見出し画像

4.クラスメイトの止めどなく溢れる涙から伝わったギフト

授業終了のチャイムが鳴り響くと同時に、段々と大きな渦のように広がっていく騒ぎ声が一つの合図となり、児童たちは互いに顔を嬉しそうに見合わせながら、
一斉に運動場へ飛び出していった。
そんないつもの風景の中、わたしは通常通り窓際の席に一人座っていた。

「書いてもいい?」

わたしのお友達、というかお絵描き仲間である男子が、わたしの自由帳にいつものように「三つ編みをした女の子の絵」を書きに現れた。
彼が描くタッチは、とても力強かった。恐らく2Bの鉛筆を使っていたのだろう。とても太い輪郭で描かれたその三つ編み少女の絵は、今でも強く印象に残っている。

当時7歳だったわたしは、子供なりに「もしかして彼
は‥」と考えたりしたのだが、現代はすっかりジェンダーレスの時代に様変わりしたので、今となっては彼もすっかり生き易くなっていることを祈る。

わたしは運動場で元気に走り回るより、走り回っているみんなを窓から眺めるのが好きだった。「人生の傍観者である」という感覚がこの頃から既にあったように思う。

教室に残っているのはわたしと、三つ編み少女専門画家の男の子と、もう一人、一度も声を発したことのない女の子の3人だけだった。
女の子はただ、ひっそりと何をするでもなく座っていた。その後ろ姿は寂しげで、ただ時間が過ぎるのを待っているように見えた。
私は自分から話しかけるタイプの子供ではなかったので、ただ彼女の後ろ姿から伝わる哀愁に同情するという行為以外、何もしてあげることができなかった。
ただどこかで自分自身と重ねて見ていたのは事実だと思う。

そしてある日の算数の時間、「すべての問題を解き終わった人から先生の所に見せに来て下さい。」と担任の先生は言った。
当時の私は、普段は全く何事にも無関心で平静を装っているのにも関わらず勉強に関しては「人には絶対負けたくない」という強い悲壮感に近い気持ちがあった。恐らく自分が誰だか分からないという感覚を、人に認めてもらうことで払拭したかったのではないかと推察する。

その日わたしは、誰よりも早く先生の所へノートを見せに行くために焦燥感に駆られながらひたすら問題を解いていた。そして誰よりも早く先生の所へ見せに行った。
先生は静かに、ノートのページの右端に「花丸」をくれた。
その後わたしの後を続くように、どんどんとクラスメイトたちが先生のいる教卓へと列を作り始めた。席に戻ったわたしはホッとして、再び一人で空想の世界に入り込んだ。こうして授業中に生まれる暇な時間をこっそり楽しむことに知らぬ間に幸せを見出していた。

するとある瞬間、いつもの哀愁漂う彼女の後ろ姿が目に飛び込んで来た。とても重苦しい感情が伝わってくる。みんながどんどんと席を立っていく中、彼女だけは完全に、お地蔵様の様に固まった状態で存在していた。
わたしは気づいたら、彼女の元へ行き教えてあげたい衝動に駆られた。しかし、そうしている自分をクラスメイトがこっそり見ている姿を想像したらすごく重たい気持ちになった。それにもしかしたら「偉そうに」などと影で色々言われてしまうかもしれない‥
そのような心の葛藤で揺れ動く中、わたしも彼女と同じようにお地蔵様の如く固まっていた。

しかし、クラスメイトたちが列を成せばなす程、教室中に流れる雰囲気が軽くなっていくのを察知した。その軽い雰囲気にだんだんと感化されたわたしは、自然と席を立ち彼女の机の右側にうずくまるようにして座り込んで、気づいたら解き方を教えていた。

意外にも、そうすることが自分にとっては自然なことだったので、その後はクラスメイトたちのことが全く気にならなくなり、必ず自分が解き終えた後は彼女の元へ行くという習慣ができた。

そんなわたしの姿を、担任の先生はちゃんと見てくれていて二学期の通知表の所見欄には、
「遅い子の面倒を良く見てくれました。」
と書かれていた。
父にも母にも褒められたことがなかったわたしは、生まれて初めて「人から褒められる」という経験をした。そして先生という人は、ちゃんとみんなを見てくれる凄いお仕事をしている人なんだなあと尊敬の念が沸き、生まれて初めて心からの「感謝の気持ち」が生まれた。

そして三学期に入ったばかりのある日、わたしは家の都合で転校することになった。先生に名前を呼ばれ、わたしはみんなの前に立った。

すると、しんとした空気に包まれた中、どこからともなく響き渡る泣き声のようなものが聞こえてきた。
その泣き声は意外にも、一度も声を聞いたことのない彼女の嗚咽だった。
彼女は先生がわたしについて話している間ずっと、ただ泣き続けていた。
その止めどなく溢れる涙は、今までのわたしが感じたことのない身を切られるような痛みという刹那と同時に、わたしの魂を深く深く癒していった。

その後私は、彼女と離れた後も彼女が流してくれた涙を時々思い出した。

そして「私の人生にとって本当に大切なものは何か」と考えさせられる場面に遭遇する時、必ずと言っていい程彼女のことが頭をよぎり、その答えを知らせてくれるギフトに変わった。

高校生活が終わりに近づいた頃には、母が果たすことのできなかった「英語の先生になる」という夢を、代わりに果たそうと強く決意することとなる。

















この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?