合が悪かったから
に他ならないでしょう。


■自軍内における「友軍への仕込み」に対する仕込み


一方、尾平が桓騎軍に行った後に尾平についていた巴印
この人も黒羊戦以来は目にしていないのですが
無事に生きているのでしょうか?。

この人も入替要員を対処するための「専用要員」でしょう。


その確証は、桓騎軍に関する尾平への説明(44巻180ページ〜)が
やけにスムーズだったり、
村焼きの後、尾平に「保管庫」と嘘を吹き込み、
黒羊の腕飾りを尾平に持たせるのも彼の「定常」の仕事さながら、
疑われることなく自然に行えているように見えたからです。

彼は最初「雷土軍の2列目」(41巻179ページ)で参加していましたが
おそらく普段は「雷土軍」ではないのでしょう。

桓騎が現れ、「お前ら雷土の2列目か?」(186ページ)と問われた際
「はっ、はい」と一瞬巴印が戸惑ったのは、
「雷土の2列目」がいつも同じわけではないので
一瞬戸惑った現れに見えますし、

そもそも、巴印が雷土の説明を尾平にしているときに
「あの人(雷土)の一家を取り込むのはお頭も相当苦労したらしい」
(179ページ)と説明しており、これは雷土一家が入ってきた時に彼が
「雷土一家の外」にいた現れでしょう。


そして桓騎が巴印たちをみて即「雷土の2列め」と判断できたのは
(186ページ)、巴印がいると言うことは尾平もいると言うことで、
尾平を「雷土の2列目」に仕込んだのが桓騎そのものだったから
とも取れると思います。


考察:茶番の幕引きをしたタイミングとその理由


桓騎本陣に、桓騎軍との争いの止めに入った立場の尾平が
飛信隊の隊長・副長から逆に制裁を受ける場面が繰り広げられた後、

「シラケたな、お前らもう行っていいぞ」(44巻162ページ)

と桓騎自ら幕を引いて騒動が終わりました。

ここが幕引きのタイミングになった理由は、
一応、自分が仕込んだピエロ(尾平)が、飛信隊から
自分らの略奪と陵辱自体への憤りをとりあえずマスクした様子を
見届けられたから、と言うのが一番の理由でしょう。


ただ、もしかすると桓騎は、
自分が思い描いた方向に話が向かわなかったため、
これ以上この場で関係ない飛信隊内部の揉め事を繰り広げられたら
たまらないと思ったかもしれません。

「目障りだ、失せろ、俺の気が変わる前にな」(163ページ)

は、少しでも早く飛信隊にこの場を去って欲しいと言う
現れのように思えます。


桓騎は今回の揉め事の収束において羌瘣を挑発する方向にしたのは、
信を相手にするよりも簡単そうだったからと
上記の記事で考察していましたが、
自分が仕込んだピエロを彼女を利用した茶番に活用できそうだったのも
理由の一つだったのかもしれません。


本来ならば尾平は、
腕飾りの略奪の片棒を担いだ件では「信が責める相手」になりますが、
羌瘣にとっては「自分の失態で田有が斬られることを救った人間」
となるため、

責める隊長に対し、庇う参謀の図に当然なるのではと、
桓騎は想像していたのではないでしょうか。

飛信隊の上層部が仲間割れすることで、
あわよくば飛信隊が崩壊するところを目の前で見られることが、
桓騎が思い浮かべていたこの日一番のエンターテイメント
だったのかもしれません。


上記の記事で、羌瘣は混バァの腕飾りを尾平が落とした時、
桓騎の茶番に気がついたと考察しました。

桓騎は尾平に持たせた腕飾りが羌瘣に由縁を持つものであることを
流石に知り得なかった
はずです。

なので羌瘣が途中からこの出来事は茶番であると察することは
想定していなかったと思います。

「シラケたな」は、エンターテイメント的にも
面白くない方向になってしまった
意味にとらえることも出来ます。


桓騎は飛信隊をさっさと追い払いたい気持ちになった途端あっさりと

「(村焼きは)もう全部終わったからこれ以上はねぇんだよ」(162ページ)

と自分が先ほど言ったことが
「飛信隊をだます嘘」だった種明かしをしました。


信は「・・・何っ」とそこで初めて茶番に気がついたみたいですが、
羌瘣は「・・・」と苦虫を噛み潰したような顔をしました。

自己採点で「間違い」と気がついた問題について、
正式な答え合わせでやっぱりそこが間違いだったと分かった時の
悔しい顔のようにも見えます。
(余計に分からん苦笑)


考察:黒羊戦茶番の後における桓騎の変化


黒羊戦の、戦争終結後。

信と羌瘣が、尾平との確執から得たそれぞれの課題をもとに
心の成長を遂げ、それに伴って二人の武人の絆を強めたと
上記の記事で考察しました。

桓騎との関わりも成長の糧だったのは言うまでもないでしょう。


戦争が終わり河了貂が戦況調査を行なった結果、
信たちは恐るべき桓騎の才能を知らしめられ、
同時に那貴から「お頭の不思議」として根っこの「怒り」のことを
聞かされました。(45巻44〜46ページ)


その翌日(?)、どこかへの移動のついでらしき雷土ほか
大勢の桓騎軍が立ち合い、摩論が飛信隊に対して行った
砦化などの指示は、その役割の理不尽さに加え、
雷土には上から目線で馬鹿にされてしまいました。

それに怒る河了貂に対し、信は役割を素直に受け入れて
話を終わらそうといなしてました。(50ページ)
この描写はかなり「信の成長」を感じたシーンでした。


目的の話を終えた後、立ち去ろうとする摩論たちを信が

「桓騎は今何してる、あれから顔も出さねぇで」(50ページ)

と呼び止めます。

信は「桓騎の強さ」や那貴が言っていた「根っこ」の話を前提に
桓騎と対峙してみることで、本陣での桓騎とは違う「何か」を
感じられることを期待したのかもしれません。


この時は雷土に

「テメェなんかお頭の眼中にすら入ってねぇんだよ、こっから先も一生な」
(51ページ)

と煽られて幕を締められ終わりました。

前のシーンと同様、信の大人な態度の象徴シーンではありますが、
今となってはこれは布石でした。

そう、信と桓騎は本陣の茶番以降、顔を合わせることはなかったのです。


黒羊の丘砦化着手前に那貴を飛信隊から早々に引き上げさせたのは、
那貴を通じた「自分との接点」を早めに引き上げておこうとした
現れにも見えます。


そしてここから信が桓騎と直接会話を交わすシーンは、実に、
宜安攻め・閼与から桓騎軍・楽華・壁軍・飛信隊で北上し、
北東部軍を5万だけ吸収して、この後の進軍を検討した軍議
(65巻203ページ)まで原作では描かれません。


列尾で王翦不在時に行った軍議(47巻149ページ〜)
→信も同席してますが、主な語り相手は蒙恬であり、
 桓騎の語りもそれに向けられてのものでした。

影丘攻め時
→全部馬印による指示の伝令でした。(62巻177ページ、190ページ〜)
→平陽城へ飛信隊を十万人虐殺現場から離れさせる伝令も同じです。
(64巻113ページ)

閼与城攻め時
→龍白らが桓騎を急襲した際に庇った信が桓騎軍を怒鳴るシーンも
 信が一方的なだけで、桓騎は無関心を装ってました。
(65巻130ページ〜)

閼与城の王翦を含めた軍議
→結果的に信の言葉は摩論との会話になってました。(65巻156ページ)


これらは全て偶然なのかもしれません。

ですが流石に、影丘攻め含めた平陽戦に関して言えば、
桓騎軍の左翼に入った後はもとより、中央に留まっておけとの待機命令も、
留まる自体の判断は桓騎だったのに(62巻176ページ)
なぜか飛信隊への指示は王翦側からきていました。(173ページ)
今となってみれば妙な指揮系統でした。

なお個人的には「入替要員」がないことを誰も気に留めなかったことも
密かに引っ掛かってます(苦笑)。


もしかすると、桓騎は黒羊戦本陣での茶番以降、
信と直接話すことを避け始めた
のではないでしょうか?。


「中華統一」を含めた「悪と正義」の話は、羌瘣が遮ったことにより
結果的に中途半端に終わっていました。(44巻142ページ)

桓騎は何かのきっかけでまた信とこの話の続きをすることを避けたい
無意識に思っていたのかもしれません。

もちろん、正義を振り翳す信の相手をするのは
ピエロなしには面倒だと言う理由もあると思います。


宜安攻めの北東部軍合流時の軍議では、予定だった兵数が半分以下となり、
進軍の是非を論議し他の皆が積極的に進軍に賛成する中、

信が「いつも以上に慎重にいかねぇと危ねぇ」と、
そして桓騎が「(危ないと)感じているぜ、お前以上にな」と、
他の将とは違う意見で二人がシンクロしていたことは、
注目すべき描写なのかもしれません。


考察:政の詰問で桓騎が『落ち込んだ』理由


69巻おまけ漫画にて、砂鬼の一人・竹耳(だよね?)が言ったこと、

「十万斬って秦王に怒られて何か桓騎が落ち込んでた夜があったろ」
(232ページ)

え!?、と、結構びっくりした私でした。


いや、雷土が殺されたから落ち込んだのならまだ分かるのですが・・・、
ここで作者様が種明かしした
「落ち込んだ理由」が「政に怒られたから」と言うことが驚きでした。


砂鬼たちは、偲央の死という
桓騎の人生一番の落胆に立ち会った経験があります。

だから彼らが「桓騎が落ち込んで見える」ならば
それはおそらく真実なのでしょう。

しかも、姉の忘れ形見でもある衣央が強めの酒を飲んでまで
慰めようと思ったほど、彼女らの目でもあの時の桓騎は
相当な落ち込み具合だったと言うことなのでしょう。


落ち込んだ理由は・・・、
あの詰問の結果が納得いかなかったからなんですかね?。

すなわちそれは「断罪されなかったから」ですか?

摩論の明らかな後付けの言い訳(64巻160〜161ページ)が
断罪を免れた理由になってしまったのは、
桓騎的に「格好悪い」免れ方だったとでも言うんですかね?。

そんな理由にしては落ち込みすぎじゃないですか?。

それにしても摩論にしてみれば、彼が論じた虐殺の理由は、
摩論自身が「桓騎の命令を遂行するための言い訳」として
自分自身に言い聞かせてきたことだったのでしょうね。
だからあの必死の場でも迷いなく口が動いたのでしょう。


ただ、今回の断罪は「=斬首(死)」だったわけで、
桓騎が「死んでもいいや」と自虐的だったとも思えません。


むしろ

「首をはねたきゃはねろよ」
「その時はお前もここで死んで、その崇高な血の道もこれまでだ」
(177ページ)

と言ったのは、政にこのように言えば
絶対政は自分を斬らないと確証を持っていた
ようにも思えます。

この確証はどこから来たのでしょうか。
少し遡って掘ってみます。


政を出迎えた桓騎は踏ん反りかえり両足を机の上に投げ出し
足裏を政に晒したまま椅子に座った状態でした。(64巻151ページ)
政が席を立つまでその姿勢を終始崩しませんでした。(181ページ)

その態度そのままに、詰問に対して

(捕虜を虐殺した理由について)
「殺りたかったから殺った、それだけだ」(154ページ)

(斬首が本気と脅した後に再度理由を問われた際)
「忘れた」(156ページ)

と、途中までは全く真面目に話をする様子がないように見えました。


この態度のせいで摩論の「取ってつけた理由」の言い訳を招き、
それによって政からさらに
「お前たちは以前から殺さなくていい者たちを殺し過ぎだ」(162ページ)
との責めを受ける羽目となりました。


ですが桓騎はここで突如

「人を一番殺してんのはお前だぞ、秦王」(64巻163ページ)

自分から話を膨らませ始めました。


黒羊戦で信が「中華統一」のワードを口にした後、桓騎がその後

「お前が一番の悪党だと言ってんだよ」(44巻137ページ)

と話を広げようとした状況と重なって見えます。


前項の考察で、桓騎は信と直接話す機会を避け始めた(ように見える)のは
黒羊戦本陣での信との「中華統一」の論争を繰り返したくないと
思っていたから、と仮定していました。

そうだったら今回の話題も、
桓騎としては本来「話したくない」内容のはずです。


黒羊戦での信との会話の時は、
陵辱・虐殺に怒髪天の様相を見せる信に「中華統一の残虐性」を問えば
論破できる見込みが当初あったから論じ始められたのかもしれませんが

政の場合は、秦王として中華統一のために
既に自身が六将に任命されており、
今更中華統一の是非を変えさせることは出来ない相手のはずでしょう。


ですが断罪を免れる「崇高な血の道」のくだりを言うため、
「秦王の血の道」について秦王側とこの場で認識を揃える必要があり、
あえてこの話題を出したのでしょう。

だから桓騎はわざとらしいくらいの「自分なりの最大の悪の仮面」を被って
詰問を受けたのではないでしょうか。


桓騎がその夜に「落ち込んだ」のは、目的(断罪を免れる)のために
「やりたくない会話」をしてしまったから
だったのだと思います。


投げ出した足と共に、
その目に何も写していないような空虚感を崩さない桓騎でしたが、
その視線が緩んだようにも見えた描写が2箇所だけ、あったと思います。
両方とも目のアップでした。


一つ目は、桓騎が政に「まさに血の王だ」と言った返しで政が

「血を多く流すが故に強く線引きせねばならぬ」
現六将から”白起”を出すわけにはいかんのだ」

と言うのを聞いた後(170ページ)、桓騎の引いた状態からの描写の後、
わざわざ寄った目のアップが描かれました。


二つ目は、最後政から罪を赦すと言われた後

「六将を剥奪しなくていいのか、何なら返すぜ、あの金ピカの首飾り

と言っている時(179〜180ページ)の、
政と目を合わせているだろう時の目のアップです。


もしかするとこのアップの時の会話の内容が、
仮面からわずかに覗いた「桓騎の本音」だったのかもしれません。


考察:桓騎が政や信と『中華統一』の話をしたくない理由


桓騎は一環して「中華統一」が達成しないことを前提としています。

「お前みてぇのがいるから秦王みてぇのが出てくる」
「秦王みてぇのがいるからお前みてぇのが出てくる」
(69巻93ページ)

「お前らは絶対にどこにもたどり着かねぇ、永久にやってろザコ共が」
(94ページ)

片方を倒したとしても、別のところから新たな片方が必ず生まれてくるため
それは永遠に続いていく・・・、と言う意味でしょう。
これはある意味、真理だと私も思います。

それを聞いた李牧も
「秦王が始めなければこうはなっていない」
と、あくまで悪いのは相手の方と決めて話しています。
李牧は自ら桓騎の言い分を正当化してしまってます。


桓騎としては「主体」がなく「分かりきっている」議論は
無意味に思うのは確かでしょう。


ですがおそらく論点はそこではなく、もっと根本的なこと、
桓騎は「中華統一」を正当化する意見を聞きたくない
のではないでしょうか。

実は、信や政が言っている「中華統一」が「事の本質」であると
桓騎も気がついていたのではないでしょうか。


「底辺が本当に怒りを向けるべき相手は、
 無関係を決め込んでいる中間の奴らだ」
(67巻211〜212ページ)

・・・この発言を最初に見た時、
まさに「サイコパスの発想だ」と驚愕したことを今でも思い起こします。


「そいつらが何もしねぇから世の中の構造が変わらねぇんだよ」
(213ページ)

と、変わらない「世の中の構造」に対する「怒り」を桓騎は持っています。

実はこれは、「戦国時代を終わらせる」ことで
「次の世の中」を「戦争のない世界」に作り変える政の主張

すなわち「世の中の構造」を変えるという「本質」
桓騎の言っていることと同じなのです。


一方、黒羊戦の本陣にて、
中華統一を桓騎が頭から否定しても折れなかった信は、
「事の本質」を持っている将かもしれぬと桓騎は思い始め、
自分を理解している那貴が信を認めたことによって、
そのことに確信を持ったのかもしれません。

桓騎が信のことを「元下僕」と呼んでいる
(65巻203ページ、68巻16ページ)のは
桓騎なりの信への「壁」なのでしょう。


政の詰問シーンを振り返ります。

桓騎の、この時最大の主張の言葉

「お前は”人”に期待しすぎだ、秦王よ」(64巻174ページ)

に、政は一旦目を閉じてためた後、

「ああその通りだ、それのどこが悪い」(175ページ)

ときっぱり返します。
桓騎は政のこの回答を予想していたのかもしれません。

政のその言葉に桓騎軍幹部たちや昌文君が少なからず驚いている描写の中
桓騎は落ち着いて聞いている描写が印象的でした。


続けて政は「手段を選ばず最短の道を進む」のは「人を信じている」
からと語り続けます。

絵空事の理想としか思えない「そのこと」を堂々と言ってのけ、
実行に移していくその様を、
桓騎は深層心理で「羨ましい」と思ったのかもしれません。


もしそうならば、前項で考察した「落ち込んだ」理由には、
自分がそのような嫉妬の感情が起こってしまったことに
嫌気がさした
ことも含まれていたかもしれません。


一つ前の項の最後、
政からの詰問時、桓騎の目が緩んだように見えた2つ目、
六将の首飾りを返すと言った時の「桓騎の本音」とは、
「秦王が世の中の構造を変えることに力を貸す」ことへの拒絶
なのではないでしょうか。

自分すら成し遂げられないことが秦王に出来るわけがない、と信じたい。
そんな「悪の仮面」を被る桓騎の精一杯の抵抗の言葉
だったように思います。

桓騎が六将の任命式時、
やたらと六将にケチつけた描写が目立った(62巻73・74ページ)のも
今となってはその現れだったとも見て取れます。


肥下戦敗走時、砂鬼の召が語った

「桓騎は納得いかないんだ」
「桓騎だけはずっと怒り震える程納得がいかないんだ」(69巻114ページ)

と言う桓騎の「怒り」の正体は、

虐げられたものへの世間のあり方に対する「怒り」「炎」であるならば

炎を燃やすための「燃料」は、やりたいことをやりたいと言えない、
そしてその状況に勝手に追い込んでいる「自分自身への怒り」
なのかもしれません。


桓騎が今際の際に

「(怒っているのは)お前(偲央)のためだけじゃねぇよ」
俺が勝手にムカついてるだけだ」
(69巻123ページ)

と偲央に語っていたことがその根拠です。

桓騎がまさに命尽きる時、「生」への未練があったとしたならば、
それが「偲央」「勝手にムカついていた」ことだった、
のではなかったのでしょうか。


終わりに


当初は黒羊戦での茶番の理由しか書く予定はありませんでした。

ですが先に那貴側考察を独立して記事にし、
残った茶番考察だけでは記事として軽いかなと思い、
桓騎に関して黒羊戦で顕在化した布石を広げていった結果、
桓騎の「本音」にぐりっと踏み込んでしまい、
我ながらとんでもない方向に来てしまった記事になってしまいました。


読んでいる皆様は最初に表題である程度ネタバレしているので
想像はついていたかもしれませんが(笑)、
私自身この記事は「こっちの方向であっているの?」
と慄きつつ書き進めていました。


あと当記事で、「桓騎の本音」を二つ掲げておいて、
しれっと放置していた考察がありました(笑)。

一つは当記事内で収束させてますが、
もう一つもちゃんと、次の記事で収束させています。
忘れているわけではないので安心?してください(笑)。


後半の記事は今回以上の長文記事になりました。
一息ついたら是非読んでいただければと思います。


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